第22話:凶刃と狂気

「それでは、失礼します」


 カウンセリングを終え、患者宅から帰路につくシャーリィとガード。今回は長引いてしまった為、時刻は二十三時を回っていた。移動に時間がかかっているのもあるだろう。

 今回の患者は一番街。カウンセラー専用の列車を使っても三十分はかかる。往復で一時間だ。移動の疲れもある、少し気が抜けていた。


「シャーリィ、最近調子が良さそうですね」

「え、そうですか?」

「はい。表情が晴れ晴れとしていて、自分としても安心します」

「それはなによりです。ミライとティオのおかげですよ」

「あのふたりには感謝してもしきれません。自分の不甲斐なさを感じたこともありますし……改めて、ガードの本分を理解できました」

「頼りにしています。またお話聞いてくださいね」

「ええ、何度でも」


 ガードとの信頼感もより深まっている。シャーリィの調子がいいのは間違いなくガードとの距離感もあるだろう。安心して仕事ができているのは、ガードに背中を預けてもいいと思えている証拠だからだ。


「自分に任せてください、必ずあなたを守ります」

「ありがとうございます、これからもよろしくお願いしますね」


 頭を下げるシャーリィ。それと同時、ガードが急に踵を返した。何事かと思うシャーリィだが、ガードの手が剣の柄にかかっている。なにか悪意の気配を感じ取ったのだろう。シャーリィもまた身構える。

 暗闇の中から、ぼろ布を被った者が現れた。顔は見えないが、体の線から見るに女性であると判断できる。

 ガードは姿勢を低くし、警戒する。


「……何者ですか」


 女性はなにも答えない。ただじっと二人を睨むだけ。表情は窺えないが、なにかを企んでいるのは明確だった。剣を引き抜くガード、いつ襲われてもいいように、戦闘の準備を取る。


「シャーリィ、自分の傍から離れないでください」


 どさ、と。倒れる音がした。

 ガードが振り返ると、横たわるシャーリィがいる。血は流れていない。だが、気を失っているようだった。また守れなかったと自責の念に駆られるガード。


 すぐ傍の殺意に気が付くのが、一瞬遅れた。


 外套を目深に被った男。振り下ろされたナイフが彼の額に突き立てられる。根元まで、深々と。そのまま力任せに引き抜かれたナイフは真っ赤に染まっていた。月明かりを受けて不気味に輝くそれが、ガードにとって最期の光景になった。


 その場に倒れるガード。彼の頭を周辺に赤い池が広がっていく。シャーリィの白衣にも微かに滲んだ。

 ぼろ布の女性はシャーリィの胸倉を掴み、頬を叩く。


「起きなさい」

「っ……う、ん……え? な、なに、これ……」

「無駄口を叩くな。こうなりたい?」


 悪意と憎悪に満ちた声音。彼女が指で示すのは、物言わぬ死体となったガード。自らが命の危険にさらされていることに気付き、震えるシャーリィ。

 怯える彼女にもう一度平手打ちをする女性。女性はシャーリィの胸倉を掴み脅す。


「カイルのところへ連れて行け。抵抗すればどうなるか、言うまでもないでしょ?」


 ニタリと、邪悪な三日月が浮かんだ。

 選択の余地はない。シャーリィは頷くことしかできなかった。


 * * *


 女性と外套の男を乗せ、カウンセラー専用の車両で本部へと向かうシャーリィ。

 当然、駅員に許可をもらってここにいる。それが普通だ。だがいまは普通じゃない。駅員は外套の男に組み伏せられ、そのまま殺されてしまった。

 脅されるがまま二人を車両に乗せ、本部に向かっている。震えて声も出ず、思考もまとまらない。


 女性の正体はもうわかっていた。カイルの母親だ。まさかこんな強硬手段に出るとは思っていなかったシャーリィだが、ガードが殺された衝撃はいまだ拭えずにいた。

 カイルの母親は男に声をかける。


「あんたに任せていいの?」

「ああ。要は邪魔する奴を全員殺せばいいんだろ?」

「わかってるならいいわ」

「はっ、しかし子供を連れ帰りたいからって殺し屋に依頼するもんかね。随分子供想いな母親だ」

「子供想い? 勘違いしないで。子供がカウンセラーに引き取られたなんて知られたら、ママ友に合わせる顔がないの。それだけよ」

「そうかい。可哀想なこった」

「なに? あたしを馬鹿にした?」

「だったらどうする? あんたじゃ俺を殺せない。が、俺はあんたを殺せる。金はもう貰ってんだ、このままあんたを殺してとんずらこいたっていいんだぜ」

「……ふん、まあこれっきりだからね」


 殺伐とした会話さえシャーリィの耳にはまともに入ってこない。自分の身の安全だけを考えてしまったが、これでよかったのだろうか。思い悩み、呼吸が乱れてくる。心臓の音もどんどん大きくなっていった。


「うるっさい! 少しは静かにしてろ! 殺されたいわけ!?」


 金属を擦り合わせたような耳障りな声。びくりと肩を跳ねさせ、謝る。


「すみませ……! すみません……!」

「ったく、カウンセラーなんてインチキ商売で飯食いやがって……腹が立つのよ」


 いま殺されていないのは利用価値があるからだ。このまま列車に乗って行ったとしても、カウンセラーの知るパスコードがなければ本部には入れない。

 正面出口もまた、パスがなければ開かない。だがそこから入れば目立つこと請け合いだ。侵入するなら想定外の経路がいいと判断されたのだろう。


 着いたらどうなるか、いまはわからない。用済みとして殺されてしまうかもしれないし、病室までは案内させられるかもしれない。

 なにが起ころうとしているかはわかる。だが、その後はどうなるのかわかったものではない。がたがたと震えることしかできない自分が憎いとさえ感じていた。


 そうして本部に到着する。背中にナイフを突きつけられながら歩き、パスコードを入力する。自動ドアが開き、真っ暗なロビーに出る。


「……カ、カイルさんの病室、は、入院患者棟の、さ、三階です……」

「あたしたちを連れて行け。余計なことはなにも言うな。死にたくなければね」

「……っ」

「お嬢ちゃん、返事はどうした?」

「……は、はい……」

「カカカッ! これで共犯だ。よかったなぁ、いまから俺たちは仲間だ。カウンセラーの仲間ができて心強いぜ」


 湿度の高い笑みに背筋が凍る。

 この件でカウンセラーとして仕事ができなくなるかもしれない。そうなったらどこに行けばいい? いろいろなことを考えて足取りが重くなる。

 自分の命と、カウンセラーとしての本分を秤にかける時点で資格などとうに捨て去ってしまったのだと自責の念が強まっていく。


「……痛っ」


 背中に鋭い痛みが走った。ナイフの先端が背中の肉を突いたようだ。


「もたもたしたら見つかっちまうだろ? テキパキやろうぜ、仲間じゃねぇか」

「……!」


 仲間だなどと思いたくもない。その態度を出さなければ、少なくとも命の保証はされるだろう。その先のことを考えるのは早いかもしれない。

 シャーリィの先導で入院患者棟へ向かう。警備員に鉢合わせないことを祈るばかりだが、そうなった場合はもう言い逃れができないだろう。


 入院患者棟には入口で管理人が常駐している。バレずに進むならカウンセラー棟から入る方が確実だろう。エレベーターに乗り込み、三階へ向かう。

 沈黙が気まずくなり、シャーリィは問いかける。


「……どう、して、カイルさんを……?」

「カイルがいなかったらママ友からハブられるかもしれないでしょ。せっかく玉の輿に乗れたのに、付き合う人の質が悪くなったら意味ないじゃない」

「……! そんなこと、で……っ!」


 振り返ったと同時、頬に痛みが走る。ナイフで切り裂かれたようで、血が垂れていた。男性は気味の悪い笑みを浮かべ、シャーリィの顎を掴む。


「意外と肝が据わってるんだな、いい女じゃねぇか」

「下手なこと言うなら殺すから。黙って言うこと聞いてろ、庶民の分際で偉そうにすんな」


 抵抗はできない。けれど言いたいことはたくさんある。湧いてくる。しかしこれ以上動けば本当に殺されてしまうだろう。

 シャーリィは言葉を飲み込む。エレベーターが到着し、ゆっくりと入院患者棟へ向かう。足音に気を付けながら、カイルの病室に。


 扉を開くと、穏やかな寝息を立てるカイルがいた。母親は大股にベッドに近づくと、彼の頭を力任せに叩いた。

 動揺して体を起こすカイルだが、母親の姿を見るなり全身を硬直させた。


「か……母、さ……!」

「帰るわよ。迷惑ばっかりかけやがって。どこまで手を焼かせれば気が済むわけ?」

「……っ、い、嫌だ……ぼく、は……」

「黙れ。口答えをするな。あたしを満足させるような出来の子供になってから言え。帰るわよ」

「はっ、はあっ……! ぅあ……!」


 胸を押さえ、呼吸を激しく乱すカイル。このままでは大変なことになると判断したシャーリィは声を上げた。


「……やめてください! カイルさんは……っ!」


 喉元に突き立てられるナイフに声を奪われる。


「抵抗すんなっつったろ? 殺すだけなら勿体ねぇ、この場で犯してやったっていいんだぜ」

「だからなんだっていうんです……! ハートリウムから解放されたばかりの患者様に、過度なストレスを与えないでください……!」

「っは、はあっ! ぁあっ……! あ……!」


 限界を迎えただろう。カイルの胸から光の珠が現れる。そのままベッドに倒れ込むカイルだが、彼の枕元にハートリウムが生まれた。

 シャーリィが対応したときと同じ色。彼女は息を飲む、このままではまずい。そう思っても動けない。


 母親は言葉を失くした息子と、その逃避先であるハートリウムを見るなり忌々しそうに舌打ちする。


「これにカイルの心が詰まってんだろ……?」

 ハートリウムを両手で掴み、高々と掲げる。

「やめてっ!」


 シャーリィの声に逆らい、ハートリウムを床に叩きつける。金属質な音が院内に響き渡った。これで人が集まってくるだろうが、問題はそこではない。

 ハートリウムはただ壊そうとしても壊せるものではない。物理的な衝撃には強い。ただ、今回の場合は苛立ちや憎しみ、なにより患者本人への人格否定を大きく孕んだ攻撃だ。剥き出しの心にそんなものをぶつければ、壊れるのも時間の問題。


 どれだけの時間保つかもわからない。一刻も早く止めなければいけないのに、首に突き付けられた殺意が動くことを許さない。ハートリウムへの攻撃は続く。


「こんなものっ! こんなものっ! 引き籠りの出来損ないがっ! あんたに幾ら金掛けたと思ってる! 少しは役に立て! ゴミ! 出来損ないの屑がっ! 役に立てないなら死ねっ! 死ねっ! 生まなきゃよかった! あんたじゃなけりゃ! もっと出来のいい子ならよかったんだ! 死ねっ! 死んじまえっ!」


 ハートリウムを殴り、蹴り、踏みつけ、負の感情を叩きつける。ハートリウムに亀裂が走ったのが見えた。


「やめてっ! これ以上は――」


 シャーリィの制止も効かない。ハートリウムの亀裂は瞬く間に広がっていき――粉砕した。

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