第10話:同期のよしみ
「ティオ、仕事だよ……って、あれ? いないな。休みだって決めつけて出掛けちゃったのかな」
困ったことになった。ティオもいなければ仕事に向かえない。ふたりでひとりのカウンセラーならではの悩みでもある。
「このままじゃ仕事に行けないや。帰ってくるまでに準備しておかないと」
白衣に袖を通し、
マリアからカルテをもらってはいるが、昨日見た様子だとあまり役には立たないだろう。患者本人よりもご家族様の情報が多いカルテでは、得られるものも少なそうだ。
あたしたちに仕事が入ったならアステルにも話が届いているはず。昨日の今日で仕事を入れたと知ったらどうなるか。願わくばいつものことかと受け入れてほしい。
そのときドアがノックされる。ティオではないことは明らかで、向こうから声がした。
「ミライ、俺だよ」
「アステル? どうぞ、入って」
ドアが開かれ、現れたのはアステルだった。相変わらず表情から感情が窺えない。怒っているのか、呆れたか。おずおずと尋ねる。
「えーっと……怒ってる?」
「怒る? なんで怒ることがあるんだ?」
「あ、いやー……昨日の今日で仕事もらってることに、さ」
「別に怒ってないよ。ミライに仕事が入ったって言われても、そうか、としか思わない」
これはどちらかというと呆れ、あるいは諦めに類するものだと思う。あたしだから仕方ないと思っているときの言葉選びだ。
「……アステルにはいつも苦労をかけてるね」
マリアに言われたのと同じことを言う羽目になるとは思わなかった。当のアステルは首を傾げるだけ。
「苦労なんて感じてないぞ。どうしたんだ?」
「あたしと同じこと言ってる……」
こう見えて似た者同士なのかもしれない。ティオといいアステルといい、まるで引き寄せられているかのような相性の良さを感じる。
ティオに関しても、どうしてあたしの前に現れたのかのはいまだにわかっていない。聞いたことも勿論あったが、決して教えてはくれなかった。
やましいことはなにもないのだろうが、隠されると気になるのが人の性。いつか教えてくれるだろうとは思っているが、叶うなら暴きたいところでもある。
「それで、準備はもう終わったのか?」
「だいたいね。後はティオの帰りを待つだけかな」
「確かにティオがいないな。日向ぼっこでもしてるのか?」
「可能性はあるかも。ちょっと庭に出てみようか」
もしかするとシャーリィ辺りと合流してなにかしているのかもしれない。同期ということもあるし、雑談くらいしていてもおかしくはないだろう。
特に異論もないようで、アステルは小さく頷くだけ。あたしたちは部屋を出て、庭へ向かった。
本部の庭は居心地の良さを追及している。真ん中には大きな噴水があり、適度に潤いをもたらしていた。花壇もたくさん用意されており、四季折々の花の香りが安らぎをもたらしてくれる。
勿論カウンセラーだけでなく、入院患者が利用できる空間でもある。ハートリウムが生まれ、すぐに社会復帰ができない患者も決して少なくはないからだ。少しでも心を癒せる空間であるように設計された庭は、時折一般開放もされている。ある種の観光スポットのようにもなっていた。
「ティオか、シャーリィか……どっちか見つかればいいけど」
「ん? ミライ、あっちの方でなにかあるみたいだ」
アステルが指差す方を見ると不自然な人垣が見えた。こんなところでパフォーマンスを披露する人もいないだろうし、なにかトラブルでもあったのか?
様子を見に行くと、なにやら揉めているような怒声が響いている。男性の声のよう、で……あれ?
「待ってこの声……」
人垣を掻き分けて進めば、案の定。ティオが叫んでいた。シャーリィに抱かれ、背中に顔を押し付けられている。
なにが起こっている? どういう状況なのだろう、これ。
「離せ小娘! 吸うな!」
「すぅー……ふう……猫ちゃんの匂い、すぅー……」
「やめろ! ハラスメント行為で訴えてやる! 訴えてやるからな! 覚悟しておけ!」
「すぅぅぅー……はあ……落ち着く……」
「聞いちゃいねぇ! 誰か! 見てないで助けろ!」
どういう状況なのだろう、これ。
様子を見た上で意味がわからない。ティオの匂いを嗅いでいる? シャーリィが? なんで?
困惑するあたしを他所に、アステルはなにか勘づいたようだった。
「あれは猫吸いだな」
「猫吸い? なにそれ」
「一種のリラクゼーションだよ。猫の匂いを嗅ぐことで落ち着けるって聞いたことがある」
変わったリラクゼーションもあるものだ。それにしても、ティオがそれを許すとは到底思えない。なにせ頑固だ、利用されるのも好きではないだろう。人の言葉を話せど猫は猫、気紛れなのだから。
改めて、どういう状況なのか理解しようにも思考が追いつかない。少し話を聞いてみた方が良さそうか。ふたりの傍に駆け寄る。
「シャーリィ、シャーリィ? 落ち着いて、なにこの状況? なにしてるの?」
「ミライ! こいつを引き剥がせ!」
「ティオ、これどういう状況?」
「説明は後だ! 早く引き剥がしてくれ!」
あまりにも必死。珍しいものが見られたとは思うが、ティオの全身の毛も逆立っている。本気で嫌がっていることがわかってしまう。
さすがに可哀想か。シャーリィの肩を掴んで無理矢理引き剥がす。
「あっ、ああっ! 猫ちゃ……あれ? ミライ?」
「シャーリィ、大丈夫? 猫吸いしてたの?」
「え、あ、あはは……」
ごまかそうとしているのか、引きつった笑いを浮かべるシャーリィ。別にあたしはどうとも思わないのだが、問題はティオだ。解放された彼はげっそりとやつれているようにも見える。
「ったく、次からは金取るからな……同期のよしみにも限度ってもんがある」
「同期のよしみって、なんの話してたの?」
「なにかまだ引っかかることやスッキリしないことがあれば力になるっつったんだよ。そしたら急に捕まって、背中の匂いを嗅がれてたわけだ……」
「なんだ、ティオが許可したんじゃん。無理矢理じゃないならなにも問題はないね」
「限度があるっつっただろうが!」
威嚇するように全身の毛を逆立てるティオ。これから仕事だなんて考えてもいないんだろうな。やっぱり断った方がいいだろうか、既にご家族様には連絡されているだろうから、後の祭りではあるのだが。
シャーリィが肩を窄ませて謝る。
「ご、ごめんねティオ、猫ちゃんの匂いが好き過ぎて……我慢できなくなっちゃった……」
「するならすると言ってくれ、突然じゃあさすがに怖いと感じてしまう」
「ちなみに、幾らでさせてくれる……?」
「時価だ、時価」
お金を取る気があるのか、ないのか。ハッキリしない辺り、本気で取ろうとは思っていないのだろう。シャーリィは真面目だから真剣に検討するだろうが、そうさせるのが狙いなのだと思う。
「で、だ。ミライ。お前の話を聞こうか否かで非常に迷っている。いい報せか? それとも悪い報せか」
「どっちだと思う?」
「ほざけ、わかっとるわ……支度は済んだのか?」
「うん、大丈夫。ティオを探すだけだったから」
「そうかい、なら行くか。はあ、束の間の休息だったなぁ……」
こうもあたしに振り回されるティオが少しだけ可哀想に思える。なんだかんだついてきてはくれるし、仕事はしっかりやってくれるんだけれど。あたしに労われたって響きはしないだろう。
シャーリィにも一言言っておこうか。振り返ると、いまだに物足りなさそうな顔をしている。結構欲張りというか、意外に我は強いのかもしれない。
「昨日の件でマリアに仕事振られたから、行ってくるよ。頑張ってくるね」
「う、うん。行ってらっしゃい……アステル、ミライのことを守ってあげてね」
「ああ、当たり前だよ」
あの強さを目の当たりにしたこともあり、安心感は桁違いだ。まあご家族様に剣を振り回すようなことは、本来あってはならないこと。何事もないことを祈ろう。
あたしたちは本部地下へと向かう。カウンセラーのハートリウムが生まれるほどのご家族様がどんなものなのか、不安を胸に抱えながら。
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