第12話:解放された衝動
患者の部屋に案内されるも、家の中は散々な状態だった。音の正体はやはり食器だったようで、床中に破片が散乱している。テーブルも凹んでいたり、足が折れてひしゃげていたり。
ご家族様自身も限界が近いのだと思う。そのうちこっちもハートリウムが生まれるのではなかろうか。違う意味で不安になってくる。
部屋に通され、ベッドに横たわる患者の様子を見る。穏やかな寝息を立てているものの、枕元に置いてあるハートリウムはひどいものだった。
真っ黒の雲が高速で回転しており、雷が不規則に発生している。雲は膨張しては弾け、その度に火花を散らしていた。正直、ここまで悪化したハートリウムを見たことがない。
一刻も早くカウンセリングを進めなければ。かつ、絶対に失敗できない。これ以上心に干渉するのは患者に大きな負担を与えかねないからだ。
「そ、それじゃあカウンセリングを始めます」
「さっさとして頂戴! 高い金出してるんだから働け役立たず! ゴミ屑! ヤブ医者!」
ゴンッ! と乱暴に扉を閉めるご家族様。母親であることはわかるのだが、あの苛烈さだ。確かにシャーリィには荷が重かっただろうと思う。彼女のガードも物腰が柔らかいタイプの人だったし、上手くいかなくて当然だ。
ヒアリングしたくてもあの様子では応じる気配もない。これ以上失敗できないという重圧と、荒れ狂うハートリウムの様子から逃げ出したくなるが、当然逃げるわけにはいかない。意を決し、
「アステル、護衛をお願いね」
「ああ。しっかり押さえ込むから安心して臨んでくれ」
あの強さだ、余程のことがない限りカウンセリングが妨害されることはないと思いたい。
「……? ここ、学校……?」
ハートリウムの心象世界は人によってその姿を変える。シャーリィのように自然の中の場合もあれば繁華街であったり、本人にとって居心地のいい場所が投影される。
患者――カイルさんにとっての居心地がいい場所は学校ということ? 勉強に追われているように思えたが、学校では楽しい時間を過ごしていたのだろうか。
となればやはりストレスの根源は家庭環境にあると考えるのが自然。あの親ならば仕方がないようにも思える。カウンセラーの役割はあくまで患者の心を立ち上がらせるだけ。それから歩き出せるか、またうずくまるかは家族を含めた周囲のサポートが大切になってくる。あの様子だと、一時的にでも引き離した方がいいように思えた。
生徒の姿もある。ハートリウムである以上自我はないはずだが、一旦声をかけてみるべきか。近くにいた男子生徒の肩を叩く。
「こんにちは、ちょっと話しかけても……っ!?」
振り返った生徒の顔を見て、思わず後ずさる。
生徒には顔がなかった。ペンを滅茶苦茶に走らせ、ぐちゃぐちゃに引いた線のようなもので顔が潰れている。
考えられるとしたら、生徒の顔を覚える余裕がなかったか。あるいは生徒は風景の一部に過ぎなかったのか。どちらかはわからないが、コミュニケーションが取れる相手ではなさそうか。
足早にその場を離れる。こちらからアクションを起こさなければ生徒たちから危害を加えられることはなさそうだ。生徒はハートリウムの防衛本能とは別の存在――つまり、風景に過ぎないのだろう。
ひとまず廊下を歩く。学校という施設が心象世界ならば、シャーリィのハートリウムとは違い広さに限りがある。手掛かりはすぐに見つかりそうなものだが。
「ミライ、止まれ」
鋭い声音。ティオがなにかに気づいた様子だ。恐らくシャドーの気配を感じ取ったのだろうと思う。
「まず様子を窺うぞ。適当な教室に隠れろ」
「わかった」
ティオに従い、近くの教室に身を隠す。生徒たちはあたしたちのことなど気にも留めていない。本当に風景の一部としてしか役割を持っていないのだと思う。
少しして、異変に気が付く。校舎が揺れている?
「来るぞ」
次第に揺れが大きくなっていく。直後、凄まじい衝撃が校舎を揺らした。何事かと思い、扉の窓から廊下の様子を覗く。
言葉を失った。間違いなくシャドーではある。真っ黒に塗り潰さされたシルエット。しかしその姿は異形そのものだった。
肥大化した四肢で廊下を駆け、残虐さを象ったような大きな顎からは絶えず唾液を垂らし続けている。恐竜のように長く逞しい尾を乱暴に振り回し、生徒たちを薙ぎ倒していた。
あれがシャドー? 通常であれば患者の身の丈を模倣した姿になるはずだ、先日のシャーリィのように。だが目の前の怪物はなんだ? ケダモノ同然の姿に肌が粟立つ。
そんな中にあってもティオは極めて冷静だ。分析を始める。
「ありゃあひどいな。感情に歯止めが利かなくなって暴走している。見ろ、ミライ」
ティオに促され観察を続ける。
シャドーは近くにいた男子生徒を巨大な腕で鷲掴みにし、上半身と下半身を力任せに引き裂いた。上半身はその場に落とし、空いた手で近くの女子生徒の下半身を握り潰す。
それだけでもグロテスクなのに、シャドーは狂気を孕んだ笑い声をあげる。
『あハっはハははァっハ! おまマごトしヨウ! コれとこレ! クっ付ケテ! ハンぶンこ! 召シあがレ!』
男子生徒の上半身と女子生徒の下半身を無理矢理繋げ、真ん中に巨腕を振り下ろす。肉片が飛び散る音にシャドーは歓喜し、手を叩いて笑った。
『あはハっ! はッ! ハハはハはッ! アそボ……ゼんぶ! ぜェンぶワすレテ! あソブ! ハハハハっはハ! ハぁァァ!』
シャドーは高笑いをしながら廊下の生徒を文字通りの“玩具”にしていく。正直なところ、腰が抜けてしまった。いったいどんな家庭環境ならあんな心が育つというのか。
「……なに、あれ」
「あそこまで悪化してるとは思わなかったな」
さすがのティオも厄介だと舌打ちする。あれほど攻撃的なシャドーは初めて見たし、どう対処すればいいのかも思いつかない。
「情けないけど動揺してる……どうしてあんなことに? シャドーってあんな形にもなるの?」
「あの感じだと、他の生徒が楽しそうに遊んでるのが羨ましくて、妬ましかったと見るべきか? 自分はやりたくもねぇ勉強をさせられているんだ、そりゃあ親への不満――他責思考も極まるだろう」
シャドーの分類において他責型は危険度が高いとされている。他責型のシャドーは患者自身を取り巻く環境への強い感情が形になったものだが、ハートリウムはそれを鎮める。
そのやり方が良くないのだ。やりたいことができない状態、言い換えれば飢えを満たすために働きかける。現実では制限、禁止されていたことへの欲求を無限に満たし続ける。当然、依存度は加速的に高まっていく。
カウンセラーはその楽園を侵す異物だ。気付かれれば徹底的に排除しようと動くだろう。遊び道具を奪われることへの恐れは子供のそれだ。なにをされるか、どの程度抵抗されるかなど予測できない。
そのため、他責型のシャドーの対策は自責型とは大きく異なる。話を聞ける状態ではないのだから、強引にでも鎮圧する必要がある。必然、患者への負担も大きくなってしまう。
「……でも、あのままじゃ駄目だ」
怪物に成り果てて、それが幸せだなんて思えない。あたしのエゴだとわかっている。患者にとっては、この世界が最も心を満たしてくれることもわかっている。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。家庭環境が彼をそうさせたのなら、本部で入院、リハビリしてから復帰する道だってある。
立ち上がり、深呼吸を繰り返す。
「――行こう、ティオ。やるよ」
「ああ、難題は乗り越えてこそだ。試練だと思え、気張っていくぞ」
外の様子は不気味なほどいつも通りだった。シャドーが去った後でも、他愛のない談笑を続ける生徒たち。彼らに意志はなく、患者にとっては不要なものだったのだと思う。
まずはシャドーを探すべきか。どこへ行ったかはわからないが、同じ階層には姿が見えない。気配も遠い。小さな揺れは下から感じる。
「グラウンドに向かってる……?」
外の方が思う存分遊べるということだろうか。まだあたしたちには気付いていないようだ。シャドーに気を取られていたが、ここが患者のハートリウムである以上、患者の心も存在しているはず。探すのは後にして、まずは心を落ち着かせる必要がある。
あたしたちは階段を下りていく。いつ怪物の玩具にされるかを警戒しながら。
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