第4話:心の燃料

 柔らかな女性の声。温かく迎え入れるその声音をずっと昔から聞いていたような気がする。保護されて十年になるのだ、昔から聞いているというのも間違いではないだろう。

 失礼します、と一言告げて扉を開けば、ふわりといい香りが鼻孔をついた。出処を辿れば、一人の女性がカップにお茶を注いでいる。

 金色の長髪は癖がなく真っ直ぐ垂れており、優しげに垂れた眼には真っ赤な宝石が埋まっている。女性らしい豊かな丸みを帯びた体は彼女の柔和さを十二分に表しているように見えた。あたしと同じ白衣を着ており、胸元には赤いハートの紋章があしらわれている。

 ハート・ユニットの管理者――マリアはあたしの姿を見るなり、穏やかに微笑む。


「お疲れ様です、ミライ。ハートリウムは?」

「はい、これだよ」


 アステルから預かったハートリウムを慎重に手渡す。マリアはハートリウムをじっくりと観察し、安心したように笑みを浮かべた。


「綺麗ですね。心の闇が晴れ、門出を祝うような空の色。あなたの仕事ぶりが見て取れます」

「ありがとう、そう言ってくれるのは嬉しいよ」

「おいおいマリア、『あなたたちの』が正しいんじゃあねぇか?」

「ふふ、そうですね。このハートリウムはあなたたちが優秀なカウンセラーであることの証明です」


 仕事中は消極的なくせに、変なところで自己主張が強いのはティオの良くないところだと思う。

 とはいえ、あたしひとりじゃままならない。ティオとふたりでようやく一人前なのだ。褒めてもらえたからと調子づいてはいけない。ティオもだし、あたしもである。


「さ、しばらく診察が続いていたでしょう。一息入れる意味でも、お茶でもいかが?」

「いいの?」

「頑張った子にはご褒美ですよ」


 そうは言うが、疲れた様子もないあたしよりもっと労わるべき者がいるだろうと思う。脳裏を過るのは、あの儚げな同僚。


「だとしたらあたしよりシャーリィだよ。さっき見たけど、死にそうな顔してたよ」

「ありゃあ手強い怪物と長いことやり合ってるツラだな。どんな症状でシャーリィが駆り出されたんだ?」

「症状自体は“ハルシエ病”なので、特別なものではないのですが……」


 ハルシエ病。ハートリウムとは切っても切れない精神疾患の一つだ。具体的な原因はいまだ解明されておらず、一説には過剰なストレスが原因とも言われている。

 症状としては幻覚や妄想、倦怠感や意欲の減退などが挙げられる。時期によって症状の強さや傾向が異なる為、適宜対応していく必要がある。 


 ……のだが、シャーリィはあたしと同期。ハルシエ病の患者など何度も対応しているはずだ。あの疲労は患者起因ではない、間違いなく。

 ティオの言葉にマリアも深いため息を漏らす。


「ご家族様の要望に沿うのが難しくてですね……シャーリィも四人目のカウンセラーなんです」

「え、四人目? 前の三人はどうしたの?」

「ご家族様の強い要望で変更されました」


 言葉を選んでいるのは伝わる。その実態はただのクレーマーだ。あるいは、患者が幼いのならモンスターペアレントである可能性も考えられる。

 シャーリィは優しくて人当たりがいいカウンセラーだ。親身なヒアリングで徹底的に患者の理解を深めてからカウンセリングに臨む。カウンセラーとして積み重ねた実績も疑いようがない。その姿勢はあたしも見習わなければと思う。


 ただ、今回ばかりは裏目に出るかもしれない。なにせ四人目だ。同じ説明をするのはうんざりだと、ヒアリングを拒否された可能性が高い。要求も一方的なものだろう、さすがに同情する。


「シャーリィが戻ってきたらちゃんと労わってあげてね。あたしは大丈夫だから」

「わかりました。ひとまずお疲れ様でした、ゆっくり休んでくださいね」

「ありがとう。ティオ、行くよ」

「はいよ。ああ、ようやくゆっくり休めるぜ」


 言うのは勝手だがせめてユニット長の前では控えてほしいものである。あたしたちはふたりでひとり、つまりあたしの評価にも響くかもしれないのだから。

 だが、実際「ようやく」という言葉も間違いではない。このところ毎日ハートリウムと向き合っていた。アステルに言われるまでは気付かなかったが、休暇もなく診察を続けているカウンセラーはそう多くないはず。


 あんまり顔には出さないだけで、ティオにも無理をさせていたのかもしれない。無理が祟っては仕事をさせてもらえなくなる可能性もある。休ませてもらえるならそうした方がいい。


「じゃあマリア、失礼します」

「はい、お疲れ様です」


 一礼し、部屋を出る。

 エレベーターに乗っている間、休みという事実を反芻していた。休み、休暇だ。暇をもらうとも言う。


 ……暇をもらって、どうするのだろう。


 思えば、休日だからといってなにをするわけでもなかった。買い物に行ったり、趣味を楽しんだり。多くの人が暇を潰すためのものを、あたしは持っていないのかもしれない。


「……勉強しよっかな」

「ハッハ、殊勝なことだ。なにがお前をそこまで駆り立てる? 別にカウンセラーは俺たちだけじゃねぇんだ、たまの休暇くらいのんびりしたってバチは当たらねぇさ」

「なにが? なにがって……うーん……」


 いざ問われると言葉に迷う。

 実のところ、休みを後回しにしてでも働く理由は存在する。ただ、それを納得できる言葉に置き換えるのは困難を極めた。きっかけも理由もなく、突然そこに現れた不鮮明で大きなものだから。

 だんまりを決め込むわけにもいかず、輪郭もはっきりしないまま答える。


「――なんか、カウンセラーになって、たくさんの人を救わなきゃって思う。あたしが、っていうより、心がそう叫んでる……気がする」

「なんじゃあそりゃ。お前自身とお前の心が分離してるとでも言うのか? それとも別人の心が宿ってるとでも?」

「そんなことないと思うけどね。あたしの心があたしから離れてるなら、どこかにあたしのハートリウムがあるはずでしょ? それにハートリウムが生まれてたら、いまここにいるあたしは誰? って話じゃん。わけわかんない話になっちゃうよ」

「それもそうだな。まあ馬鹿は頭を使うより首から下を使って働いた方が世のため人のためだと思うぞ、うん」

「あーあ、頭のいい猫ちゃんはこんなに可愛げがないんだ。これじゃあ到底労わってあげられないなぁ」


 皮肉を返してもティオは呑気に笑うだけ。このやり取りにも慣れたものだ。本当に、なぜこの嫌味な猫が保護者の代わりを務めているのかがわからない。


「ときにミライよ。お前、実の両親のことは覚えてるのか?」


 いつになく神妙なティオの声。しかし視線は眼下に広がる街に向いたまま。どんな顔で問いかけているかはわからないが、素直に答えるとする。

「うーん、ハッキリとは覚えてないんだよね。全然帰ってこなかったし、正直顔も覚えてなかった。いまだに顔を見せてないわけだしね。カウンセラーとガードだったんだよね?」


 マリアから聞いた話だ。あたしの両親はカウンセラーとガードだったらしく、仕事をしていくうちに惹かれ合い、後に結婚。あたしを生んでからも仕事に熱心で、子供の頃に一家団欒など経験した覚えがない。


 ――ずきん、と胸が疼いた気がした。


 どうしてだろう? 記憶がほとんどないのに、どうしていま心が動いた? いま、なにを感じた?


 目を逸らしていただけで気にしてはいたのだろうか。子供の頃の話だ、なんてことないと口では言えても心からそう思えているとは限らない。自分のことなのに、だ。


 ティオの視線はいまも外に向いたまま。懐かしむような声で続けた。


「あいつらは優秀だったよ。誰もが目標にするような、模範とも言えるカウンセラーだった。名前も知らない誰かのために、どんな不可能も覆した。夢と現の狭間に在るような、現実離れした存在だったよ」

「そうだったんだ、ティオはパパとママと面識があるの?」

「さてな」

「ええっ、絶対知ってる口振りだったのに!」


 ごまかしたのは目に見える。声に乗る感情は本物のように感じられたから。


 だが深く言及はしない。ここでごまかすのはなにか不都合があるからだろう。詮索するのはやめた方がいいことなのかもしれない。

 言葉を飲み込むと、ティオは短く息を吐いた。


「まあ覚えてないならそれでいい。俺が厳しく手塩にかけて育ててやったんだ、パパだのママだの言ってガキのように甘えるお前は見たかねぇ」

「そういう親の理想の押し付けが児童のハートリウムを生むって、最近ニュースになってるよ。猫ちゃんには難しいかな?」

「ああ、難しいねぇ。人の世のこたぁ猫にはわからんよ」


 都合のいいときだけ自分を猫としてカウントするのだ。ずる賢さは人のそれである。


 保護者の代わりでもあるこの猫、ティオとの出会いはもう十年も前になる。両親が行方を眩ませた日から、マリアの計らいでカウンセラー本部に住まわせてもらうことになった。

 その頃に、突然あたしの前に現れたのだ。喋る猫を初めて見たあたしは無邪気に遊ぼうとしたものだったが、ティオは初めて会ったときからずっとこの調子だった。

 自身を「保護者」と言い、あたしのことを一人の人間として育て上げてくれた。彼は厳しく、何度も泣かされたが、愛も恩も感じている。敢えて口には出さないけれど。


 適当に話題を振っておこう。これ以上黙っていても話さないだろうし。


「ティオは休みってなにするの?」

「その辺ぶらついたり、日向ぼっこくらいだな」

「なにそれ、猫みたいだね」

「猫だっつってんだよ俺は。猫は暇に幸せを感じる生き物なんだよ」

「はいはいそうだったね。あたしたち、なんでふたりでひとりなんだろう。こんなに正反対なのに」

「なんの因果かねぇ、俺も知りたいぜ」


 どういうわけか、あたしたちはふたりでひとりなのだ。水と油のようでもあるが、なんだかんだ折り合いをつけていまに至る。

 ティオが大人なのだろう。どれだけ疲れていても仕事だと言えば付き合ってくれる。我を通して休みだと言い張ってもいいのに、それでもあたしの意志を尊重してくれる。

 ありがとうの気持ちだけは持っておこう。伝えるかどうかは別にして。


 エレベーターが一階に到着する。ティオはそのままひとりでどこかへ行ってしまった。休暇を気ままに過ごすためだろう。


 とりあえず部屋に戻ろうか。カウンセラーは所属ユニット毎に専用のエリアがあり、ハート・ユニットは本部の東側にある。あたしの部屋は四階、階段を使えばいい。

 東側に向かうと、階段から見慣れた顔が降りてきた。


「あれ、アステル?」

「ミライか。報告は終わったのか?」

「うん、これから部屋に戻るところ。アステルは?」

「ああ、お小遣い稼ぎに行こうと思って」


 アステルの背には長い筒。そこに入っているものは見当がつく。


「なんだっけ、サムライごっこじゃなくて……」

「ブシドースピリット」

「それそれ。また大会あるの?」

「月一で開かれる大会があって、そこに参加してくるんだ」


 いつもと表情は変わらないのに、不思議と楽しそうな顔に見える。

 ブシドースピリット。

 空気を入れて膨らませるゴム状の剣を使い、チャンバラをする競技だ。体に五つの紙風船を装着し、先に五つを割った方が勝ちというもの。

 競技としてはそれなりに盛り上がっているらしい。この世界には漫画のようなモンスターが存在しないことから、武器を持って戦うという非日常を手っ取り早く味わえるからだそうだ。


 それはそれとして、ひとつ気になることがあった。


「……アステルって出禁じゃなかった?」

「出禁じゃない。殿堂入りだよ。参加するまでもなくお前が優勝だって言われた。名誉は名誉のままにしておいた方がいいから二度と来るなって言ってたぞ」


 それってつまり出禁なのではなかろうか。


 以前担当した患者がブシドースピリットの熱心なファンだったようで、アステルの顔を見るなり興奮気味に語っていたことを思い出した。

 あまりにも圧倒的な強さで、出場する度に優勝と賞金を掻っ攫っていくことから“恐怖スペクター”という通り名がついたと聞いた。


 およそ人間が冠する名前ではないと思ったが、アステル本人は「通り名って格好良いな、有名人みたいだ」と気に入っているようだった。やはり彼はどこかズレている。


「ま、まあ、行ってみるといいかもね。訓練にもなりそうだし」

「そうだな。最近は順調にカウンセリングできているから、俺の出番もないし。なまらないように必死だよ」


 その顔で必死と言われても説得力に欠ける。

 しかしいいことを聞いた。空虚な時間を過ごさずに済みそうだ。


「ねえアステル、あたしもついていっていい?」

「いいけど、どうして?」

「単純に気になるから。カウンセリング中はアステルがなにしてるかわからないし、本当に強いのかなって思ってさ」


 ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。こういうところは親の背中に影響をされたのかもしれない。

 当然、アステルには響かない。ほんの少しだけ口角を上げたように見えた。


「安心してガードを任せられるっていうところを証明するよ」

「楽しみにしてる。さ、行こ」


 会場で突き返されないことを祈ろう。上手く言いくるめて出禁を言い渡されているのだから、よっぽど参加してほしくないのだろうし。

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