第11話:ラムレッド現象

「わあ、一番街ってこんな感じなんだね」


 本部から専用の列車に乗って三十分ほど。セントリア一番街はいわゆる富裕層の暮らす区画だった。改札を抜けた辺りから既に景色が違う。

 等間隔に存在を主張する木々、店先にも席のあるお洒落なカフェ、すれ違う人々の身形も街中より上質なもので飾られている。歩き方もどこか優雅で、心と生活に余裕が垣間見える。


 こういう人たちはハートリウムが生まれることはないのだろうな、と感じる。悩みがなさそうというか。ストレスとは縁遠い生活を送っているのだろう。

 だとすれば、どうして患者を追い詰めるほどの重圧を与えた? ママ友という単語がカルテに記載されていた辺り、お子様の自慢話に置いていかれると思ったのだろうか。


「……子供はアクセサリーじゃないんだけどな」

「お前の言う通りだ。でなけりゃ俺は一生不出来な飾りをつけて歩くことになるだろう。ああ、やだねぇ」

「ほんっと愛娘に向ける言葉とは思えないよ。ねえ、アステルもそう思うよね」

「ああ。ティオ、ミライも頑張ってるぞ。不出来なんて言わないであげてくれ」

「へいへい、悪かったな。誇れる娘になってくれよ」


 なんとなく子供のハートリウムが生まれる理由がわかる気もする。皆が皆、こういう親ではないのだろうけど。あたしじゃなかったらとっくにハートリウムが生まれていたと思う。

 なんだかんだ、ガードというパートナーがいることには助けられている気もする。ティオとふたりだけだったら喧嘩ももっと多かっただろうし。


「えっと、患者のお宅は……あっちの方だね」


 方向を定めて歩き出す。

 なんとなく肩身が狭く感じてしまうのはあたしが庶民的だからだろうか。上品な方が多い環境だと、少し委縮してしまうところがある。カウンセラー本部もかしこまったところではあるが、十年前にマリアに保護されてからずっと過ごしていたところなので実家のようなものだ。緊張することもなかったように思う。

 ふと思えば、アステル自身のこともよく聞いてはいなかったか。世間話程度の気持ちで尋ねる。


「アステルってどこ出身なの?」

「東の国ダイワだよ。武道が盛んな場所で、ブシドースピリット発祥の地なんて言われてる」

「そうなんだ。だから強いのかな? ブシドースピリット自体は故郷でもやってたの?」

「いや、やってなかったよ。あれがメジャーな競技になったのは俺がセントリアに来てからだし」


 ブシドースピリットという競技がここまで盛り上がったことにはさぞかし喜んだことだろう。武道が盛んということもあり、きっと幼い頃から剣に触れてきたのだと思う。あの強さも納得だ。

 だとしたらセントリアに来たのはどうしてだろう。昨日言っていた守りたいもののためだろうか。


「ダイワっていったら結構遠いよね。セントリアにはガードになるために来たの?」

「いや……元々は感謝を伝えに来ただけだよ」

「誰に?」

「母さんを助けてくれたカウンセラーに」


 しれっと言っているが、母親のハートリウムが生まれたということだ。いったいどうして?

 尋ねるより早くアステルが続けた。


「俺の家、父さんが全然家に帰らない家庭でさ。母さんは女手一つで育ててくれてたんだ。でも、ダイワは男尊女卑というか……男が強くて女は弱いっていう風潮があって。父さんが仕事で家を空けている間に結構ひどいことをされてたらしいんだ。それが重なって、ハートリウムが生まれたんだよ」

「そっか。お国柄のせいで……」

「カウンセリングをしても、母さんの心は戻らなかった。それだけ心を閉ざしてたんだ。そんな中、父さんが家に帰ってきた。食事の用意ができてないことに怒った父さんは母さんのハートリウムを壊そうとした。起きろ、飯を作れ、誰のおかげで飯が食えてると思ってる、女は黙って男に尽くせ、って。そうして――“ラムレッド現象”が起こった」


 あたしは絶句する。ラムレッド現象はハートリウムが関わる問題の中で最も回避しなければならないものだ。

 ハートリウムは患者の心そのもの。物理的な干渉に対して堅牢な防御力がある。叩いても殴っても壊れはしない。

 その一方で、体外に心が剥き出しになっている状態でもある。外部からの精神的な攻撃、人格否定などが積み重なれば、心を守る壁さえ維持できなくなることがある。


 閉じ込めていた心が外に解き放たれるとどうなるか。過剰なストレスに耐えかねた患者の心は現実を侵食する。現実と夢の境目が曖昧になり、辺り一帯が患者の心と同期する。不安定な心が現実を侵し、天変地異や幻影など、症状によって様々な被害をもたらす。

 その状態が“ラムレッド現象”であり、その性質上、一般人にも危害が及ぶ可能性が非常に高い。アステルの母親の心がダイワの地を侵略してしまったのだと理解した。


「母さんを助けてくれ、って。無力だった俺は訴えた。でも、ダイワの人たちは誰も助けてくれなかった。父さんでさえ、母さんを置いて逃げてしまった。そんな中、唯一手を差し伸べてくれたのがカウンセラーだった」


 家族は家族のはずだ。なのに、妻を置いて逃げた。働いて、お金を工面するだけでは家族になれないことを知った。アステルにとって家族と呼べるのは、きっと母親だけだったのだろうと思う。

 他に頼れる人がいない中、彼に寄り添ったカウンセラーはさながらヒーローのように見えただろう。アステルは続ける。なんでもないことのように。


「カウンセラーは言ってた。ちょうど俺くらいの娘がいたから放っておけなかったって。大丈夫、って笑ってくれて、そのまま母さんを助けてくれたんだ。ガードの人もずっと俺に寄り添ってくれていた。あの人たちがいたから俺はいま生きてるんだ、って思った」


 カウンセラーがアステルにとっての恩人だったということか。彼の過去についてなにも知らなかったと思い知る。

 まあ人の過去などむやみに触れるものでもないし、たまたま知れてラッキーだったと考えよう。アステルは大切に言葉を紡いでいく。


「母さんに無理を言ってダイワからセントリアに引っ越した。ありがとう、って伝えたくて。でも、そのカウンセラーはもういなかった」

「いなかった? 退職してたってこと?」

「わからない。いなくなった、としか言われてなくて……そんなとき、守ってやらなきゃいけない人に出会った。だからガードになったんだよ」

「そっかそっか。教えてくれてありがとう、大変だったね」


 アステルの頭を撫でてやる。彼自身の不器用さもあって、どこか守ってあげなければいけない気持ちになる。ガードに対して守ってあげたいなど、おかしな話ではあるのだが。

 アステルは表情を変えずにあたしの手を払い除け、淡々と告げる。


「過去は過去だから。大切なのはいまだよ」

「ああ、その通り。生き物にはいましかない。お前たち人間も、猫の俺もだ。いまなにをするかが、未来を変えていくんだ」

「過去に囚われる時間も勿体ないしね。結構カウンセリングにも活きる考え方だと思う」

「ハッハ、若造には到底至らん考えだ。よかったなぁ年寄りが片割れでよ」

「はいはい、ありがとうね。ティオがパートナーであたしすっごい得してるよ」


 誇らしげにするティオは軽くあしらうのがいい。調子づいて余計なことを言われても面倒だ。

 アステルは関係なくティオを褒める。根が素直なのはいいことだけど、もう少し世渡りというか人との付き合い方を覚えた方がいいような気もする。相手は猫だけど。


 そんなやり取りを続けていると、患者宅に辿り着く。富裕層の区画だ、わかってはいたが相当の豪邸だ。庭もあって、犬も走っている。

 のは、いいのだが……なにやら不穏な音がする。金属質ななにかの甲高い音が連続で鳴っている?


「……と、とりあえず、呼んでみようか」


 ごくりと唾を飲み、インターホンを鳴らす。忙しない足音がしたかと思えば、蝶番が吹き飛ぶような勢いで開け放たれる扉。


「遅い! いつまで待たせるわけ!? 無能なインチキカルト集団の分際で!」


 耳をつんざく女性の金切り声に迎えられた。

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