第16話:力の使い方
一夜明け、包帯も外れた。すっかり心身休まったあたしは大きく伸びをする。
「んー! 快調、快調! よく寝た!」
「驚いたな、一日で回復するものなのか……」
「アステル、こいつは俺たちと違って体力が馬鹿なんだ。この調子だとすぐにでも仕事を探しに行くぞ」
呆れた様子のふたりは言いたい放題である。仮にも昨日怪我人だった人間だ、もう少し優しくされたいと思ったってバチは当たらないと思う。
実際、ティオの言う通り。あたしはすぐさまマリアの部屋へ行こうとしていた。カイルの件もあり、誰かに引き継ぐよりあたしたちが継続して対応した方がいいと考えていた。シャドーの様子を見る限り、初見で対応できるカウンセラーは限られるだろう。それこそベテランか、一度相対した者でなければ難しいはず。
一晩休んで、心身ともにスッキリできた。あたしたちに怖いものはもうなにもない。やる気に満ち溢れている。歩き出したと同時、腹の虫が大きく鳴いた。なるほど、心と体が乖離することもまあまああるらしい。アステルもティオも苦笑いだった。
「まあ、仕事に行く気なら止めないよ。本部内でのカウンセリングなら俺は暇になるけど、傍にいるから」
「俺もしっかり備えておくとしよう……ああ、本当に束の間だったぜ……」
「ふたりともありがとう。まずはご飯だ! 食堂行くよ!」
ティオとアステルを連れて行進を始める。
入院患者用の棟はハートとスペードの棟の間にある。また、連絡通路で繋がっていることもあり、早急にカウンセラーが向かう必要がある場合は
あたしが収容されていた部屋は四階だったようで、すぐに自室に戻ることができる。ハート棟の中を患者衣で歩き回っていいかはさておき、そのままエレベーターを使って食堂へ。
食堂は各棟の一階にあり、現在時刻は午前九時。だいたいのカウンセラーはもう起きて仕事を始めている頃だ、人の姿はまばらである。キッチンに立つ女性に元気に声をかける。
「おばちゃーん、ご飯!」
「ミライちゃん、おはよう。体はもう大丈夫なのかい?」
「うん、すっかり元気になった! あたしとアステルの分と、ティオの餌もお願いします!」
「はいはい。席について待っててね」
「はーい!」
この食事が毎度楽しみなのだ。栄養バランスが考えられたメニューもあるが、あたしは決まってボリュームたっぷりで食べ応えのあるメニューを選んでしまう。
そわそわしながら待っていると、テーブルにはずらりと肉料理が並んだ。腹の虫が早く食わせろと唸りをあげている。これにはアステルも苦笑気味だった。
「朝から食べる量じゃないと思うけど……」
「これがこいつの動力源だと思うと、あの馬鹿みたいな勤務状況にも納得がいくだろう」
「確かに。エネルギーは十二分って感じだな」
「ほら、手を合わせて。いただきます!」
感謝の気持ちは忘れてはいけない。挨拶をして、食事にありつく。ご飯を美味しく食べられることの幸せはしっかりと味わわなければならない。これは生きている者の責務でもあると思う。
アステルとティオも食事をしているが、極めて控え目だ。特にアステルはあれだけ体を動かせるのに、どうやって体力を工面しているのだろう?
「意外と小食なんだね、アステル」
「そうか? まあ昨日の今日だからな」
「昨日の今日って?」
「……いや。ミライがいいならいいんだ、うん。俺が気にし過ぎなんだと思う」
なにか言いたげではある。あたしがいいなら、ってどういうことだろう?
首を傾げるあたしを見て、ティオがニタッと笑みを浮かべた。いたずらする気だ、これ。しかもターゲットはあたしじゃない、アステルだ。
「『散々心配かけておいてよくそんなに呑気に飯が食えるな。人の気も知らないで』ってこった。鈍感は得しかないわけじゃあねぇんだ、わかったか?」
「ティオ! 俺はそこまで言ってないぞ!」
「ハッハッハ、悪かったな。お前のそういう顔を見られて嬉しいよ。アステル」
「からかわないでくれ、まったく……」
居た堪れなさそうなアステルも珍しい。最近少し表情がほぐれているように思える。いいことなんだろうけど、本人はあんまりよく思っていないのだろうか。
食事はしっかり摂らなければ仕事にも支障が出る。朝昼晩、一日三食は心の健康においても貢献する。仕事漬けでも心を病まないのはこれが大きい要素のように思えた。
あっという間に平らげ、手を合わせる。
「ごちそうさまでした! ふたりも食べ終わってるね」
「俺たちと同じタイミングで食べ終わるんだな……あの量で……」
「アステル、深く考えるな。もうなにも言うな。こいつはそういう生き物なんだよ」
あたしのことを化け物かなにかだと思っているのか。まだまだ若者なのだ、あれくらいの量ならぺろりと平らげておかしくない。アステルだってできるはずなのに。不当な扱いに唇を尖らせる。
そのとき、背後に人の気配を感じた。振り返ると、マリアが立っていた。いつもの穏やかな笑みを湛えている。
「おはよう、マリア」
「おはようございます、ミライ。昨日は大変な目に遭いましたね、具合はいかがですか?」
「ばっちり元気だよ、ご飯もいっぱい食べたしね」
「それはなによりです」
マリアは安心したような息を漏らす。本当にたくさんの人に心配をかけていたのだと自覚する。誰が悪いということもないのだが。
「そういえば、カイルさんを本部で保護したんだよね? ご家族様はどうなったの?」
まともな精神状態ではなかったとしても、灰皿で頭部を殴り、流血までした以上は傷害罪に当たるはずだ。アステルが抑え込んでくれていたようだが、証言も含めればなにかしらの刑罰は免れないだろう。
マリアは重々しく口を開く。
「さすがにこちらとしても看過できず、通報はしました。いまは取り調べを受けているところでしょうが……お金の力で揉み消される可能性もゼロではありません。家柄が家柄ですからね」
「うーん、お金ってすごいね。なんでも叶えられちゃうんだ」
「強い力も使い手次第だぞ」
アステルの声は低い。きっと過去を思い出しているのだと思う。どれだけ力を持っていても、持ち主次第で脅威にもなり得る。
誰かを守るために使うのか、自分を守るために使うのか。小さな違いのように思えるが、その差は歴然だ。今回のケースならば、十中八九自分のために使うだろう。
お金に限った話ではない。カウンセラーは異質な存在ということもあり、力の使い方にはくれぐれも注意しなければならない。心に触れることを許された以上、壊すことだって容易なのだから。
マリアの表情は依然晴れない。暗い面持ちで語りかけた。
「ミライ。急ではありますが、あなたにお話があります」
「カイルさんのことだよね。大丈夫、あたし行けるよ。他の人に任せるのも危険だしね」
「『俺たち』な。ああ、もう腹を括ろう……」
あたしたちはやる気だ。マリアだってそのつもりで話を振ってきただろう。あたしたちの顔を見て、わかっていたとでも言いたげに目を伏せる。
「……話が早くて助かります。カイルさんは入院患者棟の三階にいます、すぐにでも向かってあげてください」
「わかった。ティオ、準備はいいね?」
「お前の準備が整ってないだろうが。一旦部屋に戻るぞ、患者衣でカウンセリングなんざ格好つかねぇからな」
ご尤もである。心が体を置き去りにする、なんて妙な話である。ひとまず着替えなければいけないか。
「じゃあマリア、アステル。あたしたち行くよ」
「ええ、お願いします」
「俺も用意して備えておくよ。なにが起きてもおかしくないからな」
二人に見送ってもらい、自室へ向かう。
――必ず助けてあげるからね。
話したこともない、どこかの誰かでしかなかった存在。そんな人々に手を差し伸べるのがあたしたちの仕事。
つらくて、苦しくて、心を閉ざしてしまったとしても。あたしたちが肩を貸してあげるんだ。また歩き出せるように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます