第5話:熱狂と恐怖
ブシドースピリットの会場は電車で一駅、総合病院に併設された運動場で行われるようだ。使う武器の性質上、重大な怪我は発生しない。万が一、怪我人が出たときに迅速に対応できるためここが選ばれたらしい。
運動場の扉を開くと、息が詰まりそうなほどの賑わいと熱気が飛び込んできた。これから頂点を争う者たちが集っているのだ、当然かもしれない。
生の闘争心というものを目の当たりにして、少しだけ高揚していることに気付く。確かに、非日常を感じられる場だということもわかる。これだけ闘志を剥き出しにできて、あまつさえそれが肯定される空間は他にないだろう。
すたすたと受付に向かうアステル。あたしも彼の背を追うが――
「アステル! なんでテメェがここに!?」
怒声にも似た声に会場が鎮まる。受付に立つ男性は鬼気迫る形相でアステルを睨み付けている。しかしアステルは一切動じない。
「久し振り、オーナー。参加しに来たんだよ」
「殿堂入りだっつったろうがよ! 出て行け!」
「俺が出場すると不都合なのか?」
「そうだよ! お前が強過ぎてしらけるから参加するなっつってんだ!」
やっぱりこうなったか。アステルは鈍すぎる。なぜ突っ撥ねられてるのかがわかっていない。頭を抱えつつ、彼の手を引く。
「アステル、諦めて帰ろうね」
「ミライ、でも」
「……あ? アステル、その娘は?」
「ミライは俺のパートナーだよ」
「パ、パパパ、パートナー!?」
素っ頓狂な声を上げる男性、周囲のざわめきも次第に大きくなる。
アステル、パートナーはパートナーだよ。仕事のね。絶対違うパートナーだと思われてるよ。
どうしたものかと思考を加速させる。当然、本人はこのどよめきが自分発祥であることも理解していないようだった。鈍さは罪である。
「……いいだろう」
「へ?」
「アステル、お前の参加を認める」
「いいのか、やった」
「ただし! 大会の趣旨を変える!」
「え?」
「今日ここに来た全選手とやり合ってもらおう! アステルを負かした奴には全員賞金をやる!」
「えええええ!?」
「ウオオォォォー!」
とんでもない事態になってしまった。だって、ざっと見て五十人はいる。一対一とはいえ、五十連戦? いくらアステルと言えど、これだけの人間を一人で相手取るのは無茶も甚だしい。
「アステル、やめときなよ。さすがにこれは」
「オーナー、参加人数は?」
「今日は五十六人だ」
「五十六回も試合ができるのか! 楽しみだな、ありがとう!」
こんなに爛々と声を弾ませるアステルは初めて見た。オーナーもお礼を言われて面食らっている。どれだけ意地悪しても手応えがない上にお礼を言われるなんて、この人も報われないな。
背中の筒から剣を取り出す。十全に空気の詰まった、黒い刀身。アステルの顔はまるで少年のようだった。
「誰からやる? 俺はいつでもいいぞ!」
と思った矢先、一人の青年が剣を高々と掲げた。
「俺だ! 覚えてるかアステル!」
「ごめん、記憶にない!」
「馬鹿にしやがってこの野郎! お前が出た大会で毎度決勝戦で当たってんだよこちとら!」
「毎回決勝戦か、すごいな! 強いんだな!」
「嫌味か! 可愛い女の子連れてきてカッコいいアピールのつもりか!」
「半分くらい合ってる!」
「舐めやがってェ!」
アステル、口から出る言葉全部が油だ。吐けば吐くだけ火が回る。大火事どころの騒ぎじゃない、ここが地獄か。
周囲の熱気……というか殺意が凄まじく高まっているのを感じる。これ、一人で処理する気? 提案する方も承諾した方も常軌を逸してる。
「ミライ、お前に相応しいところを見せるよ」
「はいはい、頑張ってね……」
本人がやる気だからとやかく言うまい。
的となる紙風船をお互い装着し、コートで対峙する両者。お相手は頭に血が昇って息が荒い。あれ、本当に殺す気なんじゃなかろうか。
一方アステルも興奮を抑えきれないという様子でそわそわしている。試合ができて嬉しいのだろうが、この状況で向けられる感情にはてんで関心がないように見える。
オーナーが両者の間に入り、手を掲げる。
「よし――始め!」
オーナーの手が振り下ろされるや否や、乾いた音が幾つか重なって聞こえた。
瞬く間、お相手の紙風船が全て潰れていた。静まり返る会場、アステルは深い息を一つ吐いて剣を引く。
「ありがとう、次は誰だ?」
「は……はあああ!?」
お相手も理解が及んでいないようだった。勿論、私含めたギャラリーも。あんな一瞬で、鮮やかに的を叩き割った。瞬きさえ許さない太刀筋。世が世なら通り魔や暗殺者としても名を馳せたことだろう。
あれが仲間でよかった、敵だったらどうなっていたことか。むせ返るような空気の中、体の芯が冷えた気がした。
「一人一人の相手は時間がかかるな、まとめてかかってきてもいいぞ」
「……馬鹿にしやがってェ!」
次々と的を身に付ける参加者たち。ちゃんと競技に則ってアステルを倒そうとしている辺り、プレイヤーの民度は高いスポーツなのかもしれない。
準備ができ次第襲い掛かる参加者たち。アステルは爛々とした眼差しで一人一人の息の根を確実に止めていく。途中からはもう人垣に阻まれて見えていない。
命を失った者たちはその場に膝をつき、次第に壁が拓かれる。最後に立っていたのはアステルだけ。彼の紙風船は一つたりとも割れていなかった。
アステルはあたしの方を見るなりゴムの剣を肩に担ぎ、珍しく笑顔を見せる。
「ほらな。強いだろ、俺」
「うん、そうだね……」
誇るべきことなのだと思う。ただ、この有様が彼自身を恐怖足らしめているところを考えると、素直に祝っていいものか迷う。
オーナーがわなわなと震えていた。そりゃあそうだ、絶対にアステルを負かせるだろうと踏んでの運営だっただろうから。
「オーナー、俺の優勝だ。賞金は?」
「……! 持っていけ!」
貨幣の詰まった袋を乱暴に投げられるが、アステルは意にも介さずキャッチする。
彼はあたしの下に駆け寄ると、子供のように目を輝かせて袋を見せつけてきた。
「ミライ、やったぞ。お小遣いだ」
「うんうん、よかったね」
フィールドは死屍累々、凄惨な現場ではあるがアステルは無邪気な子供そのものの顔をしている。そんな彼を見て微笑ましくも感じた。母の気持ちってこういうものなのだろうか、親の記憶がないあたしにはわからない。
「さ、帰ろ。満足したでしょ?」
「ああ。久々の大会だったからな、すごく楽しかった」
顔を見ればわかる。アステルにも意外な一面があることもわかった。確かに、あれだけ強ければガードを任せることになんの異論もない。
帰路につくあたしたち。アステルはにこにこと満面の笑みを浮かべている。本当に同一人物かと疑うほどの笑顔につい苦笑する。
「どうしたんだ、いきなり笑って」
「いや、アステルが別人みたいだなぁって」
「そうか? 俺はいつもこんな感じだと思うけど」
きっとアステルは自分のことに関心がないのだと思う。客観的に自分がどう見えているかをまったく考えないのだろう。
それ故の実力でもあるのかもしれない。どういう経緯でガードになったかはわからないが、なりふり構わずがむしゃらに努力を続けていまの彼が在るのだと思う。
ブシドースピリット大会殿堂入りかつカウンセラーのガードだ、その肩書が彼の実力をそのまま証明していたことに気付く。
「心配しないで。ちゃんと格好いいよ、安心した」
「そうか、よかった。安心してくれたならなによりだよ」
彼は深く考えるより物事をシンプルに考えた方がよく働きそうだ。純粋だし。
少し歩いて、駅前。妙なざわめきに気付く。なにかあったのだろうか?
「アステル、抱っこ」
「わかった」
短くとも通じる。アステルはあたしの腰を掴んでひょいと上に持ち上げた。遠目に見ると、誰かが担架で運ばれているようだ。ブシドースピリットの参加者だろうか?
……いや、待って。担架はカウンセラー用のホームに駆け込んでいった。誰かのハートリウムが生まれたと考えるのが妥当だろう。
「ミライ、見えたか?」
「うん、誰かが本部に搬送されてるっぽい。ハートリウムが生まれたんだろうね」
「そうか。ミライは休むんだぞ」
「げっ、見透かされてた……」
「当たり前だろ。ミライは休み、いいな」
「はぁーい……」
カウンセラーはいつだって人手不足。あたしが動けるうちはあたしが動けばいいと思っているのだが、ティオやアステルはそれを善しとしない。
大切にされていると思う反面、少し不服でもある。休めばいいんでしょ、休めば。と感じてしまう辺り、あたしもまだまだ子供なのだと思う。
不穏なざわめきは止んでいない。そんなに驚くことだろうかと思うが、聞き捨てならない単語が耳に飛び込んできた。
「さっき一番街の友達から聞いたけれど、カウンセラーのハートリウムが生まれたらしいわよ……」
「人手不足なのにか? ハートリウムは絶えず生まれ続けるのに……頼りになるのかならんのか、わからんもんだな」
……カウンセラーの、ハートリウム?
医者の不養生なんてよく言ったものだ。人の心を取り扱う者が心を病んでしまうなんて。
いやそれより、ハートリウムが生まれるほど心が追い詰められてるカウンセラー? 最悪なことに、一人思い当たってしまう。
「……まさか、ね」
「ミライ、大丈夫か?」
「うん、大丈夫。あたしはね……」
悪い予感は当たってしまう。考えるのはやめておこう。大丈夫、あたしの同期だ。強い子だし、きっと上手くやっているはず。
そう信じなければ、動かずにはいられなくなるから。
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