蒼空のファントムドール ~にわか聖女の異世界AI空戦記~

林鐘オグラ

第1話  教会の少女


 とある国の首都の町外れに、古びたレンガ造りの教会があった。

 それは天空教という空の女神を崇める宗教の教会で、築年数は古いものの、綺麗に清掃され、家具や調度品もよく手入れされていた。


 そんな教会の入口に1人の少女が立っている。

「お客さんが来ているのかな……」

 彼女は不安そうに呟いた。


 少女は白い修道服に身を包み、顔の上半分をベールで覆っている。

 青を基調とした模様が美しく、かつ清楚な印象を与える服装がとてもよく似合っていた。

 おそらく長年、それを着続けているのだろうと思わせるほど、着慣れた様子だ。


 彼女の名前は『セラ・エスクーナ』。

 年齢はようやく2桁を迎えた頃である。


 セラは教会の少し重い扉に華奢な手をかけ、別のほうの腕に抱えたパンの袋を強く掴んだ。

 ベールに隠れて表情は見えないものの、緊張している様子が伝わってくる。


 普段、この教会を訪れる人は少ない。

 祈りを捧げる教徒も、決まった日時にしか現れない。

 しかしこの時は、礼拝堂の奥にある居住空間から、知らない男性の声が聞こえてきたのだ。


「強盗だったら、どうしよう」

 彼女は恐る恐る礼拝堂に入り、そこを通り抜けて自分の住まいへと足を運ぶ。


 教会は天空教の拠点であるとともに、セラと育ての親である老婆が住む場所でもあった。

 彼女は老婆の身を案じ、急いでその寝室へと向かう。


 ただの来客ならいい。しかしその男性が悪意を持った存在なら、非力な老婆は抵抗できないはずだ。

「…………」

 セラは寝室の前に立ち、ドアの隙間から覗きつつ、聞き耳をたてる。


 中からは知らない男性と老婆の声が聞こえた。

 彼の声は低めで渋く、話す内容も口調もしっかりしていた。

 青年期くらいの見た目にふさわしい、威厳と落ち着きが感じられる。


 男性と対面する老婆のほうには病的な元気のなさがあった。

 ベッドから起き上がれず、荒い息づかいとともに言葉を吐き出している。

 横たわる老婆のそばに座り、男性は丁寧に会話を重ねた。

 彼は相手の言葉を噛みしめるように聞き、はっきりとわかりやすい声で応える。

 そこにはちゃんと敬意が込められていた。


 隠れるように黙って話をうかがう、セラ。


「――――セラをよろしくお願いします。

あの子を引き取ってください」

 唐突に、老婆がそのような言葉を発した。


 瞬間、聞いていたセラの背筋が凍り付く。

 それは思いもよらない……衝撃的な言葉だった。

 咄嗟に彼女はドアを開け、叫んでしまう。


「そんなの、イヤです!!」


 突然の声で、室内にいた2人がドアのほうに注目した。


 両者とも驚きはしたものの、冷静だ。

 老婆は静かに手招きし、セラに近くへ来るよう促す。


 セラが歩を進めると同時に、男性が立ち上がり、近くにあった椅子を用意してくれた。

 座って本格的に話を聞かなければならない暗示である。


 セラは男性を見た。

 母とあまり変わらない年齢――父親と呼べそうな――そんな年齢。

 たくましい体つきと短髪が、勇ましい顔立ちに合っていた。


 それと、とくに目を引くのは軍服だ。

 勲章や装飾が多く、おそらく地位の高い軍人なのだと推察できた。

 警戒しながら腰を下ろすセラに対して、男性は口を開いた。


「俺の名は『リューゼン・ロイフ』、軍人をしている」

 いかつい外見に反して、優しげで静かな口調。

 それに少し安心しながら、セラも自分の名前を告げた。


 次に、リューゼンと名乗る男性は彼女に対して、意外な頼み事をしてきた。

「よければ、ベールを外してくれないか」

 と。


 ――――――。


 ベールはセラにとって大事な物だ。

 彼女の目立ちすぎる特徴を隠すために、いつも身につけている。

 だから、それを脱ぐのは抵抗があった。

 

 老婆は、戸惑うセラに対して頷いた。

 ベールを取れ、という示唆だ。

 ……セラは黙って従う。


 青天を思わせる色彩の髪が、サラッと重力に引かれて肩まで落ちる。

 雲のような色白の肌。

 髪と同じ、空色に輝く凜々しい瞳。


 晴れ渡った空を体現したかのような、人間離れした美しい姿だ。


 ――ただ、かなり目立つ。

 彼女が隠したがるのも無理はない。


 そして、この容姿は世界にとって特別な存在である事も示す。

 空を模した神々しい外見だが、この姿を持つ者はこの世に両手で数えるほど少数しかおらず、彼女らを有する国々は英雄として丁重に扱うのが常識となっていた。


「……確かに、『天師』だな」

 リューゼンはセラを眺めながら唸った。


 『天師(てんし)』、人々にそう呼ばれる者たち。

 それらは空の女神の血を受け継ぎ、力ある存在とされている。


「こいつは一大事だ。国家の勢力図が変わるかもしれん……」

 彼は少し困惑し、考え込んだ。


 天師であるセラが、なぜ顔を隠して生きているのか。

 理由は、彼女の母親にある。


 セラの母『リゼ・エスクーナ』が、自分の娘の存在を隠していたからだ。

 リゼは彼女らの住む『フォーラ王国』の軍人で、それもトップクラスの地位だった。


 ――――だった、というのは故人という意味である。

 つい数ヶ月ほど前に、天師リゼの戦死が伝えられた。


 強大な力をもつ天師は、軍隊へ配属させられるのが通例である。

 だからリゼは、大事な娘を同じ道に進ませないためにセラを教会に預け、世間から隔離した。


 その時からずっと、セラはベールで顔を隠し、老婆と2人で暮らしている。

 

 天師として戦場に赴いている母は忙しく、たまにしか会いに来てくれなかった。

 でも、愛されている事が伝わってきたし、親子の時間は少ないながらも幸せに満ちていた。

 教会での暮らしも気に入っていた。



 リューゼンはセラの顔をよく確認した後、落ち着きを取り戻して椅子に腰掛けた。


「そういえばセラ、君は今の話を聞いていたようだな」

「ごめんなさい、聞いていました」

 そう答えながら、彼女は俯く。


 セラはだいぶ精神的に堪えたようで、床を見つめていた。

 スカートの上に置かれた手に力が入り、握りしめた布にシワをつくっている。

 ずっと一緒だった老婆と別れる事は、すぐに受け入れられるものではない。


 リューゼンはその様子を見て、切り出しにくそうに続けた。

「シスターに、君を養子にしたいと申し出たところだ。

 ……まだ、決まった話じゃない」


 彼女は答えに詰まり、老婆を見る。

 ベッドに横たわりながら、つらそうな表情を浮かべていた。


 ――老婆の余命は長くない。

 息が荒く、体が起こせず、食欲がない。

 我慢してはいるものの、苦痛も相当あるようだ。


 セラは本能的に、その死期を感じていた。


 母の戦死を知ってから、まだ半年も経たない。

 そしてまた、大切な人を失おうとしている。

 彼女の心はすり潰されそうになっていた。


 いろいろな不安をめぐらせながら、目の前の男性を眺める。

 ……この人は誰なんだ、と。


「すまん。君の容姿に驚いて、自己紹介を忘れていたようだ」 

 セラが訝しんでいるのを察したリューゼンは慌てて補足する。

「俺は君のお母さんの元で働いていたんだ。彼女の部下だった」

「?!」


 急に母の話が出てきた事で、セラの興味が格段に増し、話に食いつく。

 今までとは表情や声の調子が明らかに違う。


 彼女は我慢できずに質問した。

「母さんの戦艦に乗っていたんですか?」

「ああ」

 リューゼンは肯定しつつ、頷く。


 セラは母親の事を詳しく知る人物に初めて会った。

 それどころか、普段どんな仕事をしているのか。どんな人々と働いているのか。どこで勤務し、どこに住んでいるのか。

 ――母について、何も知らない。

 知っているのは、戦争で活躍する我が国の英雄である、という事だけであった。


 リゼは教会へ訪ねる時、必ずお土産を持ってきてくれた。

 たくさん話をしてくれて、たくさん優しくしてくれて、たくさん褒めてくれた。

 だが、自分のことはほとんど話さない。 

 セラにとって母は、そんな存在だった。


「……母親の事が知りたいかい?」

 彼女は親の情報を欲している。

 そう判断したリューゼンは、リゼの私生活や軍務の話を中心に、自己紹介も織り交ぜて語り出した。

 なるべく分かりやすく、セラにも理解できるように。

 

――――。


「君のお母さんは『艦母(かんぼ)』という軍職をしていた。

戦艦内で1番偉く、すべてを決定する立場。

そして、艦の原動力として身を捧げる存在だった」


 現状、この世界での戦争は『飛翔戦艦』と呼ばれる、空飛ぶ軍艦が主戦力となっている。

 そこにおいて、リゼの就く艦母という職は戦艦の運営上、とくに重要な役目がある。

 それは――人が『動力』になる事だ。

 とくに強大な力を行使できる天師は、戦場において、もはや無双状態と言えた。


「天師の『翔力』は絶大だ。

向かうところ、敵なしだったよ」

 リューゼンは思い出しながら語る。


 この世界の人間には誰しも、生を受けた時から『翔力(しょうりょく)』という力が備わっている。

 翔力は空を司る女神から大気の力を借り受ける能力で、個人差による力の大小が存在する。


 また、神と同性である女性のほうが、男性よりも力が発現しやすい。

 中でも女神の血を継ぐとされる天師は別次元の翔力を有しており、国家にとって貴重な財産および戦力となる希有な存在だ。



 そして翔力は日常生活から戦争まであらゆる場面に利用され、文明的な社会には必要不可欠なエネルギー源となっている。

 大きな翔力の者は強者。

 小さい翔力の者は弱者。

 必然的にそのような関係ができ、比較的遺伝しやすいのもあって祖先や家柄などでも社会的地位が決まりやすい。

 それを考えれば、リゼとセラの親子がいかに重要人物であるか理解できる。


 

 戦場でチートレベルの翔力をふるい、無敵と言われたリゼ。倒せる者などいない。

 それは周知の事実だ。


 ――と、同時に、当然とも言える疑問がうまれる。


「……母さんは天師です」

 セラは苦い顔をしながら呟く。


 リューゼンはおおよそ何を言いたいのか予想がついていたが、黙って言葉を待った。


「翔力の強い母さんが、死ぬとは思えません。

何をしたら撃沈されるんですか?」


「まぁ、普通は考えられない話だな」

 とても共感できる質問なので、彼は同意するしかない。


 それでも現実に起きた事だ。

 天師の翔力は極悪とも思えるほど大きく、戦場において対抗手段と呼べるものはなかった。

 だから本来、負ける事などあってはいけない大惨事である。


 娘としては、知りたいと思うのも当たり前だが、軍部の立場では、気軽に教えられる情報ではなかった。


 リューゼンは顎をさすりながら、険しい顔つきで言う。

「軍の重要機密だ。

一般人には知る権利がない」


 セラは悲しそうに俯いた。


 だが。


「……艦が沈む時、俺は1番最後に退艦した」

 リューゼンは話せるギリギリのところまで、彼女に聞かせようと決心した。


「(リゼ)エスクーナ少将は、最後まで残ってクルーを逃がそうとしていて。

 それを手伝っていたんだ」

 彼は嫌な思い出に顔を歪ませる。


 艦母は戦艦の動力であるがゆえに、逃げ出す事が許されない。

 もし、翔力の供給が途絶えれば、乗組員もろとも墜落してしまうからだ。

 だからリゼはクルーを避難させるために、自艦とともに沈まなければならなかった。

 

 セラの肩に手を置き、リューゼンは真正面から見据えた。


 一呼吸はさんで、話を続ける。

「その時に、言ってたんだ――――。

『娘を残していくのが心残りだ』ってね」


「……」


 口を手で覆い、セラは沈黙したまま、肩を震わせた。

 膝の上に、雨のように水滴がポタポタと落ち、染みをつくった。

 

 瞳からこぼれ落ちる涙を手のひらや裾で拾いながら、

 セラは――。


「……母さん……」

 何度も繰り返し、言う。


 セラを何よりも愛し、大切にしてくれる、お母さん。

 もう会えない。

 もう話せない。

 もう触れられない。

 母の死の実感が、全身を駆け巡った。


 さまざまな感情に支配されるセラ。



 彼女を気の毒に思いながらも、リューゼンは本題を告げる。

 やや緊張しながら、いい年の大人としては少し照れくさいセリフが飛び出した。

「だから、俺はここに来た。

君を迎えに来たんだ」



 ――――。

 ひとしきり泣いたあと、セラは顔を上げながら聞く。

「貴方には、私を養う理由がありません……」

 まだ幼さの残る少女が発した、重い言葉。

 年齢に見合わない配慮だ。


 リューゼンは大きく首を振り、否定する。


「あるさ」

 理由はある。

 それは、沈みゆく戦艦の艦橋(ブリッジ)に、最後まで残った者の義務。


「君のお母さんは、最後まで娘を心配していた。

俺は、その言葉を聞いてしまったからな」


「でも……」

 セラの言葉を遮って、リューゼンは続ける。


「エスクーナ少将のもとに配属されて、初めて聞いた弱音なんだ。

――自身の事より、君のほうが大切だったんだと思う。

どうか、俺を頼ってくれ。

頼む……恩を返させてほしい」


 真摯な態度に、彼女は黙って考え込んだ。


 確かに、自分には身寄りがない。

 老婆は過去に何度かその心配を口にしていた。


 幼いセラにだって今の危うい状況は理解できている。

 ただ、彼女にも信念があった。


「少しだけ、(リューゼン)ロイフさんと2人でお話がしたいです」

 立ち上がりながらセラが言うと、リューゼンは頷いて後に続いた。


 老婆が不安げな視線を向ける中、2人で寝室を出る。




 ――退室後。


 やや薄暗く、静寂に包まれた礼拝堂。

 人影だけが揺れている。


 木製の簡素な長椅子に、青年と少女が隣り合わせで座っていた。


 セラは考えをまとめた後、やっと口を開く。

「……申し訳ありません。

私は、養子になれません」


 リューゼンは黙って話の続きを待つ。

 何か理由があるのだと、察したからだ。


「シスターには、今まで大切に育ててもらいました。

だから、最後まで――」


 セラはとても悲しげに、そして決心したように告げる。

「最後の日まで、そばにいてお世話をしたいと思います」


 それを耳にしたリューゼンは、彼女の話に感銘を受け、賞賛の声をあげそうになる。


 が、思い直して咳払いをした。

 奇妙な動きをした結果、場に気まずい雰囲気が漂う。

 

 セラが不思議そうに眺める中、とりあえず空気を変えようと、彼は自分の見解を述べた。

「君の意思は尊重しよう。

好きにするといい」


「……ありがとうございます」

 言って、頭を下げるセラ。


「それを――。

自分のすべき事をすべて終えた時になら、養子として迎えてもいいのだろうか」

 リューゼンは、彼女がちゃんと役目を果たすまで待つ、そのような提案をした。


 セラは老婆と一緒に最後までいようと決めていた。

 しかし、その後の将来に大きな不安があるのは事実だ。

 子供という身分には、ままならない物事がこの世には多すぎる。

 日々の糧にも困る事態だって想像できる。


 彼女はそんな胸の内から、自然と口を開いてしまった。

「……私には、まだ1人で生きていく力がないので。

そう言ってもらえるのは正直ありがたいです」


 その後「でも」と付け加えて、リューゼンに問いかけた。

「母さんが残した言葉に、縛られていませんか?

本当に、私を養子にほしいですか?」


 確かに、セラを引き取る理由しか表明されておらず、彼自身の意思は少し不明確だ。

 確認したいのも当然である。


 さらに彼女は述べる。

「死ぬ間際の人の言葉というのは、深く心に残るもの。

もしかして母さんは、あなたに重い責任を負わせているのかもしれません」


 母親の遺言にまで罪悪感を持つセラに対し、リューゼンは閉口した。

 それと同時に、もどかしさを感じる。


 彼女はわがままを言わず、思いやりがあり、物腰も静かで礼儀正しい。

 養子にしたい要素の塊である。

 だから、まだ出会ったばかりの彼にも、魅力は十分に伝わっていた。


 普通、この年頃の子はここまで警戒心が強くないし、自己肯定感も高い。

 あるいは世間から隠れて暮らしてきたがゆえの、防衛手段なのかもしれない。

 しかし、あまりにも我を通すのが下手すぎる。


 この場で態度を変えさせる方法を、リューゼンは考えた。

 セラが自身に対して価値を見いだすための妙案。


 目を閉じ、顎をさわりながら頭を働かせる。


 誰もが認める彼女の価値、それはある。

 もちろん――天師である――事だ。


 だが、その話を持ち出すには少々、彼自身が悪役になる必要がある。


セラの自信を引き出すため、リューゼンは心にもない言葉を吐いた。

「俺にも、君を養子にしてメリットがないわけではない。

――というか、ある」


 彼女は注意深く、理由に耳を傾けた。

 これからリューゼンの本音が聞けるのだと期待し、息をのんだ。


「君たちは親子ともども天師だろう?

 空軍に所属する身としては、その威光にあやかりたいのさ。

 天師の父になれば、俺の権力は増し、出世は間違いないからね」

「……」


 セラは納得した。


 今までは母の過剰な保護によって、身を隠して生きてこられた。

 だけど、今後は違う。

 もし軍人の娘になるなら、相応の覚悟も必要だろう。

 それでも、必要とされるなら応える事ができる。

 

「じゃあ、私を引き取ってください。

必ず貴方の役に立てるように、頑張りますから」


 そんな彼女の願いに対して、リューゼンは深く頷いた。




 ――その後、セラは転居し、更に年月が過ぎる。


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