発症前〜発症まで

 五月の初めから兄妹揃って体調の悪い日が続きました。

 そして月末辺りでRSウイルスに罹り、三十八度台の熱が出ました。

 順番は妹→兄でずれて発症したのですが、普段なら三日もあれば熱は落ち着きます。

 娘はすぐ良くなりました。


 しかし息子は三日目に四十度の熱が。

 普段熱に強い息子が初めて「お母さん!」と叫びました。この時、きっと脳に異変が起き始めていたのだろうと思います。

 痙攣はなし。坐薬を使って三十八度後半。日中は熱が下がったり上がったり。けれど、食べることも飲むこともできました。


 次の日も四十度。また坐薬を使い様子見。夜に四十度になるなら病院に行こうと思っていました。

 けれど、夜から徐々に熱は下がり、朝には平熱に。

 ご飯も普通に食べました。

 しかし、この時の夜に「眠れない」と息子は言っていました。

 これも、脳の異変のサインだったと思います。


 ふらつくし、食欲が完全には戻らない。だから、五月中は学校を休ませるつもりでした。

 ですが、徐々に喋れない、歩くのが難しい、文字もまっすぐ書けない、と嫌な変化が。

 この時、一瞬だけ『高熱で脳が?』と考えましたが、『でも痙攣もしてないし、食べられるからもう少し様子を見よう』と思ってしまったんです。


 夜になり、夜驚症のように叫んでは寝てを繰り返しました。前日の夜も少しこの症状はあったのですが、悪化。 


 そして高熱から二日後の朝、完全に話せなくなり、歩行困難、失禁。熱はなし。ご飯は少し食べられる。

 話せないのは喉が痛いから? と聞けば頷く。

 実は、文字も書けなくて私にどう伝えたらいいのか悩んだ息子の嘘でした。心配もかけたくなかったそうです。

 もうすぐ治ると信じて耐えていたのです。

 もっと早く動いてあげられたらと後悔しました。

 

 土曜の朝の出来事でしたので、緊急相談へ電話。

 まだご飯が少しでも食べられていたので、かかりつけ医に診てもらって、と言われました。

 この『ご飯が少しでも食べられている』という状態が厄介で、食べられなかったら救急車を呼んだ方がいいという判断に繋がります。息子の頑張りが裏目に出てしまったというわけです。


 大変な病気ではありませんようにと祈る気持ちで、かかりつけの病院へ。

 すぐに採血、点滴。血液に異常はなし。

 けれど、横になっていることができず、叫びながら起きたり寝たり。先生が心配して点滴を落とす速度を早めてくれたりと工夫してくださいました。

 結果、あまりふらつかず歩けるようになったのです。


 しかし、先生から「高熱からの影響もあるかもしれませんが、歩けなくなったことが気になりますね」と。

 何かあればすぐにまた来てくださいと言われましたが、私の頭の中はずっとこの言葉が残っていました。


 帰りも私が支えながらでしたが、転びそうになりながらも、自分で歩くことをやめませんでした。

 あとで聞いたところ、「歩けなくなった感覚が面白くて自分で歩いた」と言った息子の言葉に、私は『この子は大物だわ』と呆れ笑いしていました。

 同時に、息子の強さを知れた、とても貴重な瞬間でもありました。


 自宅に戻ってバニラアイスを食べ、三時間ほど眠り、急に叫んで起きました。

 あいにく、午後はかかりつけの病院はお休み。

 息子に「病院行こう」と言うと、力強く頷いてくれました。娘からも「早く治してあげて。かわいそう」と訴えられました。


 すぐに救急のある病院へ電話。

 四件断られ、救急車を。

 救急車の中でも二件断られ、ようやく受け入れてくださる病院を見つけ、出発。

 その間も、息子は体が勝手に動くのが止められず、私が軽く押さえながら、なだめ続けました。


 この時、十五時頃。

 本格的な治療が始まったのが二十三時頃でした。

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