第4話 主の元に戻りたい
「わたくしは、ハル様の元に帰りたいのです」
冬樺に案内されてやってきた女性は、着物姿だった。
見た目は20代半ば頃。でも、現代人らしい垢抜けた感はない。声の高さとは真逆の落ち着いた佇まいだった。
黒を基調とした着物の裾に扇柄、鶴模様の派手な生成り色の帯を締め、後頭部で纏めた黒髪に、
彼女が付喪神であるのは、夏樹にはすぐにわかった。本体は、おそらく簪。髪の後ろから、微弱ながらちりちりとした電流のようなものを夏樹は感じた。
それと、彼女の体がわずかに透けているのは、本体である物がここにはないから。けれど、ここからそう遠くない場所に、本体である物はありそうだった。
「ハル様というのは」
夏樹の隣に座った所長が、向かいに座る彼女に訊ねる。
「主にございます。離れ離れになって何十年経ちますやら。わたくしが自我を意識しましたのはこの数年でございまして、この身に刻まれた記憶を掘り起こしている
「そのハルさんという方の特徴は覚えておられますか」
「ハル様は、わたくしをとても大切に扱ってくださいました。わたくしで髪をおまとめになって、おでかけのお供をさせてくださいました」
彼女は古風な話し方で、ゆっくりと話す。が、話がずれているのは、彼女が付喪神だからなのか。
「ハルさんの年齢や顔立ち、特徴のあるほくろなどはなかったですか」
「うら若き乙女でございます。ほっそりとした体形をなさっておいででした。お顔の輪郭が下膨れで子供っぽく見られることを、たまに嘆いておられ、旦那様に慰められておりました」
「若いといっても、物が付喪神化するのは百年ほどかかりますよね。だったらその人はもう――」
「冬樺くん」
口を挟んだ冬樺の言葉を、所長が止めた。
冬樺はすぐに口をつぐむ。
所長がさらに質問を重ねる。
「他に思い出した事はないですか? なんでもいいです」
「まだ、
付喪神の彼女は、軽く頭を下げた。
「いえいえ。思い出したことがあったら、言ってください。ところで、今の持ち主はどなたかわかりますか」
「今は骨董屋の店内におります」
「骨董屋ですね。それなら買いに行きましょう。あなたの所有権をこちらに移します。案内を頼めますか」
「承知いたしました」
*
彼女はならまちを東に進み、新薬師寺のある
高畑町にも屋敷を囲む土塀ごと古い町並みが残っているが、観光客の姿はほぼない。
目当ての骨董屋も、古い木造のお屋敷にあった。
【平木骨董店】と木の板に墨で書いたような、古めかしい看板が壁にかかった店先で、彼女は足を止めた。
「わたくしが飾られているのは、店内奥の机でございます。この平打ち簪を探してくださいませ」
彼女は自身の髪をまとめている簪を抜き取る。黒髪がさらりと下りて肩を覆った。
円形の中に椿の模様、二股に分かれた足、先端に耳かきがついた平打ち簪。
三人で確認をした後、煙が流されるように彼女の姿がかき消えた。
すでに開けられた扉をくぐる。
店内は薄暗い。狭い通路を、物に当たらないようにしながら慎重に進む。
壁際の棚や机に神様を模した木製の人形や古めかしい時計、焼き物食器や小ぶりな花瓶が並ぶ。床には狸の置物と大きな花瓶がずらり。
中央のハンガーラックには着物がかかっている。
「いらっしゃい」
「‥‥‥! びっくりした」
人の存在に気づいていなかったせいで、夏樹の肩がびくっと跳ねあがった。
店奥に掛け軸や屏風が置いてあり、それらに囲まれるようにして、小さなお爺さんが座っていた。
黒いベレー帽から白髪がはみだし、ずり下がったメガネの隙間から、三人を見てくる。
「こんにちは」
所長が愛想良く返す。店主は無言で、新聞に目を落とした。
平打ち簪が飾られている机は、入り口と反対側の壁側に、鏡台や化粧箱などの婚礼道具とともに置かれていた。
「これだな」
所長はジャケットのポケットから取り出したハンカチで、平打ち簪をそっと取り上げた。左手の平の上でハンカチを開く。
夏樹と冬樺が覗き込む。さっき確認した付喪神の平打ち簪と、同じ物だった。
店主の元に向かう前に、ショーケースに入った簪が、夏樹の目に留まった。
「12万円!」
想像以上の値段に驚いて、つい大きな声が出てしまった。
「こちら、いただきます」
所長はハンカチごと、平打ち簪を店主に見せる。
「500円」
「安っ」
店主が提示した値段は、ショーケースの簪よりはるかに安かった。
所長が支払いながら、店主に訊ねる。
「いつ頃、製作されたものになりますか」
「大正から昭和初期ぐらいですな」
「いつからこちらに?」
「いつからやろなあ‥‥‥五年ぐらいかな。たしか、家の建て替えで蔵をつぶすから、処分してくれって言われた中にあったんと違うかなあ」
「その持ち主さんは、どちらの方か教えていただくわけには、いきませんか」
「持ち主? 今は個人情報がどうのゆうて、教えられまへんのや」
「そうですか。ありがとうございます」
所長はそれ以上の質問はせず、簪をハンカチで包むと、ジャケットの内ポケットに入れた。
「なあ、おっちゃん。この簪と、ショーケースの簪の値段、ぜんぜん違うけど、なんでなん?」
夏樹の問いに店主が教えてくれる。
「ショーケースのびらびら簪は銀製で、牡丹の意匠が繊細でええ仕事してる。びらびら部分も、欠けとらんくて、非常に状態がええから。その椿の平打ち簪は、粗削りなんや。状態は悪うない。大事にされてきた印象はある。けど、修業中の職人が頑張った品ゆうんかな。やから、値段の違いは職人の腕の違いやな」
「そうなんや。おっちゃんありがとう」
「おおきに」
三人で店表へと出ると、
「お手数をおかけいたしました」
と、付喪神の彼女が姿を現した。事務所に来た時のような、透けた姿ではなく、実体をともなっている。もちろん、視える力を持つ者限定ではあるけれど。
「以前の持ち主は教えてもらえなかったから、彼女の記憶が頼りだね。二人には、猫の捜索をしつつ、彼女の記憶を揺り動かすものを見つけてきてくれ。俺は四・五年前に建て替えをしてる家を探してみる」
「街ブラやな。了解」
所長の指示に従い、「ほな行こか」と彼女を伴って歩き出した夏樹の背後から、
「所長。簪の写真を撮らせてください」
冬樺の声が聞こえてきた。
夏樹が振り返ると、冬樺は所長の手の上にある平打ち簪にスマホをかざしていた。
すぐに来るだろうと考えて、夏樹は気にせず歩き出した。
古都奈良 妖よろず相談所 @erino-mitsuki
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