第14話:守れなかったもの
「……? ん……あれ……?」
目を開けて真っ先に飛び込んできたのは白一色の天井。ここはどこだろう。
体を起こして辺りを見回すと見慣れないベッドと、あたしの部屋にはない棚やカウンセラー本部の施設マップなどが目に入る。入院患者用の部屋であることがわかった。
意識はまだぼんやりしている。ずきんと側頭部に痛みを感じた。手を添えると包帯が巻かれている。
なんで包帯? 怪我でもしたのだろうか。いったいどこで、なぜ?
記憶が曖昧だ。カウンセラーの仕事を貰って、一番街に行って、カウンセリングして、シャドーと対峙して……それから?
頭を抱えていると、部屋のドアが開く。心配そうな面持ちのアステルとティオがいた。ひらりと手を振って、心配ないことを伝える。アステルはあたしの顔を見るなり、その場に崩れ落ちた。
「ミライ、目が覚めたか……よかった」
「ごめんね。心配かけちゃった?」
「当たり前だろ……守れなかったんだから」
気のせいか、声が震えているように聞こえる。まさか泣いているのか? アステルが?
信じられないが、彼は真面目な性格だ。自身の役割を果たせなかったことを悔やんでいるのかもしれない。安心させてあげるのが吉か。
「大袈裟だよ、大丈夫。アステルはなにも悪くないよ」
「違う。俺が悪いんだ。ガードの役目を果たせなかった。怪我までさせたんだぞ。こんなこと二度とあっちゃいけない。許されないことだ」
「こんなこともあるよ、大丈夫だよ。そんなに思い詰めないで」
「……大丈夫じゃないんだよなにも!」
胸が痛んだ。それくらい、切実な叫びだった。アステルのこんな声を初めて聞いたかもしれない。どうしてこんな声が出る? なにが彼をここまで追い詰めた?
ガードという仕事に対して誇りを持っていることはわかる。わかるのだが、たった一回仕事を果たせなかっただけだ。あたしたちにだってそれくらいある。先輩のフォローが必要になることも何度もあった。
アステルがこんなに落ち込んでる姿を見るのは苦しいし、なんとかしてあげたい。ひとまずベッドから降りて、彼の頭を撫でる。
「アステル、大丈夫なんだよ。アステルはちゃんとあたしを守ってくれてるよ」
「……守れなかったよ、俺は」
「守れたよ。だってあたし、生きてる。アステルの頭を撫でられてるし、抱き締めることだってできる。それはアステルが守ってくれたからなんだよ」
アステルは顔を隠す。鼻をすすっているから、本当に泣いているんだろう。その姿を格好悪いとは思わない。それだけガードという仕事に本気で取り組んでいることの証拠だから。
アステルはいまだあたしの言葉を受け入れようとしない。自分を責める気持ちを拭い切れていない。
「……やめてくれ」
「やめないよ。アステルがいなきゃ、あたしはいまここにいないかもしれない。アステルはちゃんとあたしを守ってくれたよ。ありがとう、アステル」
「礼なんて要らない。もらう資格がない。俺は……」
「あーもう! めそめそしないの!」
アステルの手を強引に退かし、真っ直ぐに目を見詰める。涙でぐちゃぐちゃになった顔を初めて見た。いつもの無愛想な顔はどこにもなく、悔しさと情けなさの滲む顔をしている。
その顔を誰が笑うものか。恥ずかしいことでもなんでもない、仕事に本気な人を笑うことなんてできるわけがない。あたしはそのまままくし立てる。
「アステルのおかげなの! あたしがそう言ってるんだからそれが正解なの! いまここで後悔を続けたって過去は変わらないんだから! 二度と起こさないように頑張って! いい!? わかった!? 返事は!?」
気圧されたようなアステル。自責の念は顔から消えない。それでも、あたしがここまで言っているのだ。彼も渋々頷くしかない。
「……わかったよ」
「よーし、いい子! もう泣かないね!」
「泣かないよ。こんな情けない顔、二度と見せるもんか」
「いっぱい格好つけてね、約束だよ!」
すくっと立ち上がるが、突然頭がぐらつく。倒れそうになったところをアステルが抱き留めてくれた。
静観していたティオが「やれやれ」と深いため息を吐いた。
「ミライ、無理をするな。頭から血を流してたんだぞ」
「血? って、そうだカイルさんは? カウンセリングしてたはずだけど……」
「ご家族様がしびれを切らして乗り込んだんだ。俺の制止も振り払って、灰皿でミライの頭を殴った。カウンセリングが急に終わったのもそのせいだろう」
殴られた? 灰皿で? よく生きていたと思う。
ティオが落ち着いてくれていたことと、応急処置をしてくれたことがよかったのだろうと思う。
ティオはアステルの肩に飛び乗り、頭を撫でてやる。
「アステルに礼を言おう。すぐに対応してくれて助かったよ」
「別に俺は……いや、そうだな。なんにせよミライが無事てよかったよ」
あたしの言葉が効いたのか、アステルは素直に受け止めた。まったく、心配をかけさせないでほしい。あたしが言えた義理じゃないけれども。
アステルの肩を借りてベッドに戻る。カウンセリングが中断されるほどの衝撃だったが、患者本人はどうなったのだろう? あのまま家に残されていたのなら、本人の体もそのうち傷つけられてしまうかもしれない。
不安を察してか、ティオが口を開いた。
「患者――カイルの体とハートリウムは本部の連中が保護したようだ。いまは個室に隔離してあるし警護も強化されている。モンスターが侵略してきても患者までは辿り着けないだろう」
「そっか、よかった」
「少しは自分の心配もしてくれ。こっちの身が保たない」
呆れたような声を出すアステル。心配してくれているのはわかるが、あたしはカウンセラーなのだ。自分の身と患者の心を秤にかけること自体ナンセンスだと思う。
などと言ってはまた説教を食らってしまうかもしれない。受け止めだけはしておこう。
「アステル、マリアに報告を頼めるか? ミライが意識を取り戻したことと、今回のカルテも書いてくれただろう。ミライは動けないからな」
「え、アステルがカルテ書いたの?」
「代筆だよ。ティオから聞いた話を代わりに書いただけ。じゃあ行ってくるから、ミライは大人しくしてるんだぞ、いいな」
「わ、わかってるよ……なんでみんな揃って釘刺していくの……」
「ハッハ、信用がねぇんだお前は。俺を見習え」
「はいはい、そうだね。ティオからは学ぶことがたくさんあるね、御見それします」
弱った愛娘に対してもこの調子である。ティオだけは変わらなくてよかった。この嫌味もいまは心地良く思える。
「じゃあ俺は行ってくるよ。ミライ、ティオ、お疲れ様。いまくらいゆっくり休んでくれよ」
部屋を出ていくアステル。彼の背中を見送り、静けさが戻ってくる。
「……泣いてるアステル、初めて見たね」
「そうだな。思うところがあったんだろう。俺にはなんとなくわかるがね」
「ティオにもわかるの? 守れなかった悔しさ、みたいな話だよね?」
「ああ、わかるとも。俺も似たようなものだからな」
「ふーん……野良猫ちゃんを口説いたけど、他の野良猫に盗られたとか?」
「概ね間違っちゃいないな、ハッハッハ」
また適当なことを言っているだけだと気付く。真に受けたあたしが馬鹿だった。
しかし、患者はどうなるのだろう。あまり時間はかけられないとマリアも言っていたし、それにもう五回目のカウンセリングだ。シャドーに
とはいえ、あそこまで育った他責型のシャドーを他のカウンセラーに任せるのは酷なようにも思える。もう一度あたしがカウンセリングするべきではないか? それもマリアに打診した方がいいかもしれない。
ベテランのカウンセラーはもう帰っているのか? そもそも代筆とはいえティオの言葉で書かれたカルテは正確な情報か? 気になることが多すぎる。
「ミライ、考えるのはやめておけ」
あたしの思考を覗き込んだかのように、ティオが口を開いた。
「どうして?」
「お前は少し休むべきだ。俺が休みたいからとかじゃあねぇ。本当に働き過ぎだ」
確かにティオには無理させていたとは思う。だけど、まだあたしは動ける。今回は直接的な妨害があったから中断せざるを得なくなったが、カイルさんのカウンセリングはあたしが継続するべきだと思う。
マリアだってそう言うだろう。シャドーと対面し、交戦に至ったのであれば一度対峙しているあたしたちが適任のはずだ。
だがティオの言い分は違うらしい。そうじゃないとため息を一つ。
「なにがお前をそこまで駆り立てるのかはわからん。だが、心が先走り過ぎているのはわかる。だからこそ、少し休むべきなんだ。走り続けるだけじゃあいつかバテて倒れちまう。そうなったら、お前が救うはずだった患者を誰が救うってんだ?」
いつもとは違う、諭すようなティオの声。あたしが倒れたら、誰が患者を救うのか。冷静に考えれば他のカウンセラーが救うことはわかる。ただ、そう考えたときに胸騒ぎがした。それをあたしは、あたしの心は善しとできるのか?
胸のざわめきが答えだろう。それは嫌だと感じている。あたしが全ての患者を救いたい、とでも思っているのだろうか。傲慢甚だしい。ただ、心は嘘を吐けない。あたしが救うはずだった心を、他の誰が救うのは嫌だ。これが本音だ。
だとしたら、やはりティオの言う通りなのだと思う。倒れる前に休む。限界が来て、倒れてから後悔するのは無駄な時間だ。いたずらに心を傷つけるだけ。
「……わかった。ティオの言う通りにする」
「素直でよろしい。たまには撫でてやろう」
珍しくティオが撫でてくれる。普段が普段だから、急に甘やかされると反応に困ってしまう。
まずは休養。しっかり休んで、次の仕事に臨まなければ。カイルさんのことは気掛かりだが、そうも言ってられない。あたし自身が万全でないと、カウンセリングもうまくいかないからだ。
そのときドアがノックされる。誰かと思えば、シャーリィと彼女のガードだった。
「ミライ……! 目が覚めたんだね、よかったぁ……!」
「シャーリィも知ってたんだ。心配かけてごめんね、あたしは大丈夫だよ」
ぐっ、と力こぶを作ってみせる。笑顔も忘れずに。しかしそれで安心するほどシャーリィは単純ではない。あたしの傍に駆け寄り、手を握った。目には涙を浮かべている。みんな心配し過ぎではないか? つい苦笑してしまう。
「怪我したって聞いた……! 大丈夫? 痛くない?」
「あはは、大丈夫だよ。元気、元気。正直、カウンセリング中だったから痛みとかは感じなかったしね。動揺しただけだよ」
「本当? 本当に大丈夫?」
「大丈夫だってば。むしろシャーリィがこうならなくてよかったよ。頑丈なあたしだったからラッキーだしセーフだったと思う」
あっけらかんと笑ってみせて、ようやくシャーリィも安心したようだった。安心というより、信じたいだけなのかもしれないが。
二人にも経緯を説明する。途中からはティオが補足してくれたが、シャーリィもガードも青ざめていた。まさか直接危害を加えてくるとは思わなかったのだろう。あたしだって想定外ではあったが、現実に起こってしまったことなのだ。どうすればよかった、などと話すのも無駄である。
「とまあ、こんな感じだ。なあ? ミライで良かっただろう。頑丈なやんちゃ娘だ、少しは頭も冷えただろうから都合が良かったな」
「良かったとは到底思えませんが……シャーリィだった場合のことを考えるとゾッとします」
「ミライだったことにもゾッとしてるよ……」
「二人は優しいね。さっきのティオの優しさは幻覚だったのかな」
「かもしれんなぁ」
全く白々しい猫である。
とはいえあまり心配をかけ過ぎるのも良くない。どうすれば心から安心して貰えるのか。必死に頭を捻って考えて、ある結論に至る。
――そうだ、仕事の話をしなければいいんだ!
あたし自身は腑に落ちていないのだが、これが一番安心させられる方法だと思う。カウンセラーなのに、どうしてこんな方法でしか同業を安心させられないのか。日頃の行いと言われればそれまでである。
「えー……っと、えっと?」
考えて、気がつく。仕事以外の話って、なんだ? なにをすればいい? まだ頭が回っていないのか、それとも元々引き出しがないのか。なにか言わなければ、と思えば思うほど意味のない音だけが漏れていく。なにか言いたげなのは伝わっているのか、みんなはあたしの言葉を待っている。
それが余計にあたしを焦らせる。なにか、なにか言わなければ。頭がぐるぐるしてきたところで、ティオが「ほれ」と手を叩く。
「こんなんでも怪我人は怪我人だ、そろそろゆっくりさせてやってくれ。心配してくれたことには礼を言っておく」
「う、うん。わかった。ミライ、お大事にね」
「自分からも礼を伝えさせていただきます。お二方、ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます」
「大丈夫、少しゆっくりしてみるよ。二人とも、お見舞いありがとうね」
手を振って二人を見送る。残ったのはあたしとティオだけ。しばらく沈黙していると、ティオが鼻を鳴らした。嘲るように。
「仕事以外の話の引き出しも持っておくべきだったな」
「ティオにはなんでもお見通しかぁ。もしかしてあたし、仕事しかしてない?」
「ようやく自覚したか、馬鹿め」
やれやれと肩を竦めるティオ。仕事しかしていないのなら、そりゃあ疲れもするか。あたしが元気過ぎるだけだったようだ。
「マリアから仕事についての連絡もあるだろうし、それまでは休もうかな。なんか落ち着かないけど」
「慣らしていけ。動いた分は休まなきゃならねぇんだ。人間も猫も同じだぞ、そこは」
「そうするよ。もう少し眠るから、ティオは好きにしてて」
「言われなくてもそのつもりだ。じゃあな、勝手に動くなよ」
どうもあたしの周りは釘を刺さずにはいられないらしい。それだけ無茶をしていたということの証拠でもあるのだが。
ティオの姿が見えなくなり、一息。ゆっくり横になったのもいつ振りだろう。カウンセラーになってからは仕事のことだけを考えていた気がする。
――思えば、どうしてカウンセラーになりたかったんだっけ。
そんな当たり前のことさえ思い出せないほど仕事漬けだったと捉えるべきか。まぶたを閉じ、眠りに就く。良い夢を見られますように。と呟きながら。
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