第19話:空虚な手

 カイルさんのカウンセリングから数日経ち、いつも通りの穏やかで忙しない日々が帰ってきた。

 あたしは入院患者棟の廊下を駆け足で行く。ある一室の扉を開け、声をかけた。


「カイルさーん、遊びに来たよ」


 今日のカウンセリングを終え、本部に戻ってきたあたしたち。報告は後回しにし、カイルさんの病室へと足を運んだ。


 症状の強さもあって、不慣れな環境に一人でいさせるよりも、接点のあるあたしたちが顔を見せた方が安心できるだろうという計らいだった。

 カイルさんはあたしたちの顔を見るなり、どこか居た堪れなさそうな表情を見せている。


「毎日来てくださってありがとうございます。でも、大丈夫なんですか?」

「え、なにが?」

「患者と、その……交流することは……」


 言われてみればその通りである。ほとんどの場合、ハートリウムから解放された患者のことは入院患者棟の管理人に任せている。カウンセラーと患者が密に交流することはないのだろうと思う。

 ただこれはマリアに相談した上で許可をもらっていることだ、彼が心配することはなにもない。

 ニッ、と笑顔を見せておく。なにを思ったか、カイルさんは笑うだけ。


「はは……カウンセラーって、なんか、意外です」

「意外? なにが?」

「その、カウンセラーの人って、もっと事務的だと思ってました。上辺だけの言葉でとりあえず心を連れ戻してると思ってたので」


 そう思われていたのであれば、カウンセラー側からもっと働きかけるべきだと思う。幾らなんでも誤解され過ぎだ。

 マリアに相談してレクリエーションでも実施してみるのはありかもしれない。もっと親しみやすいというか、カウンセラーだって人間だと知ってもらう必要がある気がした。

 カイルさんの言葉に最初に反応したのはティオだった。


「ハッハッハ、こいつが特別おかしなカウンセラーなんだ。ちなみにミライは無趣味でね、人と接点を持たないと仕事ばかりする寂しい生き物なんだ。キミさえ良ければ構ってやってくれないか?」

「一言も二言も余計なんだよね、可愛くない猫ちゃんだこと!」


 喋る猫という点でさえ珍しいのに、あまつさえこんなにも皮肉屋と来たものだ。こんなに可愛げのない猫なんて早々出会えないだろう。

 とは思うのだが、出会う人たちは皆、彼が喋ることに対して特に触れてこない。あたしが知らなかっただけで、猫は本来喋る生き物なんだろうか? あたしだけが猫の声を聞こえていないのではないかと錯覚してしまうほど、ティオの存在は当たり前のように人間社会に溶け込んでいる。ありもしない魔法の存在さえ信じかけてしまう。


 あたしたちは極めて平時通り。カイルさんもそろそろ見慣れてきた頃かとは思うのだが、まだ苦笑を浮かべていた。


「あはは……是非、お話聞かせてください」

「違うよ、カイルさんが話してよ。あなたのお話が聞きたくて来てるんだから」

「え、僕が……?」


 そう、なにもカウンセラーの仕事について語りに来ているわけではない。カイルさんに話してもらうことが大切なのだ。

 ハートリウムが生まれるということは、胸の内に秘めたり、抱えてしまう傾向が強いとも言い換えられる。自分の内側にあるものを少しずつ、外に発散、発信していく練習が必要だ。


 とはいえ、それを直接伝えても逆にプレッシャーを与えてしまう。漠然と、話してと言うのも悪手ではあった。こちらから話させた方が彼の荷も下りるだろう。


「この間、リハビリ室で漫画読んでるの見たよ。なに読んでたの?」

「ああ、あれは……なんてタイトルだったかな、ラストレター、だったような……」

「あっ! それは知ってる! あたしも読んだことある!」

「そ、そうだったんですね。……ちなみに、どこまで?」

「既刊は全部読んでる!」


 どんな話にも対応できる、だから好きに話していいよ。

 立てた親指で合図を送るが、うまく伝わっているだろうか。カイルさんは言葉を選んでいるようで、口から音が漏れている。あたしは言葉を待つだけだ。なにを言ってもうまく話せる自信がある。


 普通の人って、こうやって仲良くなるんだろうなぁ。なんて思う。いかに自分が仕事ばかりしていたかを実感し虚しくもなるが、患者の前でそれを出すのはカウンセラーとしてナンセンスだ。

 少しして、カイルさんが語り始める。


「……僕、主人公の相棒が好きで」

「あ、鳩のでしょ。生真面目でガミガミ言うの、ティオみたいだなって思いながら読んでた」

「おい、俺に似てるのはガミガミ口煩いところだけだろうが」


 生真面目だとは思っていない辺り、しっかり自己分析ができているのはいいこと。カウンセラーとしては駄目なところでもあるのだが。

 カイルさんは続ける。少しだけ声音が弾んでいるのがわかった。


「口煩いのはそうなんですけど、愛情があってすごく好きです。主人公が破天荒っていうか、結構やんちゃじゃないですか」

「そうだね。ルールより気持ち優先しちゃうタイプだと思う。だからこそお客さんからありがとうって言ってもらうシーンも多いよね、怒られるシーンはもっと多いけど」

「あはは、確かに。でも、鳩はわかってるんです。そうした方がいいって。ただ、ルールは守るものですから。板挟みになっちゃうんですよね」

「困ってる場面も多いけど、なんだかんだ主人公がお客さんに寄り添ってるのはわかるから黙認しちゃうんだよね。一緒に怒られてるシーンもよく見るし」

「はい。それがすごく素敵だと思いました。ルールよりも大切なものがあるって教えてくれる感じがして」

「うん、あたしもそう思う。ルールに則るのが絶対正解ってわけじゃないんだよね。人間相手の仕事だとさ……」


 ――まただ。


 こうして会いに行くようになってから、カイルさんの表情は目に見えて明るくなった。まだ困った様子も見受けられるか、年相応の顔を見せてくれるようにもなっていた。喜ばしいことだと思う。


 その反面、こうして話しているときにふと見せる顔がある。あたしと目が合っているのに、どこか遠く、ずっと遠くを見るような顔をすることがある。決して前向きなものではなく、どれだけ藻掻いても掴めないものに手を伸ばすような、諦めと虚しさが滲む表情。


 なにがそうさせているのかはわからない。ただ、敢えて触れて彼の心を乱すことも躊躇われた。いつも通りの顔で問いかける。


「どうかした?」

「あ……いえ、なんでもないです。むしろ、どうかしましたか?」

 自覚がない? あるいは、隠そうとしている?

 現実世界でなら幾らでも繕える。本当に、カウンセラーはハートリウムの中でしか仕事ができないのだと実感する。こういうのはむしろティオの方が目敏くはあるのだが、彼はなにも言わない。見ていなかったのか、知らぬ存ぜぬを決め込んでいるのか。

 なんにせよ、一旦ごまかした方が良さそうだ。口元を手で隠し、大袈裟に表情を歪める。


「……もしかして、買い食いしたのバレた? と思って焦っちゃったよ。あ、マリアには内緒だよ」


 人差し指を唇に添える。ごまかしたのが見透かされたとは思えないが、カイルさんは一瞬言葉を失った。表情も依然、どこか怯えた顔のまま。

 しかしすぐに表情を緩め、ふっと笑みを湛える。普通に笑えるようになっただけでも経過は明るい。


「はい、内緒です」

「こら、患者にしょうもないものを背負わせるな。そろそろ報告に行ってこい。俺は適当にふらついてくる」

「はぁーい、わかったよ。カイルさん、さっきのは忘れていいからね。またお喋りしようね!」

「はい、また。お疲れ様です」


 控え目に手を振ってくれるようになったのもカウンセラー冥利に尽きる。

 もう少し様子を見てもいいとは思うが、その辺りはマリアに相談した方がいいだろう。あたしたちは駆け足でユニット長エリアへと向かった。

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