第20話:“クマバチの羽”

 エレベーターでユニット長エリアに到着、マリアの部屋のドアを叩く。


「失礼しまーす。マリア、カウンセリング終わったよ。これ、ハートリウム」

「お疲れ様です。本当によく頑張りましたね」


 マリアはハートリウムの様子を見て、感心したように息を吐いた。そんなにまじまじと見詰めるものでもないだろうに。


「あなたが触れたハートリウムは懐かしい色をしています、日が昇ることを予感させる素敵な色です」

「懐かしいって? なにを思い出してるの?」

「あなたの母親のことですよ」


 そうだ。パパとママは関係者だった。ママがカウンセラーなら、パパがガードだったということか。カウンセラーは女性が多いし、納得ではある。

 思えば、しっかりと両親の話を聞いたことがなかった気がする。マリアはティオよりも教えてくれるだろうし、聞いてみるのもいいかもしれない。と、思っていた。


「マリア、パパとママの知ってることを教えてくれる?」


 問いかけたと同時、マリアの表情が硬直する。なにかまずい質問だっただろうか? あたしには言えないことがある? さすがに考え過ぎだとは思う。なにを隠すことがあるというのか。一応実の娘なのだから好きなだけ話してくれればいいのに。

 強張った顔のマリアはかすれた声で問いかける。


「……何故ですか?」

「うーん、単純な興味かな。カウンセラーとガードだったことしか知らないし、どんな人だったのかを知りたいってだけだよ。いまどこにいるかもわからないし、死んじゃっててもまあ……会えないのは寂しいけど、受け入れられるし」


 もう十年以上顔を見ていないのだ、今更会えないことがわかっても少し寂しいだけ。それよりも知りたい気持ちの方が強かった。マリアは少し考えた後、目を伏せる。話していいのかを考えているのだろう。そんなに渋るようなことでもなさそうだが。

 やがてマリアが口を開く。子供の頃の宝箱を開けるような、懐かしむ声音で。


「あなたの母……パストさんは、あなたにとてもよく似ています。明るくて、天真爛漫で、仕事のことばかり考えているところが本当にそっくりです」

「ママも仕事中毒ワーカホリックだったんだ。血なんだね、これ」

「そうかもしれませんね。あなたの働きぶりを見ていると、かつての彼女が戻ってきたような錯覚を覚えてしまうほどです」

「へー……似てたんだ。仕事を見たわけでもなければ、顔も声も覚えてないのにね」


 血は争えない、ということだろうか。ママも誰かの為に動かずにはいられない人だったことが少し嬉しかった。繋がり感じられる気がして。顔に出ていただろうか、マリアが愉快そうに笑う。


「ただ、あなた以上に無鉄砲でした。ミライは“クマバチの羽”ということわざを知っていますか?」

「なにそれ? 聞いたことないかも」

「昔、クマバチが何故飛べるのかが解明できなかった頃の話です。体に対して羽が小さいクマバチが何故飛べているのか。『自分が飛べないことを知らないから飛べている』だなんて言われていました。転じて『できないと決めつけなければできる』ということわざになったんですよ」

「へえ、いいことわざだね。……それで、ママの話となんの関係があるの?」


 マリアの表情に影が差す。言いたくない、という気持ちが存分に伝わってくる。暗い話になるのだろうか? 話そうとしたのはそっちなのに、なにを躊躇することがある?

 固唾を飲んで続きを待つ。深いため息の後、衝撃の事実が明かされる。


「……『あたしは飛べないことを試さなかった、つまりまだ飛べないと決まったわけじゃない!』と言って本部の屋上から飛び立とうとしたり……」

「え?」

「『いまなら無限に仕事ができる気がする』と言って七日間不眠不休でカウンセリングに奔走したり……」

「ええ……?」

「とまあ、とにかく破天荒な方でした。本人曰く『限界なんて自分が決めるから生まれるだけ、人はどこまでも行けるしなんだってやれる』とのことでした」


 親近感を覚えるのもお門違いだったのかもしれない。想像以上に自由な人だったようだ。というか、人としてたががなかったのだろうか。衝動に素直過ぎる。

 いまここで実は死んでいた、と明かされてもなんら不思議ではない。それこそ隠しているなら、その気質が死因のように思えてならない。

 それでいてカウンセラーとして優秀だったというのだからよくわからない。人の気持ちに寄り添う力は確かにあったのだろうけど、幾らなんでも常軌を逸している。マリアが話すのを躊躇う理由もわかる気がした。

 この人に惚れたパパも実は相当変わり者だったのかもしれない。マリアが咳払いを一つして、続けた。


「あなたの父親、キョウさんはガードでした。ガードというより、パストさんのお目付け役という言い方が正しかったかもしれません」

「よかった、パパはまともな人だったんだ……」

「パストさんが無茶をするので私生活の全てを管理していたようです。食事の時間、量、仕事のペース、トレーニングの内容、睡眠時間、息抜きのタイミングなど……同僚からは『首輪兄さん』や『猛犬調教師』などと言われていました」

「まと、ま、まとも……まとも、かなぁ……?」


 歪な関係のように思えてならないのだが、お互いどこに惹かれ合ったのだろう。飼い慣らしてくれる相手と、放っておけないような相手だったということ? そこに愛はあったのだろうか。

 あたしの困惑が伝わったらしく、マリアも苦笑を浮かべていた。


「本人同士が納得して築いた関係ですから、深く考えるのも野暮ですよ」

「そ、そうだね……そっか、面白い人たちだったんだなぁ」

「そういう意味ではあなたとティオの関係に似ているかもしれませんね」


 くす、と微笑むマリア。確かにティオはあたしの保護者で、お目付け役という言い方も多少は当てはまる。実際のところは機能してるか曖昧なブレーキ、という方が正しいのだろうが。

 ティオは基本的にあたしのやりたいことを否定しない。仕事に行くと言えば、渋々ではあるが毎回ついてきてくれる。ふたりでひとりのカウンセラーなのだから、どちらかがいないと成立しないことを理解してくれている。

 一方、パパとママはカウンセラーとガードだ。パパがママの全てを管理していたのなら、やはりあたしたちとは微妙に異なるようにも思える。いまのあたしの仕事振りを見ても、ママよりはマシだと思ってくれるはずだ。ティオやアステルには苦言を呈されているものの、まだ常識の範疇であるようにも思えた。


「……それと、キョウさんにはお兄さんがいたんです。彼もまたガードだったんですよ」

「お兄ちゃんが? へえ、会ってみたいけど、まだ在籍してるの?」

「いえ、既に退職されました。理由は伺えませんでしたが、それからの消息はこちらでは追えませんでした」


 退職理由がわからず、その上で消息も不明と。どうもあたしの親族は行方を眩ますきらいがあるらしい。どこかで見守ってくれていたらいいな、という淡い期待を抱くくらいならいいだろう。


「お兄ちゃんはどんな人だったの?」

「口調こそ粗野でしたが、厳しくも優しく諭せる方でした。なぜカウンセラーにならなかったのか不思議なほど、心に寄り添い背中を押すのが上手だった印象があります」

「へえ、パパとは全然違う系統だったんだね」


 話を聞く限りパパよりは取っつきやすそうな人に思える。比較されることもあっただろうが、それでも自分を崩さずにママを飼い慣らしたことが、二人を結びつけたのだと思う。

 歪に見えても、そこにパパなりの愛情があったのならママにも伝わっていただろう。だから結婚し、あたしが生まれたとも言える。


 ――ふと、思う。愛情の果てにあたしが生まれたのなら。


「……家に帰らなかったのはどうして?」


 もっと愛してくれてもよかったのに。

 と、満たされることのない欲望が湧いてくる。仕事が好きだったのだと思うけど、あたしよりも優先することだったの? と。いつかのあたしが地団駄を踏む。

 マリアは思い出の箱から一つ摘まむ。過去を大切に撫でるような声音で告げた。


「二人は口を揃えて言っていましたよ。『ミライが胸を張って自慢できる両親にならなきゃ』と。仕事に奔走していたのは、あなたに素敵な両親だと思ってほしかったみたいですね」

「……そっか」


 あたしが誇れるような両親になりたかった。その気持ちは嬉しいし、あたしだって汲める。いまは。

 でも寂しいと感じていたのはいまのあたしじゃない。もっと幼くて、わがままも言いたかった頃のあたしだ。

 マリアの他には誰も聞いていない。だからこそ、あの日のミライが顔を出す。


「……たまには、家に帰って来てほしかったな。って思う。自慢なんかできなくたってよかった。ただ傍にいてほしかったなって、思うよ」


 愛情の実感がほしい。そう思ってもいまとなっては叶わない。パパとママはいなくても、親同然のマリアとティオがいるのだ。贅沢なことはもう言わない。

 マリアは言葉を失っているようだったが、いまの言葉は幼いミライのもの。いまのあたしの言葉じゃない。


「ま、いま言っても仕方がないし! あたしのことを想ってくれてたことがわかってよかったよ、教えてくれてありがとう」

「……いえ、とんでもないです」

「じゃああたし、ティオたちを迎えに行くよ。お疲れ様」

「はい、お疲れ様です」


 マリアの部屋を出て、エレベーターで降りる。その中でぼんやりと考えていた。


 ――マリア、話したくなかったのかな。


 問いかけたときの顔を思い出す。記憶のない両親について知りたいと思うのはおかしいことだろうか。

 あたし側ではなく、マリア側の気持ちだとは思う。それでも話している間は、愛おしそうな声音だった。マリアにとっても大切な記憶、思い出ではあるのだと思う。

 話したい気持ちはある。でも、あたしには話しにくかった? 彼女の気持ちがよくわからない。あたし、もしかすると人の心に寄り添う力が足りていないのかもしれない。


「……まあ、考えるのはやめとこ。馬鹿は体動かして社会貢献だ」


 ティオの嫌味さえ糧にすればいい。余計な思考の暇もないほど忙しくしていれば、胸にもやがかかることもない。パパとママたちが胸張れるくらいのカウンセラーになればいい。

 セントリアの街並みを見下ろしながら、決意を改める。あたしはあたしにできることをするだけ。迷う必要なんて、これっぽちもないんだ。

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