第3話:ハートリウムとカウンセラー

「ほら起きろ、着いたぞ」

「っぷぇ」


 ぶに、と柔らかいなにかが鼻を叩く。ティオの肉球であることはすぐにわかった。アステルが心配そうに顔を覗き込んでくる。


「ミライ、大丈夫か? 疲れてるだろ」

「疲れ……て、は、いないような気がする……」

「そう信じたいだけだろ、戻ったらすぐに寝るといい」

「まだ日も高いのに?」

「最近働き過ぎだと思う。ティオも疲れてるように見えるし、寝なくてもいいから少し休もう」


 アステルの声音はやはり変わらない。心配しているのかもわからない。ただ、目の奥にはいつも真剣さが宿っている。嘘は言えない人だ。素直に言うことを聞くのが吉だろう。


「んー……わかった」

「やれやれ、若さは鈍さかねぇ。気の利くガードで俺は嬉しいぜ」

「少し過保護かもしれないけど、カウンセラーの苦労は俺にはわからないから。つらかったら言ってくれ」

「ありがとう、アステル」


 アステルはこくんと頷く。わかりにくいだけで、悪い人ではない。真っ直ぐ過ぎて不器用なだけなのだ。


 停止した車両を降ると、すぐそこには扉がある。オートロック式になっており、四桁の暗唱番号を入力することで扉が開く仕組みになっている。テンポよくボタンを押すと短い電子音がした。それと同時、扉は横にスライド。白く、広いホールに行き当たる。あたしと同じ白衣を着た者たちが忙しなく動き周っていた。


 首都セントリア。世界の中心とも言える大都市であり、世界各地と密接に繋がりを持つ。なぜなら、カウンセラーの本部があるからだ。

 体から離れてしまった心を在るべき場所へと導く者、カウンセラー。最も繊細で、尊いものに触れる資格を持った者。あたしとティオもその資格を頂き、カウンセラーとして日々仕事をしている。


 あたしとティオは史上最年少のカウンセラーであり――“ふたりでひとりのカウンセラー”という他に類を見ない存在でもあった。


「アステル、後はあたしたちで大丈夫だよ」

「わかった。ハートリウム、落とさないように気を付けて」

「うん、ありがとう。先に休んでていいからね」

「ああ、そうするよ。じゃあな」


 アステルからハートリウムを受け取り、彼の背中を見送る。決して大きくはないが、姿勢がいいせいか頼り甲斐は感じられる。実際に剣を振るったところを見たことはないが、ガードを任されるくらいだ。その実力を疑うこと自体失礼なのだと思う。


「さ、行こうか」

「おう。さっさと済ませて休むとしよう」


 報告は直属の上司に行う。カウンセラーとガードはそれぞれの性質に合わせて配属先が異なっており、たとえばカウンセラーとして患者と直接向き合う者はハート・ユニット所属になる。

 ユニット長は本部の上層にある執務室にいる。直通のエレベーターもあるので、そこへと向かう。


 すれ違うカウンセラーの面々はどことなく表情が重たい。当然だとは思う。人の心ほど慎重に扱わなければならないものはない。どれほど高級な陶器より脆く、歴史的建造物よりも尊い。この上なく愛おしいものだ。

 それに触れる許可が降りたのは光栄なこと。その一方で、人間の最も弱い部分と向き合わなければならない重圧は並大抵のものではない。


 ――いつもお疲れ様です。


 自分も言われる立場だが、同僚を労う気持ちは常に持ち続けていたいところだ。

 そうしてエレベーターに到着すると、ちょうど降りてきた者と鉢合わせる。


「あれ、シャーリィ?」


 あたしと同じタイミングで資格を得た女性、シャーリィだった。

 栗色の細やかな髪を顎下辺りで結い、大きく丸い眼鏡が彼女の柔らかさを強調している。あたしよりも背が低く、一見すると頼りない印象を抱かせる。疲れを隠し切れておらず、顔に血の気が通っていないのもまた彼女の儚さを助長していた。


 シャーリィはどんよりとした面持ちであたしを見上げる。ああ、と声を漏らすもその声は疲労でざらざらしていた。


「ミライ……? いま帰り? お疲れ様」

「ありがとう。シャーリィはこれから?」


 力なく頷くシャーリィ。カウンセラーの仕事は個人に偏ることなく振り分けられているはず。ここまで彼女が疲弊している理由は、幾つか考えられる。敢えて触れるのも野暮な気がした。


「頑張って、っていうのも酷だよね。帰ってきたらお茶でもしよっか。マリアから貰ったお茶があるんだ。すっごくいい香りなんだよ」

「あはは……ありがとう。じゃあ行ってくるね」

「行ってらっしゃい、気を付けてね」


 とぼとぼと歩くシャーリィの背中を見送る。元より自分を表現することの少ない人だったが、このまま溜め込み過ぎないことを祈るばかりである。後で落ち合うのだろうが、彼女をケアしてあげられるかもガードの腕が試されるところだ。

 黒い影を背負って歩くシャーリィ、その背中を見てティオが苦笑した。その顔は意地の悪いもの。


「ありゃあよっぽどの怪物の相手をしているな。同情するぜ」

「こら、ご家族様に対してなんてこと言うの」

「別に俺ァ家族だなんて言っちゃいねぇんだがなぁ。なんだって家族のことだと思った、ええ? 言ってみろ」


 にやにやと、からかうような視線を向けてくるティオ。反論できないことが悔しい。あたし自身、シャーリィをあそこまで追い詰めているのが家族であると確信していたからだ。

 それをわざわざ言わせようとする辺り、本当に性格が悪い。こんなのでもカウンセラーである。資格が順当に与えられているとは思えない。


「……もう、行くよ」

「へいへい。カウンセラーが板についてきたなぁ、俺たちも」


 どの口が言うのやら。


 エレベーターに乗り込み、本部の上層へ。壁はガラス張りになっており、首都の様子が一望できる。

 遠目にも賑わう商店街や、豊かな庭を持つ豪邸、無機質な集合住宅の建ち並ぶ区画。見下ろせる限りでも多彩な街並みに違わず、いろいろな人が生を営んでいる。


 その中には疲れ、嘆き、希望を見失った結果、心を手放してしまう人たちがいる。手放した心は自ら体へ戻ることはない。心は楽園に在るからだ。

 アステルから預かったポーチに目をやる。すっぽりと収まるガラス玉の中には穏やかな光が灯っている。診察が始まる前までは暗く淀んだ光がうねり、嵐を兆していた。患者の心が閉じ込められていたから。


「……ハートリウムって、不思議なものだね」


 体を離れた患者の心はそれ自体が意志を持ち、安全な楽園へと隔離する。このガラス玉こそ患者の心を癒す楽園であり、心を閉じ込める牢。ハートリウムだ。


 ハートリウムは物理的に干渉ができない。殴ろうが、切ろうが、叩きつけられようが、決して壊れることはない。それどころか、心を守るためにより強固になる。干渉すればするほど心は閉ざされていく。

 カウンセラーあたしが首から下げる鍵。この鍵を突き刺して、カウンセラーは心をハートリウムに送り届ける。あたしたちは患者の心と直接対話し、本来在るべき場所へと心を導く。それがカウンセラーの仕事だった。


「あたしたちが暇になった世界がいい世界なんだろうね、きっと」

「そうなりゃ俺たちは職無しだが、それは構わんのか?」

「……ちょっと困るかも。でも、生きてれば仕事は見つかるしね」

「能天気だねぇ。若さは危うさでもあるようだ」


 ティオがこうやって嫌味を言うのは習性のようなものだ。熊が冬を眠って過ごすのと同じ。そういうものだと適当に受け流すのが吉である。

 そうしてエレベーターが止まり、上層に出る。こちらもまた広いホールになっており、それぞれのユニットの執務室がある。ハート・ユニットの部屋の戸を叩く。


「ミライです。報告に来ました」

「どうぞ、入ってください」

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