第2話  新天地の教会で


 == 3年後 ==


 老婆を看取った後、セラは養子になるため軍人だけが住む軍事基地区画に移住した。

 リューゼンの家は大きくも小さくもなく、庶民的で気取らない雰囲気があって、彼女はすぐに適応できた。

 嬉しい事に自室も与えられた。


 数年の間にセラは少しだけ大人っぽくなり、身長も伸びていた。

 ベールは着用しなくなったものの、まだ修道服が普段着であり、そこだけは変わらないようだ。


 日中は部屋で自主的に勉強し、その後は散歩や買い物、近くの教会に行くのが日課である。

 とくにセラは昔からパンが好物なのもあって、基地区画にあるパン屋によく足をはこんだ。


 彼女は今の生活をとても気に入っていた。



 いつものように勉強を終えて、ハンガーにかけてある天空教の綺麗な紋章のついたケープを上から羽織ると、外出用の小さな肩掛け鞄を手に取る。


「出かけるよ~」

 ――室内に彼女の声が拡散した。


 だが、声の届いた先に人の気配はない。

 その方向にある棚の上に見えるのは、透明な球体のみだ。


 一見すると、ガラスと金属で作られた精巧な機械仕掛けのインテリア。


 不思議な事に、セラの呼びかけに呼応するかのようにフワフワと浮き上がり、接近してくる。

 スーッと目の前まで到着すると、肩のあたりで静止した。

 その様子はまるでペットの小鳥のようだ。

 

 彼女は透明な球体を覗いた。


 中には、人形みたいな物体がある――いや、いる。

 どうみても、生き物だった。


 それは動いており、宙に浮いていた。

 外見は簡素な服を着た少女に見えるが、サイズは人間の手のひらほどしかない。

 背中には左右対称に小さな穴が4つあり、細かな白い粒子を放出している。

 頭部の、人ならば両耳のある位置に、同種族内で情報伝達を行う器官があり、その形は魚のヒレに似ていた。


 ……まるで、翼をはばたかせている天使のような、幻想的な姿だ。


 この生物は『飛翔制霊(ひしょうせいれい)』、あるいは略して『制霊』と呼ばれている。


 通常、人間の目では認識できない存在だ。

 しかし、特殊な透明素材を通して見ると、可視化される。

 セラの部屋にある透明の球体もその素材で作られた器具で、巷では『制霊球(せいれいきゅう)』という名称で流通している物品である。


 制霊は人のそばで暮らし、人間から放出される翔力を糧にして生きる存在だ。

 翔力の満ちた空域でも生息可能だが、人間社会に寄生してコミュニティを形成する場合も多い。


 そして特筆すべきは、人類とは比べものにならないくらい知能が高いことだ。

 一度覚えた物事は忘れることがなく、たくさんの仕事を同時かつ高速に処理する能力を持つ。

 また、同種族でネットワークを築き、情報を共有するという性質まである。


 制霊の中にはその能力の高さを活用して、人のために働く個体もいる。

 そうして人間のパートナーを得た制霊は、安定した翔力を得るかわりに主人に尽くす。


 ただ、制霊には言葉がない。

 驚く事に、意思がなく、感情もない。

 だから表情はいつも真顔だ。


 人間の言葉を理解する知能はあるのに、自らは何も発信しない。

 常に命令を受け入れ、従う。

 まさに――道具――。


 人が制霊を媒介にして翔力を行使した場合、同時に多数の仕事が正確にこなせる。

 自力では1つ、多くて2つしか処理できないタスクが、制霊によって膨大な量に広がるのだ。


 ただし制霊の入手は難しく、軍事利用が優先されるのもあって、一般社会にはあまり出回らず、民間人にとっては喉から手が出るほどの価値があった。




 セラは自分の制霊――『リオゥネ』を連れて、基地区画にある教会までの道のりを歩く。


 リオゥネとの散歩は彼女が小さい時からよく行っているものだ。

 人目を忍んで、いろんな場所を1人と1匹でゆっくり探検した。

 リオゥネは何も答えないが、頻繁に話しかけるのが日常であり、友達や家族のように深い絆を感じている。



 いつものように崖沿いを通り、吹き抜ける風に服の裾や髪をさらわれながら進んだ。

 リオゥネ(の制霊球)は遅れまいと彼女を追う。


「3年経ってしまったけど、町の人は元気かな……」

 そう言って、セラは空の彼方に浮かぶフォーラ王国の首都を眺めた。



 ――この世界にある大地は、すべて空に浮いている。



 その下には海しかなく、人が住むためには空を選ぶしかない。

 大昔、少なくとも人類史が始まる頃より、この仕組みは変わっていない。

 大小さまざまな浮き島の上に、人々は国を、町を、村を作り、日々の生活を送っている。


 ……そして、戦争でそれらの領土を奪い合う。


 基地区画は、セラが昔いた教会がある首都とは別の浮き島にある。

 簡単に戻る事ができないため、こうやって定期的に故郷を眺めにきていた。


 彼女が島のフチにある崖から下を覗くと、一面が青い絨毯のような海だった。


「青くて、キラキラして、綺麗……」

 落ちたら生きて戻れない高さだと分かっているが、彼女はそれでも海が魅力的だと感じている。

 空も、海も、両方とも青く澄んでいて広大。

 どちらも好きだ。


 セラが遥か眼下にある海に吸い込まれそうに見入っていると、リオゥネが先導するように少し前に出た。

「そうだったね。約束に遅れちゃいけない」

 彼女はこの後、待ち合わせがある事を思い出し、足どりを早めた。




 ――――――。

 断崖の上に、尖塔のある立派で大規模な教会が建っていた。

この地域での拠点となる場所で、昔住んでいた町はずれの教会とは違い建物が大きく、従事する聖職者も多い。

 そして、装飾や調度品も豪華だ。


 「こんにちは」

 セラは正面にある階段を登り、入口にいるシスターに挨拶をしてから中に入る。


 建物内の長い廊下を歩くと、やがて明るい日差しが降り注ぐ中庭があらわれた。

 静寂に包まれており、草花や木が丁寧に手入れされている居心地の良い場所だ。


 中庭の中央には東屋がある。

 石柱に精巧な彫刻がされ、豪華ながらも上品なデザインで、所々に蔦が巻き付いていた。

 地面より一段高くなった床の真ん中には、アンティークな円形のテーブルがあり、周りに同様の椅子が4脚ある。


 ――そして、1人の女の子が座って、くつろいでいた。


 彼女は優雅な所作でティーカップを口に運び、少し飲んでから皿に戻す。

 まわりには高価なティーセットや菓子類が並べられていた。

 

 その若い女性の見た目はセラより5歳ほど年上、どことなく気品があり上等な衣類に身を包んでいて、身分の高い人物に見える。


 とくに目を引くのは、神秘的で大変美しい容姿だった。

 光を吸い込むような暗黒の長い髪が椅子の背もたれに沿って揺れ、前髪の隙間からは月を思わせる青白い瞳が真っ直ぐにセラの方を見据えている。

 まるで、月の照る夜空を模した容貌だ。


 彼女の名は『クレン・フォーラ・デュッテ』、極めて上位の王族である。


 また、セラと同じ天師でもある。


 天師にはそれぞれ、外見に応じた通り名がつく。

 セラおよびリゼは『蒼空(そうくう)』。

 クレンは『月夜(つくよ)』。

 そう呼ばれている。


 クレンの少し背後には彼女が所有する制霊球が浮いており、中にリオゥネとは別個体の制霊が収まっていた。

 背中からは綺麗な銀の粒子を放出している。


 制霊は皆、自分の背の穴から翼状に粒子を噴き出していて、これを『粒翼(りゅうよく)』と呼ぶ。

 セラのリオゥネを含む大多数の制霊は白い粒子を出す――『白翼(はくよく)』――タイプだ。

 しかし、クレンの制霊は『銀翼(ぎんよく)』と呼ばれるハイクラスの存在で、白翼の数倍のタスクを処理する事が可能となっている。



 ――――。

 この国において、たった2人しかいない天師がこの場に揃っている珍しい状況下、クレンは気にする様子もなく声を掛けた。

「いらっしゃい。疲れてない?

まぁ、とりあえず座ったらどう?」

 高貴な雰囲気にそぐわない、くだけた口調で着席をすすめる。


 セラは言われるままに座り、上着と鞄を脇に置いた。


「クレン姉さんに会えて嬉しいです」

「私もよ」

 クレンはそう同意しながら、セラの前にもお茶を出す。


 彼女は王族の姫でありながら、いつも従者を連れていない。

 そんな、自分の事は自分でやる姿勢が庶民的に見えるため、国民からの支持がとても厚い。

 また、セラが移住してから頻繁に買い物や遊びや茶会に誘ってくれる、彼女にとって姉のような存在でもあった。

 付き合いが長くなり、何でも話せるようになった間柄だ。


 しばらく他愛のない世間話をしたあと、セラは少し心配そうな表情で尋ねる。

「……帝国との戦争は激しくなっていますか?」


 問いかけられたクレンは、一瞬考え込んでから、ティーカップに視線を落とした。


 3年ほど事実上の停戦状態にあった敵国『ゾルマリス帝国』と、数ヶ月前からじょじょに各地で戦闘が再開されつつあった。

 なので、空軍に属しているクレンも対応に追われ、忙しい日々を送っている。


 彼女は紅茶の表面に映る自分の顔を確認し、悲壮感を出さないように答えた。

「少しずつ激化している。

今は小競り合いだけど、帝国が攻勢の準備を整えたら一気に進軍してくるかもしれないわね。

超大国の物量作戦は本当に恐ろしいわ……」


 クレンはすでに軍人として戦場に出ているため戦況まで把握しているが、単なる軍人の娘という立場のセラは得られる情報に限りがある。

 義父のリューゼンがそういった事を教えてくれないのもあって、セラはクレンと出会った時には必ず聞くようにしている。


 母の時のように戦争によって愛する人々との突然の別れが訪れる事態を、彼女は大変に恐れていた。

 無知でいたくないのだ。



「――セラを戦場に出す日が来るかもしれない。

リゼ様があなたを匿っていた事が、無駄になってしまうのは心苦しいけれど」

「……」

 クレンに対して何かを言おうとしたセラだが、なかなか声が出なかった。

 民間人として平穏に暮らす自分が、どのような言葉をかけたらよいのか分からなかったからだ。


「私は王族だし、軍人だから、覚悟はできてる。

……でも、セラは違う。

私にもリゼ様みたいな実力があれば、こんな事にはならなったのかな」

 少し悔しさを滲ませ、クレンが吐き出した。


 ――母親と同じだ。

 いつも守られる側の立場に、セラは落胆を覚えた。

「姉さんは一つ、思い違いをしています」


 戦況の事は知らない。

 ただ……。

 これだけは正さないと、そう考えたセラは口を挟んだ。


 やや怒った表情で言う。

「私の望みは、母さんや姉さんの思惑とは違う。

……私は軍人になって、父さんの期待に応えたいです。

そして、姉さんの助けになりたい」


 いつも静かな雰囲気のセラが、強い口調になった事にクレンは驚いた。

 同時に、セラを子供扱いしてしまった自分を恥じる。

 若くして、しっかりとした信念をすでに持っており、英雄と呼ばれるリゼの血筋にふさわしい娘だった。


「……そっか」

 クレンはセラの主張にとても感嘆した。


 それから、納得もした。

 セラは自分の立場を理解し、とるべき行動も決まっている。

 そこに母の意向は関係ないのだ。


「だったら、私はセラのサポートをするから頼ってよね」

 綺麗なウィンクをきめて、クレンはそう約束する。


 彼女は王族であるとともに、空軍の大尉という地位にもある。

 そのような人物の後ろ盾を得るのは、セラにとって心強い。



 普段あまりネガティブな話題を出さないクレンが弱音を吐く様子に、気を取られすぎていたセラだったが、 彼女に伝えたい用件があったのを思い出す。


 頼ってよね、と言われたばかりでもあり、さっそく頼っていこうと相談を始めた。


 セラは自分の鞄をもぞもぞと手探りし、書類を取り出すとテーブルに置く。


 それを黙って見ていたクレンだが、書類が視界に入った瞬間に口を開いた。

「入学通知書……?」

「姉さんに報告しないといけないなって」


 説明するセラの話を聞きながら、クレンは書類を手に取ってペラペラめくる。


 表紙には『フォーラ王国軍事戦略学院』と書かれていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る