第23話:現の悪夢
「……っ!? なに、いまの衝撃……!」
眠りに就いてどれだけ経っただろうか。不意に爆音が轟いた。たまらず飛び起きて、ティオの安全を確認する。
「ティオ、無事!?」
「俺はなんともない。だがなんの音だ?」
あたしよりも早く気付いていたようで、あたしの傍に駆け寄ってきた。
いまは何時だ? 時計を見ると、午前一時。およそこの時間に聞こえるような音ではない。近くで爆破テロでも起こったのだろうか。
それに窓の様子がおかしい。暗雲……というよりも排気ガスのような黒い雲が高速で漂っている。時折弾けては火花を散らし、落雷も見える。
――この光景、どこかで見たような気がする。
ひとまず様子を見に行った方がいいだろう。白衣を纏い、部屋の外へ。他のカウンセラーも同様に目を覚ましたようだが、事態の把握には至っていないようだった。
「ミライ!」
アステルの声。振り向けば、必死の形相で走ってくる彼の姿が見えた。その顔も初めて見たと感心する暇もない。彼は乱れる息を整えるより早く、この現状を口にした。
「ラムレッド現象だ……!」
「え……?」
「誰のかはわからない……ただ、この感じは間違いなくラムレッド現象だ!」
アステルの声に周囲のカウンセラーに動揺が走る。
当然のことだ、最悪の事態と言っていい。通常のカウンセラーで対応できるものか。研修や試験で情報はあるものの、実際にその場面に直面した者はいないはずだ。
周囲のカウンセラーが取り乱す中で、アステルだけが冷静だ。あたしの手を取り、叫ぶ。
「ミライ、ティオ! カイルさんの病室に急ぐぞ! なにかあったのかもしれない!」
「う、うん! わかった!」
アステルに手を引かれ、カイルさんの病室へ急ぐ。入院患者は彼以外にもいるが、ハートリウムからの解放直後ということもある。避難させるなら真っ先に彼を保護するべきだろう。
あるいは――この中心がカイルさんなのであれば、対処しなければならない。これはあたしの役目だと心が強く訴えていた。鼓動は大きく、いっそやかましいほどである。
入院患者棟への通路を走る。しかし、足止めを食らってしまった。
「……シャドー!?」
四つん這いで歩く黒い影。強靭な肢体と、毒々しい尾、凶悪な顎。見間違えるものか、あれはカイルさんのシャドーだ。
ラムレッド現象の影響で現実世界に顕現する以上、被害は現実に及ぶ可能性が高い。誰かを襲う前に鎮圧しなければならない。
あたしたちはラムレッド現象の対応はしたことがなかったが、皮肉なことにアステルがこの感覚を知っている。素早くシャドーの間合いに入り込むと、剣を一閃。目で追えない速度の剣尖はシャドーの体を縦一文字に引き裂いた。研がれていないはずなのに、どうして? 彼は叫ぶ。
「いまここはハートリウム同然だ、俺の心が強ければある程度は思い通りになる……! ラムレッド現象はそういうものなんだ!」
心の力がそのまま反映される状態ならば、あたしたちもカウンセリング時と動揺の動きができるということ? にわかには信じがたいが、患者の最も強い感情が現実に現れている以上、事実なのだと思う。
だがシャドーは消えない。患者の感情を物理的な衝撃で鎮めることはできない。それは彼も分かっているようだった。
「俺はカウンセラーじゃないから足止めしかできない! ミライ!
「わ、わかった!
現実世界でありながらあたしの四肢が光を帯びる。弾けて消えれば、ガントレットとロングブーツが装着されていた。アステルの言う通り、この状態はカウンセラーにとっても都合がいい空間のようだ。
それがわかればこっちのもの。綺麗に分かたれたシャドーの頭を両手で掴み、力を放つ。
「
ガントレットから流し込まれる波動に抗えず、シャドーは溶けて消えた。こんなものが本部の中をうろつき回っているのなら、早急に入院患者を避難させなければ。
ただ、多くのカウンセラーは動揺している。まともな精神状態でシャドーを警戒しながら避難誘導などできるのか? あたし自身、冷静さを欠いている。
だからふたりでひとりのカウンセラーなのだ。あたしの肩に圧し掛かる熱。
「全カウンセラーに告ぐ! ラムレッド現象の影響で本部にシャドーが出現した! カウンセラーはシャドーを制圧、ガードは入院患者の避難誘導だ! 慌てることはない、いつものカウンセリングとなにも変わらない! 平時通り、落ち着いて対処しろ!」
ティオの怒号は決して感情的ではない。必死に、的確に指示を飛ばしている。こういうのはマリアの役目だろうに、勝手に指揮を執って後で怒られないだろうか。
「……さ、様になってるね?」
「んなこたぁどうでもいい! 急ぐぞ!」
ティオとアステルが駆け出す。あたしが遅れるわけにはいかず、ふたりの後を追った。
途中で何体かのシャドーと交戦したが、アステルの足止めと連携で逐一制圧していく。あの形を見るに、カイルさんが中心にいることは間違いないだろう。
だが、彼はハートリウムから連れ帰ったはずだ。いったいどうしてハートリウムが生まれ、あまつさえ壊れた?
病室に到着すると、既に扉は大破していた。そこに横たわるのは唯一の同期。
「……シャーリィ!? どうしてここに?」
「けほっ……! ミライ、ティオ……! ごめんなさい、私のせいで……っ!」
「キミのせいというのはどういうことかね? おい、シャーリィ!」
「気絶してる……」
「ひっ、ひいいい! 化け物っ! 放せっ! 放しなさいっ!」
鼓膜に針を刺すような甲高い悲鳴。誰のものか、心当たりがある。カイルさんの母親だ。なぜこの時間に、ここにいる? シャーリィが手引きした? そんなことはないはずだが、病室の様子を窺う。
「……っ!」
そこには確かにカイルさんがいた。母親の胴体を片手で掴んでいる。人間の姿はしていなかった。
ベースは彼のシャドーに酷似している。肥大化した四肢、禍々しさすら漂わせた尾、人一人丸呑みにできそうなほど大きな口。
その体の中心に、カイルさんの体が埋まっていた。下半身は完全に呑み込まれており、上半身も肘から先はシャドーと一体化している。
シャドーは最も強い感情の具現化だ、彼の心が感情に吞み込まれているということ? だが、シャドーに取り込まれたカイルさんの表情はアステル以上の鉄仮面。最も強いのは怒りの感情だと思っていたが、違っていた?
カイルさんが呟く。淡々と、生気の宿らない声音で。
『ぼクはずット、あそビたかッタ。フツうの親子ミタい二』
「はっ、放せ! 化け物! 化け物ぉっ!」
『おにンギョうあそビをしヨウ、母サん。まズはパーつの付け替エからダ……こノ脚は要らナい。ぼクを蹴ル悪い脚ダから』
もう片方の手で母親の左足を握る。そのまま勢いよく、玩具を無邪気に扱う子供のように引きちぎった。
「ぎっ……があああああっ!?」
母親の絶叫が響く。動くべきなのに、動けない。あの異質な存在に足が竦むのを感じた。
カイルさんはなおも母親で遊ぶ。決して、楽しそうな顔には見えないまま。
『こノ腕モ要らナい。ぼクを殴ル腕は要らナい』
腕もまた、いとも容易く引き千切られた。もう冷静ではいられないだろう。母親の声には憎悪が宿る。
「ぎゃあああっ! このガキッ……! 親に向かってェ! 殺すっ! 殺す殺す殺す! 出来損ないのゴミ屑の分際でェェェ!」
『一番要らナいのハ……頭カな……』
片手で母親の頭を摘まむ。短い悲鳴が聞こえたと同時、あたしの体は動いていた。
「……
シャドーの腕に沈む掌底。そこから流し込まれる鎮静効果の波動はシャドーの全身に沁み込む――はずだった。
「……っ、え?」
まるで効いていない。母親を握る手の力も、みちみちと肉が引き延ばされる音も、なにも変わらない。
「カイルさん、待っ……!」
ぶちっ。
と、まるでいちごの収穫のように呆気なく、母親の首はもがれた。指で摘ままれた母親の顔は白目を剥いており、気を失っていることはわかる。
カイルさんはそのまま指に力を込め、母親の頭を握り潰した。表情は変わらない。彼の手に残ったのは、両足と片腕を奪われた首なしの死体。
正直、気が狂いそうになる。これが現実でなく、悪い夢でもないというのならなんなのだ。いったいどうすればいい?
「……ミライッ!」
アステルの剣が閃く。あたしの頭を狙う尾を弾き返したようだった。そのまま彼に抱えられ、距離を取る。
すれ違いざま、朝焼けの閃光が走る。
「
ティオの一撃はカイルさん――正確にはシャドーの頭部を殴りつける。病室の壁を突き破り、中庭に吹き飛んでいった。
「ったく、手のかかる相棒だ! アステル、礼を言う!」
「なんでもない! ミライ、気をしっかり保て! ラムレッド現象は患者の心が現実を侵した状態だ、半端な覚悟じゃ吞まれるぞ!」
「う、うん……! わかってる……!」
あたしを庇うように立つアステル。ティオもまた、開いた穴からシャドーの様子を窺っていた。
ラムレッド現象は現実とハートリウムがイコールで繋がった状態だ。現実でもあり、心象世界でもある。カウンセラーのあたしが後ろに立っていてどうするというのか。
かろうじて立ち上がるも、この異質な状態にどれだけ気を確かに保っていられるか。あまり長引くのはカイルさんの状態としても、現実への被害においても好ましくない。
どうすればいい、どうすれば――
『ミライさン、あなタはとテモ素敵な方でス』
脳を直接叩くような声。そうだ、ここはカイルさんのハートリウム同然。この空間は彼の想いのままだ、どこにいようが関係ない。
カイルさんは続ける。淡々と、なんでもないことのように。
『ぼクのおにンギょウになッテくダさい』
「ミライッ!」
「……っ、え……?」
ティオの声が遠い。腹部に鋭い痛みが走った、と。気付いたときには、どこからか伸びてきたカイルさんの尾に貫かれていた。
現実と夢の狭間の傷だ、穿たれた腹部からは血も流れない。だが、確かな傷としてそこに残るだろう。
ぐらりと体の均衡が崩れ、そのまま倒れてしまう。アステルの声も、ティオの声も聞き取れない。どこか遠くの出来事のように思えてしまう。
――あたし、死んじゃうの?
まだなにも為せていない。ママを超えるカウンセラーになれていない。全然救い足りない。このまま何者にもなれずに死んでいく?
そんなの耐えられない。絶対に嫌だ。そうは思えど、意識が体から離れていくのを止められない。
――嫌だ、何者にもなれないまま、死にたくない。
どれだけ心が足掻いても、体がもう限界なのだ。あたしの意識は遠く、どこか遠くへと連れ去られてしまった。強い後悔だけが虚しく糸を引いたまま。
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