第15話:“あなた”はどこに

 カウンセラー本部の頂はユニット長のエリアとなっている。カウンセラーがここを訪れるのは報告であったり、あるいは呼び出しがかかったときくらいのもの。それぞれが所属するユニット長の部屋以外には基本的に立ち寄らない。

 正確には、立ち入ることができない。このエリアにはユニット長専用のパスが必要になるからだ。ハート・ユニットの長であるマリアは制限区画の廊下を歩いていた。


 照明は足元にしかなく、暗い。ヒールが床を叩く音が不気味に反響している。薄暗がりの中、彼女が辿り着いたのは長い廊下の最奥。一枚のドアだった。

 専用のパスコードを入力し、ドアが自動で開く。部屋の中は白く、乳白色の照明で優しく照らされていた。三台のベッドにそれぞれ人が横たわっている。皆一様に目を閉じ、穏やか寝息を立てていた。

 真ん中のベッドには女性が眠っている。真っ赤な髪をしており、面立ちも整っている。年齢は四十代に差し掛かろうとする辺りだが、衰えを感じさせない強さが感じられた。

 右側には男性。枕元には眼鏡が置いてあり、こちらは真っ白な髪。凛々しい顔立ちは彼の聡明さを素直に表していた。年齢は女性と同じ年頃、あるいは少し下に見える。

 マリアは二人の間に腰掛け、本を読み聞かせるように語り出す。


「今日は謝らなければいけないことがあります」


 そう呟くマリア。静かに寝息を立てる二人には、当然聞こえるはずもない。それは彼女もわかっている。構わずに続けた。


「ミライが怪我をして帰ってきたんです。命に別状はありませんでしたが、頭から血を流していました。もっと気を付けて、守ってあげなければならないと強く感じました」


 ぎゅっ、と拳を握る。後悔は爪を立てて胸を引っ掻く。自分が保護しなければ。あの子にカウンセラーの道を示さなければ。あまつさえ資格を与えなければこんなことにはなっていなかったのかもしれない。

 その想いとは裏腹に、活き活きと仕事をするあの子のことは話したかった。さも愛娘のことを自慢気に語る親のように。


「あの子は本当に働き者です。人手不足はいまも変わりませんが、率先して仕事を引き受け、着実に実績を積んでいます。勿論、あの子一人での活躍ではありませんが。……話したこともありますね。あの子はふたりでひとりのカウンセラーなんです。前代未聞ですよ」


 くす、と笑みが漏れる。エピソードに関しては枚挙にいとまがないが、あまり長居をするのも良くないと判断しただろう。マリアは女性の頬を撫でる。


「あなたに似たのかもしれませんね。快活で、無邪気で、天真爛漫なところがそっくりです。自分のことを顧みずに誰かを救おうとするところも。まるであなたの仕事振りを見てきたかのような働き振りですよ」


 反応はない。一定のリズムで寝息が返ってくるばかり。都合よく解釈することなど自分にはできないと、苦笑を浮かべた。

 反対側を見やる。男性もまた、静かに呼吸を繰り返すだけ。両者に言えることだが、命はある。続いている。ただ、この体には大切なものが欠けている。それだけの話なのだ。


「あなたはミライを咎めるかもしれませんね。医者の不養生だ。よく寝てよく食べてよく働けと、口酸っぱく言っていましたから。けれど、あの子にもそういう存在ができましたよ。猫ちゃんなんです。しかも人間の言葉を話せるんですよ」


 猫が、しかも人語を解する猫が相棒だなんて聞いたらどんな顔をするだろう。安心して任せてくれるのか、あるいはさらなるお目付け役として君臨することになるか。

 あの猫もため息が増えるかもしれない。苦労をかけているのはあの子にも猫にも言えることだったようだ。一蓮托生という言葉が思い浮かぶ。


 ――そう、あの子は様々なものを自身に結びつけ、いまを生きている。相棒も、患者も、同僚も。誰もがあの子との繋がり救われて、あの子もまた結んだ縁に救われている。


 だからこそ、彼女もまた救われるべき一人のはずだ。反対側のベッドに横たわる一人の少女。朝を迎える空から色を奪い取ったかのような、綺麗な短髪。どれだけ櫛を通しても跳ねてしまう髪の毛は生来の気質の表れのように思える。年の頃はミライと同じくらい。一向に目覚める気配がないのはこの二人と共通している。


 しかし不可解な点が一つ。彼女の枕元にはハートリウムがあったこと。これだけならばなにもおかしなことはない。


 このハートリウムが、少女のものならば、なにもおかしなことはなかったのだ。


 どことなくミライの面影を感じる顔に、そっと手を添える。


「……何故、ミライのハートリウムが“あなた”の傍にあったのでしょうね」


 名前はおろか、身元の一切が不明な少女。永い眠りに就いて十年が経った。当時は未熟だった体もすくすくと成長している。十年という歳月が経過したのに、心はいまだ在るべき場所に帰る様子もない。心の在処がわからぬままでも生きてはいる。この世界のどこかで、彼女の心は生きている。それしか情報がない中で安心することは当然できない。


 また、彼らの消息についても明かすことはできない。例え問われたとしても、隠す必要がある。無闇に混乱を招くことになりかねない。特にミライは深く思い悩むことになるだろう。

 名前も知らない誰かを救うのがカウンセラーの仕事。だが、この少女の心はハートリウムの中にない。ここにないのであれば、いったいどこに彼女の心があるというのか。


「……“あなた”はいま、どこにいるのですか?」


 答えを持たない生ける屍は、安らかな寝息を繰り返すだけだった。

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