第3話 最初の日

 朝、部屋の鏡で身だしなみを整える。


 紺色のカチューシャの位置を調整し、腰近くまで伸びた髪を確認した。昔は、肩までの長さだったが――今は、伸ばしている。


 それにしても、目元付近にちらつく前髪が中々決まらない。何だか心持ちブルーとなる。

 

 そして今日から、高校の制服。


 白シャツに赤色のリボン。そして、ネイビー色のジャンパースカート。


 初めて見る格好で、初めて見せる格好。


「今日は、いつもと違って念入りに確認するんだね」


 既に着替えと準備を終えている奈々香は、ベットの上に座り、ニヤニヤしている。


「べ、別に、そんなことない。いつも通りだから」

「ほっほー、そうなんだぁ」


 イラッとした。

 

「何よ、殴られたいの?」

「ごめんごめん」


 と、全く悪びれた風はない。


 あまり時間もないため、私は奈々香を無視することにした。




 寮の前に、同級生たちが集まった。


 全員、普段使用するリュクサックを背中に背負い、肩には学校側が移動用にと手渡してきた大きな鞄を肩に下げている。


 それほど大した荷物があるわけではないけど、かなり重い。


 このまま数km歩くかと思うと、今から気が重い。


 中学の教師たちと最後のお別れを済ますと、今度は後輩たちが先輩を見送るため、外へと出てくる。色んな表情が散らばっていた。無表情や、面倒くさそうな顔、笑顔を向けたり、涙顔の奴まで――色々と点在している。


 私は後輩と熱い関係を築かなかったため、実にシンプルな挨拶だけを交わした。だけど――。


「奈々香先輩、絶対遊びに来てくださいね」


 と、涙顔の後輩。


「うん、絶対遊びにいくよ」

「絶対ですからね!」

「うん、絶対。約束するよ」


 と、奈々香は泣きつく後輩に対して、気軽に返答した。


 何となく――先輩のことを思い出し、嫌な気分になった。


 会いに来ると、先輩は言ったのだ。私がお願いしたわけじゃない。自分から口にし、自分から勝手に約束したのだ。それに対し、私は来なくていいと言った。それでも、先輩は会いに来ると言ったのだ。絶対という言葉まで使った。そして、無理やり小指を絡めてきて、約束だと口にした。自分から言っておいて、あの人はそれを破ったのだ。確かに、私は会いに来なくていいとは言ったけれど、そんなの…………もごもごぉ。




 後輩たちとのお別れが済み、引率の高校教師が歩き出す。後輩たちが手を振ると、同級生の殆どが手を振り返した。だけど私は、ポケットに手を入れることにした。


「澪も、手を振り返してあげなよ」

「別に、私には求められてないから」

「もう、拗ねないの」

「は? 別に、拗ねてないから。そんなことより、愛しの後輩ちゃんに手を振り返してあげたら?」

「あ、もしかして、嫉妬してくれてたの?」

「は?」

「ちょっとぉ、そんな蔑んだ目で見ないでよ」

「あなたが、馬鹿なこと言うからでしょ。そんなことより、本気で手を振り返してあげなよ。こっち見て、睨んでるから」

「え?」


 奈々香は振り返ると、後輩ちゃんに向かって手を上げた。


「なによ、睨んでないじゃない」


 それは、そうだ。


 だって、嘘だから。




 高校の敷地も、中学と同じように黒い鉄格子で囲われている。


 重々しい扉がゆっくりと開いていく。


 引率者を先頭に歩みを進めた。


 奥の方は勾配が大きく、長く険しい坂道となっている。その先の高台の頂上には、中学の敷地からも見えた高校の校舎。それは、3階建ての古い木造の建屋。屋根には立派な時計塔があり、もうすぐ11時を指し示すところだ。


 見回した風景は中学とそれほど変わらない。


 ガーデニングや、ビニールハウス。畑と、実のなる木々。そんな景色を眺めながら、私たちは静かに歩みを進めていく。


 険しい坂の手前を右に曲がった。


 雑木林となった道をしばらく進んだ先に、寮が姿を見せる。


 中学よりも高校のほうが歴史も古い。そのため、校舎や寮もかなり古めかしい――と言うよりかは、歴史を感じさせた。さびれた感じはなく、小綺麗にされている。教職員は全員、この学園の卒業者。彼女たちから、ここへの愛情を感じさせる。きっと愛しているのだろう、この場所を。


 寮は2階建てで、校舎と違い縦ではなく横に長い造りとなっている。煉瓦色の木造建屋、白い枠に囲われた窓。蔦が全体に這う光景は、まるでこの建屋を抱きしめようとしているかのようだ。


 教師が入り口の戸を開けた。すると、扉に取り付けられた鈴が揺れ、音を鳴らす。


 中は広いロビー。幅の広い階段から、高校の制服を着た――ひとりの女子生徒が降りてきた。


 私たちの中で、にわかに騒がしくなる。


「西澤先輩だ」


 と、奈々香が口を開く。


 西澤香。月乃先輩の、同室の人。


 軽くパーマがかかったようなゆるふわな髪の毛は胸下の長さまで流れ落ちている。


 身長は奈々香より少し高いぐらい。


 鼻筋が高く、整った顔は日本人離れしているかもしれない。それでも、人を緊張させない雰囲気がある。いつも優しく、笑顔を絶やさない。月乃先輩と違い、西澤先輩は本当に良い先輩だ。皆に分け隔てなく接し、慈愛に満ちたその目を見て、後輩たちは口を揃えて――彼女を天使だと言う。


 当然、私にも優しく、どうしようもない月乃先輩に対しても優しい。そんな彼女のことを、私も好感を持っている。だけど、月乃先輩とのやりとりを見ていると――私は何故か嫌な気持ちとなってしまう。だから、何度も彼女に対して冷たい態度を取ってしまったことがある。それでも変わらず優しい彼女を見て、私はますます自分が嫌いになってしまった。そのためか、彼女のことは――少し、苦手だ。


 西澤先輩は律儀に自己紹介をし、カーテシーで挨拶をした。


 そして、教師の代わりに1年生たちを連れ、それぞれの部屋まで案内してくれた。


 部屋の扉には、中学の頃と同じようにネームプレートが掛けられている。


 私の名前と奈々香の名前。


「まるで、新婚さんみたいだねー」


 と、奈々香はくだらない戯言を口にした。


「前と同じだから」

「それはそうだけどさー」


 と、奈々香はつまらなさそうな顔をする。


 正直、くだらないやりとりをする気力はない。


 ここまで歩いてくるだけでも体力がかなりすり減らされたし、それに――。


 奈々香が勢いよく、部屋の戸を開けた。


 目の前の奥に窓が見える。


 中に入った。


 両隣の手前側にそれぞれベットがあり、その奥に学習机、タンスと続く。


 中学の寮より年季を感じる以外、向こうと特に何も変わらない。


 私はリュクサックと手提げカバンを床に下ろした。


 奈々香は鞄をベットの上に放り投げたあと、その上に倒れ込んだ。


「寝転がってる時間なんてないから」

「えー」


 と、奈々香は文句を言いながらも素直に起き上がり、私と一緒に部屋をあとにした。


 全員が部屋から出てきたのを確認したあと、西澤先輩は引き続き寮の中を案内する。


 共用のスペースを回っていく。


 その間、誰ひとりともすれ違わない。


「お疲れ様。ここが最後の食堂」


 そう言って、西澤先輩は引き戸を開いた。


 大きな部屋。


 歓迎を表す垂れ幕。


 長机がいくつか並んでいる。


 そこに座っていたたくさんの先輩たちが立ち上がり、手を叩いた。


 私は彼女たちを眺める。


 だけど、その中に月乃先輩はいなかった。


 少し悩んだが、私を意を決して口を開くことにした。


「西澤先輩」

「何? 澪ちゃん」


 相変わらず、優し気に微笑む。


「つ、月乃先輩は――いないんですか?」

「あぁ――」


 と、なんとも言いにくそうな顔をした。


「何が――あったんですか?」

「ぜ、全然――大したことではないのよ? ただ、真宵ちゃんは罰として今、裏庭の掃除をまかされているだけなの」


 あまりの馬鹿馬鹿しい話に、私は口を開くこともできなかった。


「あ、いや、その――真宵ちゃん、そんなに悪いことしたわけじゃないから心配しないでね」


 西澤先輩は、必死に月乃先輩を擁護している。


 何だろう?


 凄く、腹が立って――私は、少しも我慢できそうにない。


「――裏庭って、どこですか?」


 だから、そんな馬鹿なことを聞いてしまった。

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