第9話:渇きの正体
翌朝、あたしは白衣を羽織ってティオに声をかける。
「マリアの部屋に行ってくるね」
「あ? なんでだ、まさか仕事もらいに行く気じゃねぇだろうな?」
働きたくないという強い意志を感じる。働き詰めだったし、もう少し休みたいという気持ちもわかる。その気持ちは勿論尊重するつもりだ。
あたしだって、仕事をもらいに行く気はない。振られれば話は別だが、気になることがあるからだ。
「昨日、例のご家族様が本部に直接乗り込んできたんだって。マリアが対応してたみたいなんだけど、あの後どうなったのか聞いてないんだよね」
「そんなもんいちカウンセラーに共有する話じゃあねぇだろう。なんだって聞きに行くつもりだ? 厄介事にわざわざ首を突っ込むな」
「ただの興味だから。それにあたしたちに振れるような仕事でもないよ、あの感じだと」
なにを言っても無駄か、とため息を吐くティオ。少なくとも半年程度のキャリアしか積んでいないあたしたちが対応することはないはずだ。マリア自身もベテランのカウンセラーが出払っていると言っていたし、頼むならしっかりとキャリアを積んだ先輩たちになるだろう。心配するようなことでは決してない。
「じゃああたし一人で行くから。ティオは留守番ね」
「へいへい、願わくば今日も穏やかな休日だとありがたいんだがねぇ」
「大丈夫だって。行ってきます」
不満そうなティオを置いて部屋を出る。自室は四階にあるが、ユニット長のエリアには一階の直通エレベーターからでないと行くことはできない。一階までは階段で降りればいいか、と向かえばシャーリィと出くわした。
「シャーリィ、おはよ」
「ミライ、おはよう。昨日はありがとう、迷惑かけてごめんね」
出会い頭に頭を下げるシャーリィ。昨日のことだし、既にたくさん感謝も謝罪もされているのだ。これ以上は持て余してしまう。
「いいって。あたしたちが勝手にやったことなんだから。しっかりお叱りも受けたしね」
「ふふ、そうだね。でも私は嬉しかったよ、本当にありがとう」
「ありがとうならもらっても悪い気はしないなぁ。いい言葉、毎日言ったり言われたりする世の中になればいいのにね」
笑って済ませる。ありがとうと伝えることにコストもリスクもないのだ、もっと気軽に使っていける人生にしたいものである。
「ミライはお出掛け? ティオは一緒じゃないんだね」
「うん、マリアに昨日のこと聞きに行こうと思ってて。ティオは仕事振られるんじゃないかって不満そうにしてたから置いてきた。シャーリィは?」
「私は庭に出るだけだよ。天気もいいし、ちょっとリラックスする時間がほしいなって」
「いいね、ゆっくりしておいで」
他愛もない会話をしながら階段を降りる。一階でシャーリィと別れ、あたしはユニット長エリアに繋がるエレベーターへ。
朝早いこともあり、他のカウンセラーの姿は見えない。みんな忙しくしているか、日頃の疲れを癒しているのだと思う。
人の心を救うのがカウンセラーの仕事だが、カウンセラーの心は誰が救ってくれるのか。それが定まっていない以上、心が疲れていくのは仕方のないことなのかもしれない。
エレベーターに乗り込み、上階へ。眼下で賑わう街並みを見て、ふと思う。
――なんであたし、いつまで経ってもやる気がなくならないんだろうな。
シャーリィを含めて、他のカウンセラーは快活そうにしている顔を見たことがない。険しい表情をしていたり、あるいは憔悴しきって目が虚ろだったり。
狭き門でもあるが、決して楽な仕事ではない。期待に胸を膨らませ、美しい志でカウンセラーになった者も少なくないだろう。そしてその理想は簡単に打ち砕かれたはずだ。人の心に直接触れる仕事が、志だけで務まるはずがないと思い知ったと思う。
だからこそわからない。どれだけ失敗しても、どれだけ苦しくても、心は絶えず次の仕事を求めている。何故だろう、本当に別人の心が宿っている?
一つの肉体に複数の心が宿るケースもないわけではない。ただその場合、それぞれの心が状況に応じて切り替わることがほとんどだ。一人の心が前に出ている間は、別の心が隣に立つことはない。
考えても仕方がないことなのだろう。単にあたしが
エレベーターは停まり、マリアの部屋の扉をノックする。
「失礼しまーす」
扉を開けると、なにやら書類を睨むマリアがいた。あたしに気が付くと微笑を向けてくれるが、どことなく顔には疲れが見える気がする。
「ミライ、おはようございます。早起きですね」
「せっかくの休みだからね。それより昨日の件、どうなったの?」
「ええ……それなのですが……」
なにか言い淀んでいる様子のマリア。嫌な予感がする。こういうときは決まってその通りになるものだ、無心を貫こうにも無心を意識するだけ無心からは遠ざかっていく。
マリアは深いため息の後、重々しく口を開いた。
「『時間がない』の一点張りで、カウンセラーの帰着を待つこともできないと仰せなのです。そして現在稼働できるカウンセラーと言えば……」
「あたしたちしかいないわけね」
「話が早くて助かります。キャリアは問わないと仰られていたのですが、私としてはベテランの帰着を待つべきだと考えています。ですが依存の進行度を鑑みたとき、一刻の猶予がないのもまた事実。ミライ、頼めますか?」
「うん、わかった。ティオにも言っておくね」
ここまで言われて断る理由も思いつかない。ティオには悪いが、引き受けてあげた方が患者様としても良さそうだ。
なにより、頼られたのなら応えたくなる。カウンセラーとして信頼されることに誇りと安心感を抱いていた。あたしの心か、あるいは本当に隣に立っている誰かの心か。どちらでも構わないといまは思う。
「じゃあ準備してくるね、ありがとうマリア」
踵を返して自室に戻ろうとした矢先、マリアが小さく呟いた。
「……あなたには苦労をかけますね」
その声音も聞いたことがない。申し訳なさそうな、心の底から罪を贖おうとするような声。いつものマリアからは出ない声に、つい足を止める。
「苦労? 別にかかってないよ、どうしたの?」
「ご両親もいない中、ここで保護したことがあなたの人生を縛っているのではないかと……」
なにを慮っての言葉か、いまひとつ理解できない。あたしが縛られている? カウンセラーとして生きることに?
変なところを気にするものだ、あっけらかんと笑ってみせる。
「確かにパパとママには会えてないし、ほとんど覚えてないけど、あたしにとってはマリアとティオが親みたいなものだから。寂しくないし、幸せだよ?」
「……そう、ですか」
表情もおかしい。安心したように見えて、なにか言いたげにも見える。複雑な表情だ。親と呼ばれるのは不服だろうか? 確かにあたしは、お世辞にも出来のいい子ではない。ティオにも散々言われている。
今日のマリアは少し変だ、ちょっとくらいからかってもさらりと流してくれるかもしれない。ニヤリと、ティオの顔をイメージして笑う。
「出来の悪い子に親だと思われるのは嫌?」
「出来が悪いだなんて思っていませんよ。あなたはよくやってくれています。勿論、ティオも」
「へへ、ありがとう。マリアが心配するようなことはなにもないよ。あたしは苦労してないし、幸せだし。まだまだ実績が足りないと言われればその通りだけど、ちゃんとやるよ。大丈夫! ね!」
ぐっと親指を立ててみせる。ようやくマリアに笑顔が戻った。それでも、心の底からのものではないように思えたが。
「おかしなことを言ってすみません。準備が整い次第向かってください。カルテもいまお渡ししますね」
「はーい、ありがとう! 行ってきます!」
元気に声を出せば少しは安心してくれるだろう。カルテを受け取り、身支度のために自室へと戻っていった。
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