第13話:死角

「いない……」


 校舎の一階まで来たものの、シャドーの姿は見当たらなかった。あれだけの存在感だ、気づけないわけがない。いったいどこでなにをしている? グラウンドにもいた痕跡がないのは不自然だ。

 警戒も怠っていなかった。なのにどうして見つからないのか。どこを見逃しているのだろう。


 シャドーは心の一番強い感情が形になったもの。他責型のシャドーだ、本質は“自分以外の誰かへの怒り”のはず。下手に患者の心を刺激するのは禁忌とされているが、シャドーをおびき出すためになにか手を打つ必要がある?


「ミライ、妙なことを考えるのはやめておけ」


 ティオには見透かされていたようで、諭すような声音で続けた。


「あれだけ感情が肥大化しているんだ。これ以上刺激を与えればどうなるかわからん。俺たちで五人目なんだ、慎重に動くにこしたことはない」

「そう、だね。急ぎ過ぎか……」

「焦る気持ちもわかるがな、俺たちの焦りは患者の心にも伝わる。どっしり構えていろ」


 その言葉に冷静さを取り戻す。あたし一人ではどうなっていたかわからない。こういう至らなさもまた、ふたりでひとりのカウンセラーである所以なのだと思う。

 校舎の中にはいないのか? 生徒たちの様子は日常そのもので、シャドーの出現に関しては一切関与していないはずだ。適当な教室に入ってみれば、なにかヒントを得られるかもしれない。


 教室の扉を開けるも、当然なにも変化はない。ついため息が漏れる。あの巨躯を見逃すはずがないというのに。


「もう少し探索しようか、なにか見落としているかもしれないし」

「ああ――っ、ミライ!」


 鬼気迫るティオの声。振り返ったと同時、鈍い衝撃が全身を強く打った。勢いを殺せず、壁を壊してグラウンドまで吹っ飛ばされる。受け身も取れずに呻いていると、ティオが傍まで駆け寄ってきた。あたしを守るように立ち、全身の毛を逆立てて威嚇する。


 彼の視線の向こうにはあのシャドーがいた。凶暴な呼吸を繰り返し、喉の奥で笑うように音を漏らしている。朦朧とする意識の中、忘れていたことを思い出す。


「そうだ、ハルシエ病だった……!」


 ハルシエ病特有の症状として幻覚、妄想がある。そこにないものがあるように感じられたり、明らかに誤った内容を信じ切ったりと、正常な判断を損なうものだ。


 シャドーを見つけられなかったんじゃない。ハートリウムがシャドーを認識させないように、あたしたちから正常な感覚を奪っていたのだ。

 恐らく生徒と認識していたものの中にシャドーはいたのだろう。認知機能を著しく歪められたせいで気付けなかったのだ。


「ただ狂ってるだけじゃない……! あたしたちが油断するまで息を潜めてたのか!」

「ミライ! 構えろ!」


 咆哮するシャドー。怒り狂っているのは火を見るよりも明らかだ。


『おおォおオォ! じャマをスるなッ! ボクはアソブっ! みンナとあそブっ! ぼクから奪ウなっ! あそブ時間がァアアぁもっト! モットォォ!』


 他責型のシャドーとはこうして戦うこともある。カウンセラーとして逃げるわけにもいかない。ティオの言葉に頷き、心を奮い立たせる。


起動ブート心装衣マルタ!」


 あたしの四肢が陽の光を帯び、弾ける。腕にはガントレットが、脚には膝まで覆うロングブーツが装着される。それぞれにハートの意匠が施されており、ハートリウムでの戦闘に特化した装備――心装衣マルタを纏う。

 シャドーは喉の奥で唸り声を上げ、不気味な笑みを浮かべた。


『ドッじボぉーるでアそぶッ! ボぉるはこレ!』


 長い尾が校舎に向かって伸び、複数人の生徒を巻き取った。生徒たちを自分の前に落とすと、両手で左右から圧し潰す。ぐっ、ぐっ、と握る度に耳を塞ぎたくなるような音が響く。

 そうして出来上がったのが、彼の言うボール。赤黒く染まった元人間の塊だ。人智を超えた膂力で圧縮されていたのだろう、あたしの頭程度の大きさに留まっている。


 だが、それだけ高密度の物体をまともに受けたらどうなる? あの腕だ、どれだけの速度で放たれるかはわからない。かすっただけでも肉が抉られてしまうだろう。

 シャドーは大きく振り被り、腹の底から叫ぶ。


『当ぁあぁあアアたァレぇぇええぇェ!』

「避けろミライッ!」

「わかってる!」


 凄まじい速度で放たれた弾丸が迫る。あたしとティオは左右に分かれるように飛び、それを回避した。空気のうねりが見えるほどの速度、グラウンドのフェンスを突き破って彼方へと消えていった。あれが命中していたらどうなっていたことか。想像する暇も与えてはくれない。


 振り向けばシャドーは眼前に迫ってきており、殺意の塊になった腕がいままさに振り下ろそうとしていた。

 そこに飛び込む、小さくて頼もしい影。


弾く猫の手フリップパッド!」


 ティオの手は光を灯し、シャドーの腕に合わせるように振り抜いた。両者が衝突した瞬間、シャドーの腕がゴムを殴ったかのように弾かれる。元々の衝撃をそのまま反発したため、姿勢が大きく崩れた。


「行け!」

「ありがとう!」


 準備が整う前に、一気に決める。長引かせるだけ無駄だ。突風のように駆け出しシャドーに肉薄する。

 狙うは一点、シャドーの胸元。右腕を引き、掌底を叩き込んだ。手応えは十分、ぐらつくシャドーに追撃を加える。ガントレットは朝焼けの光を宿した。


鎮める波動サプレスサージ!」


 めり込んだ手からシャドーの全身へ力を流し込む。過剰な興奮を抑え込むためのエネルギーだ、対他責型のシャドーにおける基本的な戦法でもある。通常であればこれで鎮まり、無力化することができる。

 ただ、この相手にはそれだけで終わるはずもない。シャドーは無理矢理体を動かしてあたしを弾き飛ばした。


『ガあぁあぁアアっ! ヤダ! いヤダあぁア! あそブ! モットもっトあソブんだァああァ!』

「やっぱり一撃じゃ足りない……!」

「ミライ、隙は俺が幾らでも作る。抵抗出来なくなるまで叩き込んでやれ」

「お願い――ぐっ!?」


 突如、側頭部に衝撃が走りよろめいた。シャドーは興奮状態にあってこちらを見ていない。周囲に人影もなく、妨害を受けている様子はない。生徒やハートリウムの仕業ではないことは明確だ。

 続けて腹部に衝撃を感じる。痛みはないが、くの字になるほどの強さだ。どこから攻撃を受けている? あたしの異変に気付かない相棒ではない。


「おいミライ、どうした!」


 ティオの声も途絶え、視界も歪む。明らかに様子がおかしい。なにが起こって――


「――ケ! 愚図! いつまで時間かけるつもり!? 役立たずのインチキヤブ医者が!」

「落ち着いてくださいお母様! カウンセリング中のカウンセラーに触れないでください!」

「うるさいうるさいうるさい! このゴミ共が! あたしを餌にして金稼ごうったってそうはいかないんだから! 玉の輿に乗れたと思ったのに! 上手くいかないことばっかり! うんざりなのよ! カス! ゴミ! 役立たず! このオカルト集団!」


 なにが起こったのかわからなかった。ここはハートリウムの中じゃない。現実の世界だ。女性の金切り声が聞こえてくる。男性の必死な声も。


 いったいどういう状況だ? シャドーはどうなった? 患者はどうなった?


 体を起こそうにも安定しない。頭が揺れるし、ぼうっとする。衝撃が走ったのは左の側頭部だ。手を添えると、手のひらには赤い液体が染み付いていた。


「……え? なに、これ……血?」


 動揺が加速する。なぜ頭から血を流している? カウンセリングはどうなった? そもそもいま騒いでいるのは誰だ? ティオが心配そうな面持ちで覗き込んでいる。


「ミライ、大丈夫か」

「大丈夫? うーん……わ、かんない……」

「ミライ! パスを渡してくれ!」


 慌てふためく声音は誰のもの? 混乱して判断ができない。パスを渡して、どうする? 誰に?


「ミライ、じっとしてろ」


 ティオがあたしの首に手を回し、器用にパスを外す。そのまま誰かに投げつけたようだった。男性の声は余裕がなく、うわずっている。


「マリア! ミライが怪我をした! 頭から血を流している! 早く人を寄越してくれ!」

「ああああああうるっさい! 叫ぶなゴミが! 耳障りなんだよ! 死ね! 死ね! 役立たずが! 死ね! 金返せ! ゴミ! 死ね! 死ね!」


 意味を持たない音の羅列は脳に到達する前に通り抜けていく。彼女はなにを言っている? 誰に、なにを言っている? 理解が追いつかない、頭はこんなに冷えているのに。

 ティオがあたしの膝を叩く。心なしか、いつもより優しく感じた。


「ミライ、ハンカチはあるか?」

「ハンカチ……持ってる、と思う」

「鞄の中だな?」

「うん……」

「ちょっと待ってろ。無理に動くなよ」


 ティオが鞄の方に歩いていく。彼は途中で足を止め、大きな声で呼びかけた。


「アステル、もう少し踏ん張ってくれ! ガードの腕の見せ所だぞ!」

「わかった! とりあえず部屋から出さないと……!」

「カウンセラーなんてインチキ集団じゃねーか! 高い金出してまだ解決しない!? ふざけんな! ふざけんなふざけんなふざけんな! ゴミ共が! 死ね! 死ね! 金返せえええええ!」


 耳が痛い。うるさい声だと思った。それ以上のことはなにも感じない。

 あたしだけがこの状況についていけていない。この狭い世界に取り残されているような感覚になる。この感覚が懐かしい・・・・と感じた。


 ――懐かしい? どうして?


 あたしにはマリアもティオもいる、アステルもシャーリィもいるのに。どうして孤独を懐かしいと感じるのだろう。

 わからない。いまはなにも。頭が全く働かない。頭の左側に優しい感触を感じた。ティオがハンカチを当ててくれたのだと思う。


 そう。あたしにはみんながいる。大丈夫、孤独じゃない。寂しいことなんて、なにもない。遠くから忙しない足音が聞こえてくる。女性の声は最早人間の出せるものとは思えないほどの高さになっていた。


 ああ、うるさいな。喚かないで。家族がいるのに。幸せなのに。


 すぅ、とまぶたが閉じていく。安心したか、疲れたか。なんにせよ、少し休もう。動揺しておかしくなっているんだ。休んだ方がいい。

 暗闇から這い上がってくる手に心を委ね、あたしの意識は深淵に呑まれていった。

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