第7話:明日のキミが生きる場所
「シャーリィ、迎えに来たよ」
大樹の傍にはハートリウムの主――シャーリィがもたれていた。まぶたを閉じ、穏やかな呼吸で癒しの時間に浸っているのがわかる。
あたしの声に気付いても、特に怯えた様子はなかった。逃げ出すようにも見えない。
ティオがニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「同期のよしみだ、ありがたく思うといい」
「あはは……ごめんね、二人とも。ご迷惑をおかけしました」
苦笑を浮かべて頭を下げるシャーリィ。こちらが勝手にやっていることなのだ、謝られてもなんて返したらいいのかわからない。
ぐっ、と親指を立てて笑う。これくらいがきっとちょうどいいのだと思う。ぎこちないあたしにシャーリィは笑った。笑顔が見せられるなら大丈夫だろう。
「隣に座っていい?」
頷くシャーリィ。彼女の横にどかっと腰掛ける。鼻から深く息を吸い、体を大きく伸ばす。思考がクリアになるような、優しい空気に心が安らいでいくのがわかる。
「空気も澄んでて日差しも暖かい。シャーリィのハートリウムだなぁって感じ」
「そう、かな?」
「うん。疲れたときに感じたいものが全部詰まってる気がするよ。シャーリィの温かさ、優しさがよくわかるね」
ニッと歯を見せて笑うと、シャーリィも釣られて笑顔を見せてくれる。彼女は目を伏せると、穏やかな声音で語り出す。
「……私、田舎の生まれだから。こういう自然に囲まれた環境の方が落ち着くの」
「そうだったんだ。考えてみたら、じっくり話す機会もなかったよね。同期なのに」
「そうだね。あんまりカウンセラー同士で仲良くしてる印象はない、かな?」
「これから仲良くしようよ、お茶会だって何回もしよう。仕事の愚痴だって聞くし、聞いてほしいし。ここにいたらそれもできない。帰ろう?」
手を差し伸べるが、シャーリィの視線は地面に落ちたまま。ぎゅっと自分の体を抱き締めて、震える声で呟く。
「……まだ、怖い」
シャドーが消えた際の言葉でわかっていたが、そこまで軽い傷ではない。きっと直近の仕事だけでなく、それ以前の失敗でもたくさん自分を傷つけて落ち着いてきたのだと思う。
帰ろうと言われたって、帰ればまた自分を傷つけることになるだろう。どれだけ感謝の言葉を貰っても、傷ついた心に染み込んで終わりだ。痕が残るわけでもない。目に見える
そして、その傷だけがいまのシャーリィにとって唯一信じられるものになっている。寄る辺のない不安定な心は確かなものに縋るしかない。どれだけ自分を傷つけて痛み、苦しんでも、ハートリウムは癒してくれる。結果として、傷痕だけがどんどん増えていく。
もう少し話してみる必要がある。シャドーではなく、シャーリィ本人と。シャドーは最も強い感情を切り取ったものだから。詳細は本人の口からしか聞けない。
決心したのか、シャーリィは胸の内を吐露する。
「私はみんなみたいに卒なくこなせるカウンセラーじゃない。ヒアリングの丁寧さだって、失敗したくないからたくさん情報を集めてるだけ。他の人ならもっとスマートに仕事ができるだろうな、って思うと……やっぱり、私は仕事ができないんだなぁって実感する」
他人と比べることもまた癖になっているのだろう。シャーリィにも理想のカウンセラー像があるのだと思う。そこに至れないもどかしさもあるのかもしれない。
彼女は続ける。いまにも泣き出しそうな声で。
「失敗するのが怖いの。誰にでもできることを私だけができないのがつらい。私だって、みんなみたいに頼れるカウンセラーになりたかった……!」
堰を切ったように溢れる涙。うまくいかなかったことにやきもきしていたのも事実ではあるだろう。問題の根幹はそこではない。本人が気づいているのか、あるいは無意識か。
どちらにせよ、もう一押し必要なはずだ。シャーリィの声に耳を傾ける。
「どれだけ頑張ってもうまくいかない。ちゃんとしたカウンセラーになるためにたくさん頑張って、でもたくさん失敗して、自分を責めて、貶して……いつまで経ってもなんにも変わらなくて、それだったらもうカウンセラーなんて――」
「失敗など誰でもする。キミが憧れるカウンセラーたちも皆、失敗を繰り返し、糧にしていまに至るんだ」
黙っていたティオが口を出す。下手なことを言わなければいいけど――と、最初は思っていた。
ティオは余計な一言も多いが、患者に対してはあたしが言いにくいことを言ってくれる。こういうときだけは敵わないなと感じる。
シャーリィはようやく顔を上げ、ティオを見詰めた。猫の真剣な眼差しに圧されたか、微かに彼女の瞳が揺らぐ。ティオは続けた。
「先人は失敗を失敗のままにはしなかった。弱い自分、情けない自分と徹底的に向き合って戦った。シャーリィ、キミはどうだ? キミの言う“無価値な自分”から目を逸らさず、戦ったか?」
言葉を失うシャーリィ。患者にとってはきっと、言われたくない言葉だろう。ティオの言葉は現実的で、見たくないものや触れられたくないところを嫌でも刺激する。
だが、これもまた必要なことなのだ。肯定し、甘やかすことだけがカウンセリングではない。カウンセラーの役割は、患者がまた歩けるように立ち上がらせることだから。
「自分の嫌いなところと向き合うのは怖いだろう。だがね、キミが戦おうとしなかった“無価値な自分”は一生キミの足を引っ張り続ける。さながら鎖のようにキミの前進を阻み続ける。鎖を外さなければ、どれだけ藻掻いたって進めやしないんだ」
「……戦うって、どうやって?」
「キミの言う“無価値な自分”をキミが否定してやるんだ。それは俺たちにはできないことでね、なにせキミ自身が“無価値な自分”を守ってしまう。だからキミ自身の頭で、口で否定してやらねばならんのさ」
心ない他人から言われもしただろう。ただ、それを真実だと決めつけたのはシャーリィ自身だ。彼女が形作った“無価値な自分”は、あたしたちには壊せない。心の拠り所を他人が壊すわけにはいかない。
お別れをしなければならないのだ。“無価値な自分”はシャーリィを美しい世界に連れて行くことはない。息苦しい世界に留めるだけだから。
沈黙するシャーリィにティオは喉を鳴らして笑う。
「なにも“無価値な自分”を殺せと言っているわけじゃあない。キミには本当に価値がないのかをじっくり考えるだけでいいんだ。主観ではなく、客観的に分析すること。感情ではなく事実、結果に基づいて判断するといい。そうすればキミの信じていたものが実体を持たない幻影であることがわかるだろう」
「……いま、間違いなく、役立たずなの。仕事ができない私がそれを否定したところで、なんになるの?」
「いま、そうだとしよう。じゃあ明日のキミも役立たずかどうか。それを決めるのはいまのキミだ。いま変わるなら、明日のキミは何者にもなれる。過去のキミがいまのキミを作ったのと同じようにね。わかるかい?」
無言で頷くシャーリィ。諭すような口調は猫には不相応なほどの説得力がある。実は元々人間だったのではないかと思うほど。
だが、ティオの言うことは間違っていない。過去の積み重ねがいまであり、いまなにをするかで未来が変わる。現状に固執していては、拓ける未来も拓けない。
ティオが言いたいことはこれなのだ。目を伏せ、うずくまっていてもどこにも行けない。誰も連れて行ってはくれない。歩くしかないのだ、怖くても。
ティオは問いかける。あたしには向けない、優しい声音で。
「“無価値な自分”に繋がれたままで、キミはどこへ行けるんだ? 明日のキミはどこで生きていたい?」
シャーリィは何度も鼻をすする。涙は依然止まらないが、慰めが必要だとは思わなかった。本人もわかっていたのかもしれない、このままでは駄目だと。なにも変わらないことは察していたのだと思う。
ただそれ以上に、変わることが怖かったのだろう。“無価値な自分”に繋がれていれば、どこへ行かなくてもいい。新しい土地、新しい出会いに傷つくこともないから。
カウンセラーの仕事はハートリウムから心を連れ帰ること。言い換えれば、心がまた歩けるように立ち上がらせること。あたし以上に、ティオはその適性があるように思えた。
寄り添うだけがカウンセリングじゃない。普段やる気を見せないティオだが、あたしが学ぶべきところもたくさんあると実感する。
涙を拭うシャーリィを抱き締める。
「帰ろう。大丈夫、また歩けるよ」
「うん……うん……! ごめんなさい、ごめんなさい……!」
シャーリィの体が光を帯びる。光は収束し、温かい輝きを放つ珠へと姿を変えた。珠はハートリウムの上空へふわりと浮き上がり、やがて見えなくなる。
カウンセリングはこれで完了だ。ティオと目を合わせ、手も合わせる。
「優しいだけじゃあ救えない心があるんだ、わかったか半人前」
「厳しいだけでも救えない心があるんだよ、覚えたかな半人前」
ふたりで笑い合い、
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