第2話 夏樹と冬樺
「違うな。この子は地域猫や」
右耳がさくらの花びら型にカットされた猫を見て、夏樹は溜め息を零した。
そっと地面に下ろしてやると、猫は不服そうな鳴き声を上げて夏樹をひと睨みし、土間からひょいと出て行った。
その背中に「ごめんな」と夏樹は声をかけた。
「個人で飼育してはる猫やから、去勢手術はしてるけど、耳のカットはしてへんねんな」
家から抜け出した猫を捕まえて欲しい。
依頼を受け、ビラを作って家々のポストに投函した。逃げ出したキジトラの名前は琥珀。
「似た猫がうちの庭に来ている。人馴れしてる」との連絡を受けて、近くで待たせてもらっていた。
家人にチュールで注意を引いてもらい、捕獲。したのはよかったけれど、違う猫だった。
「違いますか。来てもらったのに、すんまへんな」
「ううん。ありがとう。見かけたら、また連絡してや」
「飼い主さん心配してはるやろなあ。はよ見つかったらええな」
連絡をくれた、飼い主を心配してくれる優しいおじいさんに礼を言って、夏樹と
「琥珀、どこ行ってしもたんやろう」
古民家が立ち並ぶ通りをとことこ歩く。
近鉄奈良駅から南へ、世界遺産に登録されている
そのならまちに事務所を構える妖専門のよろず相談所で、夏樹と冬樺は働いていた。
「早く見つけて、家に戻してやりたいなあ」
「猫の捕獲専門業者に依頼した方が、効率いいんじゃないですか?」
路地を覗き込みながら呟く夏樹の背中に、冬樺の声がかかった。
「所長が取って来た案件やから、飼い主さん妖やろな。人間に依頼したくない事情があるんかもな」
「飼い主の素性は詮索されないでしょうに。飼い猫を一番に考えるなら、自分のことは後回しになるはずでしょう?」
冷たい言い方をする冬樺に、夏樹は苦笑いする。
「まあ、そう言うたりなや。オレらのこと、信頼してくれるってことちゃうかな。それに、冬樺にかて、苦手なもんあるやろう。例えばタメ語とかさ」
タメ語で話してくれ、と夏樹は伝えているのだが、一向にきいてもらえていない。
「誰にも迷惑をかけていないんだから、構わないでしょう。猫は早く見つけてやらないと、迷惑をしている人もいるかもしれないし、猫が弱ってしまうかもしれません」
「ほな、オレらがはよ見つけてやらんとな」
「だから、それは専門の業者に依頼してはとーー」
「オレらが依頼を受けたんやから、オレらが頑張らなあかん。受けた責任があるやろう。とりあえず、空振りやったって報告しに事務所に帰ろう」
「電話かメールですむでしょう」
「オレ持ってへん」
「スマホ、持ってないんですか? 珍しい。不便じゃないですか」
「そうでもないよ。これが当たり前やもん」
「なら僕が連絡しておきますよ」
「いらんいらん。すぐそこやねんから、いったん帰るで」
スマホをポケットから取り出そうとする冬樺を制して、夏樹は歩き出した。
*
夏樹が働く妖よろず相談所に冬樺が面接を受けにきたのは3月の末だった。
背がひょろっと高く、鋭い目つき、いっさい愛想のないクールな表情。
いつも笑ってて楽しそうやな、と人によくいわれる夏樹と正反対のタイプのようだった。
「
冬樺はブレザーにネクタイ姿で、履歴書を差し出した。しっかりと腰を折って、頭を下げる。
「若いのに、しっかり挨拶できるんだね」
無愛想なわりには、礼儀正しくて、所長に褒められていた。
「それで、どうして高校の制服なの?」
指摘されて、冬樺は自身の体に目をやった。
「面接にはスーツで臨むのが常識と思いますが、僕はスーツを持っていません。制服なら失礼にあたらないかと判断しました。非常識でしたか」
「いや。大丈夫だよ。ダメージジーンズで初出勤してきた奴がいるからね。ずっと常識的だよ」
所長がにやりと笑って、夏樹に視線を送ってくる。
つられたのか、冬樺が顔を向けた。
ソファーに座っていた夏樹は、にこっと微笑んでピースをした。
冬樺はまばたきをひとつしただけで、すぐ所長に顔を戻す。
おもろなさそうな奴やなあ。夏樹が抱いた、冬樺の第一印象だった。
冬樺は高校を卒業したばかり。進学も就職もせずにいたところ、高校の教師に薦められてきたらしい。
ソファーに座るように所長に勧められた冬樺は、夏樹の反対側に腰を下ろした。
デスクにいた所長が立ち上がり、夏樹の隣にやってくる。
「猿田さんから、どういう説明を受けてきたのかな?」
「妖専門の探偵業だと教えられました」
「正確には、よろずやだから何でも屋ってところだね。妖の困り事を解決する仕事。だから内容は多岐に渡る」
「妖から報酬を得るんですか」
「報酬はもらわないと、俺らご飯食べられないから」
「そうですね」
「猿田さんが妖だというのは、知っているのかな」
「はい。天狗だと聞いています」
「その通り。人の社会に馴染んで生活をしてる妖は、たくさんいる。昔と違って社会が明るくなって、共存を選ぶ妖が増えた。でも感覚や考え方が人とは違うから、苦労もしている。彼らを支えてやるのが、この事務所の仕事」
「猿田先生も依頼したことがあると聞きました」
「内容は言えないけど、依頼されたよ。長寿で、人と長く接してる天狗にも、困り事はあるんだな。そういう妖たちの力になってやって欲しい。できそうかな?」
「逆に聞きたいです。僕に務まる仕事ですか?」
「君だからできる事があるんじゃないかな」
「僕だから‥‥‥」
「とはいえ、一人でやるのは難しいだろうから、そこにいる岩倉夏樹と一緒に行動してもらうね」
もう一度、冬樺が夏樹を見た。
「夏樹は一年働いている。一応先輩だけど、冬樺くんより年下」
「中卒で入ったから16っす。よろしく」
夏樹は挨拶代わりに左手をひらひらと手を振る。手首の数珠が軽くぶつかりあって、じゃらりと音を立てた。
「よろしくお願いします」
冬樺が夏樹に向けて、ようやく声を発した。態度は所長に向けたものと変わらないが、表情はやっぱりなかった。
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