第6話:シャドー

「悪い予感は当たるんだ、これが……」


 本部のとある一室、ベッドの傍で項垂れる。

 横たわるのはげっそりとやつれた女性。普段はまとめていた栗色の髪は心なしかくすんで見えるし、眼鏡の奥に隠れていた目元にはメイクや眼鏡でも隠せないほどのクマが浮かんでいる。

 ハートリウムが生まれたカウンセラーは、同期であるシャーリィだった。


「すみません、自分がシャーリィを庇い切れなくて……」


 彼女のガードが深刻な面持ちで呟く。守れなかった後悔はあるだろうが、ここまで追い詰められた経緯は定かでないまま。

 まずは経緯を聞いた方がいいだろう、あたしは問いかける。


「シャーリィ、さっき会ったときから限界近そうでしたけど、そんなに今回のカウンセリング難しいんですか?」

「はい。その……今回は二回目の訪問だったのですが、前回はカウンセリングに至らなかったんです」

「ええ? じゃあ前回ってなにをしに行ったんですか?」

「カウンセリングですよ。ですがヒアリングに非協力的であることと、無茶な要求を通そうとするタイプでして。暴言も絶えず、食器や家具も飛び交い……結局、カウンセリングに臨む前に追い返されてしまい……本日改めて伺ったところ、罵詈雑言を浴びせられたことで限界が来てしまったんだと思います」


 カウンセリングまで行き着かないなんて誰が思うだろう。ある程度想像はできていたが、こうして心を閉ざすほどの相手となると相当難儀な案件なのだろうと思う。

 重苦しい空気の中、足元で不遜な鼻息が聞こえた。当然、ティオのものである。


「つまらん意地のせいで余計に解決が長引くパターンだろう? クレーマーあるあるだな」

「ティオ、クレーマーって言い方は駄目。絶対にご家族様の前で言わないでね」

「ハッ、カウンセラーをここまで追い詰めるような奴はクレーマー以外のなんだってんだ? モンスターに言い換えてやろうか? こっちは親身になって大事な家族を連れ戻してやろうってんだ。テメェの都合だけ押し付けてどうにかなると思って許されるのはガキまでだぜ」


 猫の割に随分と饒舌なことだ。まるで文字通り人生を歩んできたかのような言い方である。


 実際、カウンセラーの一人が稼働不可になってしまったのは大きな損失に違いはない。カウンセラーのハートリウムが生まれることはままあることだ。多くの人の心に触れれば触れるだけ、様々な感情を一心に受けることになる。心が疲弊してもおかしくはない。


 ただ、これは“仕事が重なってリフレッシュもできない場合”の話だ。でハートリウムが生まれるほどカウンセラーを追い詰める個人などほとんどいない。ティオがモンスターと喩える所以も理解できないことはない。


「それで、マリアからの指示は?」

「稼働可能なカウンセラーの帰着を待つとのことでした。人手不足ではあるので……」


 ガードの表情は重く、暗い。シャーリィを守れなかったことを余程悔やんでいるのだと思う。カウンセラーが滞りなく仕事をこなすための存在がガード。その本分を果たせなかったとなれば、ここまで思い詰めるのも仕方がないのかもしれない。


 ――でも、そっか。稼働可能なカウンセラーがいればいいのか。


「ティオ」

「言うと思ったよ……」


 呆れたような、諦めたような声。なんだかんだ、あたしのことはよくわかってくれていると思う。

 シャーリィのハートリウムを見詰める。どんよりとした黒いもやが膨れては弾けてを繰り返していた。


「この感じだとユースト病かな?」

「だろうな。疲れ切った感じだ、見てるこっちもため息が出るぜ」

「ぐちぐち言わないの。ほら、始めるよ」


 先端がハートを象った鍵。カウンセラーが人の心にアクセスするためのパスだ。これがなければ仕事は始まらない。

 不安そうな面持ちのガードに一言告げる。お茶目なウインクを添えて。


「あたしたちがやったのは内緒にしてくださいね」

「え? あ、は、はい……なにを?」


 ガードに微笑んで、パスをハートリウムに触れさせる。ハートリウムに波紋が走り、あたしとティオの体が淡い光を帯びる。心が体を伝い、パスを通じてシャーリィの心へ飛び込む。


 * * *


 ――目を開けると、心地良い自然の中にいた。

 豊かに葉を蓄えた枝の隙間から柔らかな木漏れ日が差し、土は程よく湿っている。建物はなく、森の中であることはわかった。


「シャーリィらしいというか、優しい世界だね」

「そうだな。平和ボケしているというか、安心するような空気は感じるか」


 ティオも頷く。

 ハートリウムは心を肉体から隔離する。見方によっては幽閉、監禁だが本質はそうではない。疲れ、荒んだ心を癒すための防衛本能のようなものだからだ。


 疲れ切った心が生み出した心象世界は楽園そのもの。勿論、心は癒えていく。それはいい。問題は、心がハートリウムから離れることを拒むようになるのだ。

 長引けば長引く分、居心地の良さは増幅されていく。つらく、苦しい現実に向き合う意志が薄れていく。社会復帰も困難になるだろう。


 そうなれば、残されるのは空っぽの器。肉体は時間の流れは止め、置き去りにされていく。家族は歳を取り、老いていくのにだ。

 目を覚ましたとき、年老いた家族と相対するのはどんな気持ちだろう。もっと早く戻れたら、どれだけの時間を家族と過ごせただろう。そのときの虚しさは想像するだけで胸が痛くなる。


 そうさせないためのカウンセラーだ。家族との時間を失わないために、患者自身の人生を取り戻すために、あたしたちがいる。


「ひとまずシャーリィを見つけにゃ話にならんな。ミライ、シャーリィはどこにいる?」

「んーと、ちょっと待ってね」


 パスに意識を集中し、深呼吸。

 いまのあたしたちは現実の肉体に囚われない。シャーリィの心に心で接触を図っている状態だ、パスが対象の心へ導いてくれる。

 首から下げたパスがゆっくりと動き出し、方向を示してくれた。


「あっちだね。見てティオ、すごく大きい木がある。木陰で休んでるのかも」

「やれやれ、呑気なもんだ。こっちの気も知らねぇで」

「まああたしが勝手にやってることだし?」

「『俺たち』だろうが。付き合わされる俺の身にもなれってんだ」

「ごめんって、諦めて。さ、行こう」


 ぼやくティオを連れてパスの示す先、大樹の元へと向かう。

 小鳥のさえずりや枝葉の擦れる音、澄んだ空気。シャーリィはきっと人混みよりもこういう自然の中が心地良いのだろうと思う。

 一度彼女の部屋を訪れたことがあったが、観葉植物や自家製のハーブなどを嗜んでいるようだった。人工物よりも自然の空気に癒しを感じるタイプであれば、この心象世界にも納得がいく。


「見た感じユースト病っぽかったけど、結構落ち着いてるね」

「油断するな。まだ俺たちに気付いていないだけだろう。いまに――」

「うひゃあっ!?」


 ティオの言葉が終わるより早く、温かな世界は牙が剥いた。足元が突然ひび割れ、凍り付いた湖のように全体に拡がっていく。

 ユースト病の症状の一つとして、自身の価値への強い疑念がある。自分は無価値な存在だと責めるような思考はその人を支える足場を脆くしてしまう。それが地形の崩壊という現象を引き起こしているのだ。


 カウンセラーとて侵入者、閉鎖された世界に異物が入り込めば、心の平穏を乱す存在と認識されるのが自然だ。ハートリウムの世界では患者の症状によって妨害に阻まれるのは常である。

 地面が砕け散る前に何処かへ飛び移らなければならない。あたしは叫ぶ。


「ティオ!」

「わかってる!」


 あたしたちは近くの木を登り、立派な枝に飛び乗る。亀裂はどんどん大きくなり、道だった足場は崩落していった。

 もたもたしていたら地割れに呑まれていただろう。考えただけでゾッとする。胸を撫で下ろすあたしにティオが言う。


「上に登ったからって安心はできんぞ。この木もいつ崩れ落ちるかわかったもんじゃねぇ」

「“シャドー”も現れるかもしれないね。あたしたちにも気づいたみたいだし」

「はあ、シャドーの相手が一番厄介なんだよな……」


 この先のことを考えてげんなりするのもわかる。シャドーこそカウンセリングにおいて最も難所と言える妨害だからだ。


 シャドーは患者の中で最も強い感情が形になったもの。自責の念や不安、あるいは怒りや拒絶など形は多岐に渡る。それぞれで傾向と対策はあるものの、人の心は十人十色。一括りにはできない。

 また、最も強い感情であるためそれを攻撃すると、患者の心の否定に繋がる。そうなればカウンセラーに対して固く心を閉ざしてしまう。結果、カウンセリングを滞らせてしまうこともある。加えて、状況によっては鎮めるために戦うことも必要にはなってくる。


 カウンセリングは急いではいけない。しかしゆっくりしていてもハートリウムへの依存は増してしまう。速やかに患者の元へ辿り着くこともそうだが、カウンセラーは敵じゃないと安心してもらうことが最優先。

 それだけ神経を使う仕事だ。心を病んでしまうのもやはり仕方ないことなのだと思う。


「ここもいつ崩れるかわからん。大樹の方にいるのは間違いないんだな? ならとっとと進むぞ」

「そうだね。シャーリィとはお茶の約束もあるんだから」

 枝の上から見下ろすと、足場は元の形に戻っていた。ハートリウムの世界は現実ではない。衝動などの心の動きによっていつでも、どのようにでも形を変える。

 足場が戻っているのは心が落ち着きを取り戻した証拠だろう。シャーリィが動揺したことによって、ハートリウムが心の安寧を取り戻すように仕掛けた可能性が高い。

 シャーリィは学ぶだろう。不安になっても、この世界は優しい。さながら親の愛のように心を包みこんでくれると。そうして患者の依存は加速していく。依存が加速すれば心を連れ戻すことも難しくなる。もたもたしている暇など一秒足りともない、しかし焦って下手を打てば信頼は損なわれる。


「難しいな、いつも」

「その顔で言うことか」

「え?」

「……いや、いい。急ぐぞ、休暇が待ってる」


 なにか言いたげなティオは先んじて枝から飛び降りて駆け出す。その顔、って? あたし、どんな顔をしていた?

 鏡なんて心象世界には持ち込めないし、常に見ているわけにもいかない。彼の言葉は置いておこう。相棒の猫を追いかける。


 ハートリウムの世界には基本的に生命が存在しない。正確には、自我を持った生命体がいない。あくまで患者本人の心を癒やすための要素、風景の一部でしかない。

 しかしあたしたちが敵だと分かれば牙を剥くこともある。派手に動けばハートリウムの意志に則り激しい妨害として襲いかかってくる。


 幸い、ユースト病の症状としては意欲の低下や気分の落ち込みがほとんどだ。強い攻撃性を伴うことは多くない。直接仕掛けてくるより、患者の心情の変化に巻き込まれることの方が多い。


 急激な変化はほとんどない。落ち着いてきているのか、はたまた即座にハートリウムが癒やしているのか。後者ならば依存も加速している頃だろう、自然と足が急ぐ。


「馬鹿止まれ」

「っぶぇ」


 猫の跳躍力は見事なものだ。あたしの顔まで飛び上がり、自慢の肉球を顔に押し付けて制止する。急ぐと言ったり止まれと言ったり、忙しない相棒だとため息を吐く。

 しかしティオの面持ちは真剣そのもの。なにか見つけたと考えるのが妥当だろう。気を引き締める。


「シャドーがいた、一旦観察するぞ」


 こんなに早く遭遇できるのは幸運かもしれない。ティオが顎で示す方を、茂みの陰から観察する。


 そこにいたのは真っ黒な人だった。小柄で、髪と思しき部分は首の辺りで二つに分かれている。間違いない、シャーリィのシャドーだ。


 シャドーは顔や服などを黒で塗り潰したような出で立ちをしている。加えて、シャドーは基本的には一体しか存在することができない。つまりあれを攻略できればカウンセリングの難易度は大幅に下がる。

 耳を澄ませ、シャドーの様子を窺う。なにか呟いているようだった。


『なんでうまくいかないの……? みんなみたいに、ちゃんとできないの……? 私がちゃんとできてれば……みんなも苦労することないのに、私が役立たずだから……仕事もまともにできないカウンセラーは要らない……ううっ……! アアアアアッ!』


 シャドーの周りに黒いもやが湧き上がり、苦しむように全身を震わせていた。

 それと同時にあたしたちの足元にも異変が起こる。土がぬかるみ、足を飲み込もうとしていた。声が出そうになるものの、まだ気づかれるわけにはいかない。

 ティオは落ち着いている。尻尾であたしの足を叩き、様子を見ろと訴えた。


 直後、黒いもやが淡い光に変わる。シャドーは安心したように胸を押さえ、ゆっくりと呼吸を整えているようだった。ティオが「ふむ」と息を吐いた。


「シャーリィは自責型――とりわけ強い劣等感があるタイプか? 他人と比べる癖があるんだろう。ハッ、わかっちゃいたが大層な理想論者だ」

「理想論者……まあ、言い方次第かな」


 不出来な自分に苦しむということは、理想に現実の自分が至らないことへのもどかしさでもある。思い描く理想の本質は“自分はここまでやれるはず”という自信や驕りにも言い換えられるからだ。ティオの言葉は聞こえが悪いが、理想に囚われる姿を見ればあながち的外れでもなかった。


 シャドーにはいくつかのカテゴリがあるが、大きく分けると二つ。“自責型”と“他責型”だ。自責型は読んで字のごとく原因を自分に探すタイプであり、客観視が極端に苦手な傾向にある。他人が見れば環境や他人が悪いと判断出来ても、主観が強過ぎるが故に自分自身が全ての元凶であると考えることが多い。


 自身を責め、苦しめていくシャドーの傾向と、心を癒し安心させるハートリウム。精神的な自傷と癒しのサイクルに入れば依存度が加速的に上昇していく。

 そのため迅速な対応が必要だ。幸い、自責型のシャドーの攻撃性は高くない。このまま接触を試みた方が良さそうだ。ティオも同じことを考えていたようで、頷いてくれる。

 足場も元に戻っている、茂みから姿を出して声をかけた。


「シャーリィ」


 シャドーはあたしの声に驚いたか、身を竦める。警戒心が高まっているのか、体の周りに黒いもやが再び湧き始める。

 まずは安心感、敵意がないことを示すべき。あたしは足を止め、それ以上近づかない。


「驚かせてごめんね。これ以上近づかないから、お話しよう」

『……お話?』

「うん、そう。シャーリィ、苦しそうだから。なにがあったか教えてほしいな」


 こちらから話すことはあまりない。患者のことを知る意味も含めて、話してもらうことが大切だ。


 シャドーは戸惑っているのか、沈黙を続ける。こちらからはアクションを起こさない。あたしが話してもシャーリィの心が受け入れる態勢になければ意味がないのだ。


 そして、絶対に目は逸らさない。あなたの言葉を待っているよ、話を聞かせてほしいと伝える。視線はときに口よりも雄弁だ。言葉はなくても、待っていることは伝えられる。

 沈黙に耐えかねたか、シャドーは訥々と語り始める。


『……仕事を、満足にこなせない私なんて、役立たずで無価値なカウンセラーなんて、要らない……でも、すっごく嫌で、苦しくて……つらいの』

「どうして役立たずだって思ったの?」

『どうして? ……どうして、って……直近の仕事で、うまくできなくて、ご家族様を怒らせちゃったし』

「直近の仕事が原因なんだね。それよりも前の仕事もそんな感じ?」

『……うん、そうだよ。ずっと、ずーっとそう。カウンセラーとして、なんの役にも立ってない』


 ユースト病によくある思考だ。自身の価値に対する強い疑念。自分の居場所はここにない、自分にはなんの価値もないと思い込む。

 本人なりの根拠はある。直近の仕事で上手くいかなかったから。失敗や挫折は記憶に残りやすく、それが全てであると信じやすい。ずっと、という言葉からそれが窺える。

 だからこそ、効く言葉がある。


「本当? 本当に誰からも必要とされてない? ありがとう、って言われたこともない?」


 シャドーは押し黙る。表情が窺えないため、怒っているのか、困っているのかわからない。

 それでも必要な問いかけだった。自分の頭で、自分の口で“それ”を否定する必要がある。こちらからは絶対にできないこと。患者本人の意志で、自身の結論を否定することが必要なのだ。

 しばらく待ってみると、シャドーは観念したように呟いた。


『……言われたことは、ある、けど……』

「ありがとう、ってなんで言われたと思う?」

『……?』


 なぜ、ありがとうなのか。そんなこと、日常生活でしっかり考える人の方が少ないだろう。

 ご飯をよそってくれたから、お風呂を沸かしてくれたから、洗濯してくれたから。理由なんて幾らでも思い当たるだろうが、本質はそこじゃない。あたしは続ける。


「ご家族様にとって“有り難いこと”だからだよ」

『……どういうこと?』


 信頼してくれたか、私の言葉を待つ姿勢に入った。もう少しでシャドーの警戒は解けるだろう。油断せず、慎重に。言葉を紡ぐ。


「ハートリウムから心を連れ帰ることができるのはカウンセラーだけ。ご家族様にはできなかった“有り難いこと”を、シャーリィがやってくれた。だからありがとうって言った。その事実が、シャーリィっていうカウンセラーの価値じゃない?」

『でも、私以外のカウンセラーにもできることだよ』

「そうかもしれないね。でも、患者様やご家族様にとってカウンセラーはシャーリィのことなんだよ」


 沈黙するシャドー。受け入れ難いことだとも思う。自分は仕事ができない役立たずで、無価値な存在であると確信を持っていたのだ。

 そこに事実を突きつけられれば、自分が信じていたものが根拠に乏しく、信じたいだけのまやかしであったことに気付けるはず。シャドーは戸惑っているのか、胸に手を当てて俯いた。もう少しでいけるはず。


「患者様やご家族様は他のカウンセラーの仕事ぶりなんて知らない。比較もできない。仕事ぶりに優劣をつけることは、患者様やご家族様にはできないの。その方にとって“有り難いこと”をしてくれたシャーリィは価値のある存在だと思ってくれたと思う」

『で、でも、他の人に比べたら私なんて……』

「どうして比べる必要があるの?」

『……それ、は』


 次第に言葉を飲み始めるシャドー。自責型のシャドーは傾向として他者との比較から生まれることが多い。他人はできてるのに自分はできない、と劣等感を刺激することが原因である。

 だが、その思考は極めて危険だ、生産性がない。特にカウンセラーは競争社会でもなければ営業職のようなノルマもない。他人と比較して自分を責めることにはなにも意味がないのだ。


 しかし自責型の患者はそれを善しとしてしまう。自分を責めることが一種の安心材料になっているのだ。ある種の自傷行為に近い。

 心の寄る辺を見出せない中で唯一疑いなく信じられるのが“自分は無価値な存在である”という確信。無価値であることに安心感を覚えている状態がシャーリィがハートリウムここにいる理由である。


 もう少しだ。一歩踏み出してみる。シャドーがぴくりと動いた。でも、大丈夫。いまは信じられる。手が届く距離まで近づき、手を握る。


「シャーリィはね、シャーリィなんだよ。誰かと比較しなくていいの。シャーリィのペースで歩いていけばいいんだよ」

『……でも……みんなみたいに、なりたい。あんなふうに、ちゃんと仕事ができる人に、なりたい……駄目な私は要らないの』


 どろり、とシャドーの体が溶けていく。警戒心は解けただろうが、まだ閉じ籠っている。あたしの言葉を素直に受け入れるには、あと一押しが足りない。


「もう少し、かな」

「そうだな。敵意がないことは伝わっただろう。大樹の下にいるんだろう? 急ぐぞ、またサイクルに入る前にな」


 ティオの言葉に頷く。地形も安定しているので、直接話すことができれば解決できるだろう。あたしたちはそのまま大樹の方へ向かって駆け出した。

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