第31話 竹は橋へと化ける

 丁度海潮が駆け出した先、同じく雲野原に紛れ込んでいる曲者があった。三羽鶏である。


 先の長徳寺の一件で面目が潰れたと思った三兄弟は、元より誰も期待していなかったなど毛ほども思わずに汚名の返上に燃えていた。三人寄れば文殊の知恵も授かるだろうが集まったのは三匹の狸であり、その上頭は鶏である。


 然るべく授かった天啓は青鹿に誑かされた仇を泉家の演化を邪魔して晴らすという、逆恨みであった。三匹が手に持つ袋には、マタタビ粉が入っている。八木山家の演化に紛れ、泉家の地車にそれをばら撒くと言う魂胆であった。


「鶏二、鶏三。準備はよろしいですね?」

「いつでも大丈夫ですよ、鶏一兄さん」

「三、二、一で参りましょう」


 鶏三の発言に、鶏一は異論を唱える。


「え? 普通は一、二の三ではないですか?」


 極めてどうでもいい事で揉めさせたら、三羽鶏に適う狐狸貂猫はいない。


「そうですか? カウントダウンで問題ないのではないと思いますが」

「私も鶏二兄さんと同じ意見です」


 出来の悪い兄が、出来の悪い弟たちに嘆くような目を向け、やれやれと続けた。


「下がるのは縁起が悪いでしょう。上がる方が断然良いというのが私の見解です」

「それもそうですね、流石は鶏一兄さん」

「では、それで参りましょう、鶏一兄さん、鶏二兄さん。一、二の、三ッ」


 威勢よく、飛び出さないように駆け出した。しかし、かき分けた靄と霞の先で何かにぶつかり、先陣を切った鶏一が尻もちをつく。


「うぐっ」

「誰です…か―――人間…?」


 海潮もすぐにぶつかった相手を見た。何処の誰かも分からないが、貂族と欅と青鹿以外に見られるのが非常によろしくない事だけは咄嗟に判断した。さらに数でも負けている海潮には、逃げ走る以外の選択肢などある訳が無かった。


「人間――」


 そう呟いた鶏三は、すぐさま雲野原に消えた海潮を呆然と見送った。


 状況が全く読めなかった三匹は互いの目を交互に見合わせた。泉家への逆恨みよりも、もっと重要で名誉挽回が出来るモノが転がり込んできた。そう結論を出すまで遅かったのが幸いだった。


 三羽鶏は富沢家の地車に戻ると、いの一番で鶴子の下に駆け寄った。富沢家は、大竹を再び寝かす準備をしていた。もたもたしていると、雲野原の不思議な効果が薄れて大竹が洒落にならない重さに戻ってしまうのだ。


「鶴子さん。大変です。大変なことがありました」

「どうしたのです?」


 敬語で話すと言ってしまえば同じだが、心の芯の有る無しでかなり違って聞こえる。


 鶴子は目に見えて嫌そうな態度を取ったが、それが通用するほど眼識のある兄弟ではない。とはいえ、三羽鶏の報告には流石に動揺を隠せなかった。


「雲野原に人間がいたんです」

「何ですってっ?」

「しかも、あれは…夏月海潮だったように見えました」


 鶴子はいよいよ目を丸くした。


「まさか。人間がいるはずが――」


 他の狸たちの前と言うのも忘れて惑乱を露わにしてしまったが、瞬時に頭を整理し、威厳を取り戻してから言い放った。


「―――いえ、そんな事は今はどうでもいいです。全員で雲野原を探しなさい。特に里佳さまのいらっしゃる御上座敷には絶対に近づけてはなりません」


 突然の事に富沢家は動転して、身動きが取れない。騒めき立てるだけの一同に痺れを切らし鶴子が一喝する。


「早くしなさい!」


 事態の不可思議さと鶴子の気迫に気圧された富沢家の面々は、鶴子の父であり当主でもある燕治でさえもが混乱し、それでも四方八方に散らばって海潮を探し始めた。


 鶴子も焦る素振りこそ見せないが、やはり足早に飾り台から降りて行った。


 もぬけの殻となった富沢家の地車に一匹だけ雁ノ丞が残った。三羽鶏の話を聞いてすぐさま枷なく動けるように隠れていたのだ。後手になる可能性もあるが、高みから日和見的に事態を判断しようとしていた。


 富沢家の異変は、暇を持て余していた荒井家と泉家の地車にも伝わっていた。どのようにでも動き出せるように準備していた欅と青鹿は、事情を確認しようとすぐさま雁ノ丞のもとへ急いだ。


 二匹が合流すると、地車の飾り台に一匹で佇む雁ノ丞を見た。


「雁ノ丞。一体何の騒ぎよ」


 欅と青鹿は、念のため地車の下から声を掛けた。


 それに気が付いた雁ノ丞は、飾り台の手摺から身を乗り出して答えた。


「海潮さんがいることがバレたみたいだ」

「なら、すぐに助けに」

「いや、既にここまでの大騒ぎだぁ。何とか別のものに目を向けさせて、混乱を利用した方がいいよぉ」

「それなら僕に考えがある」

「考えっていったい何よ」


 欅の質問に答えようと雁ノ丞が口を開いたが、その後ろから、


「雁ノ丞」と呼び掛けられた。


 刹那、その場のほでなす達の空気は固まった。水が氷になるように空気が冷たく冷たくなり、動くことが出来ない。


 雁ノ丞が振り返ると、全くの無感情で自分を見据える姉がいた。隠れていたのか、戻って来たのかは分からないが、下手な化け物よりよっぽど怖いと思った。


「誰と話しているのです?」


 声音は飽くまで優しいが、目が全く笑っていない。全部を察した上で聞いてきているというのは明白だ。だから雁ノ丞も


「誰だと思う?」と、白々しく、満面の笑みで返した。


 じりじりと距離を詰めてくる鶴子をキッと睨むと、覚悟を決めた。下にいる猫と狐の機転を信じ、叫んだ。


「海潮さん、逃げて!」


 その声をきっかけに、鶴子が雁ノ丞を押し退け雲野原を見た。そこには地車を回り込み、一目散に御上座敷を目指す海潮の姿があった。だがそれは当然、本物ではない。


 青鹿が雁ノ丞の意図を汲み取って咄嗟に見せた幻影に過ぎない。


「誰か!」


 鶴子は出したこともない様な声量で叫んだ。自分がこれ程までに大声が出せるのかと驚いていた。


「人間だ。人間がいたぞ」

「捕まえろ」


 すぐに狸たちも追いかけ出したが、お世辞にも統率の取れた動きをしていない。


 さっきの意趣返しか、鶴子は弟をキッと睨みつけると躊躇いながらも地車を降りて駆け出した。


 雁ノ丞はそれを確認すると、すぐに隠れていた欅を地車へ引き上げた。


 青鹿が時間を稼いでくれている内に、現状を打開しなければならない。そう焦りつつも、たった一叫びで自分の考えを汲み取った青鹿に雁ノ丞は脱帽する思いであった。


「それで? どうすんのよ」


 欅は鶴子に負けず劣らずの鋭い目つきで雁ノ丞を見た。悪意がこもっていない分、余程可愛らしいと雁ノ丞は思った。


「この竹をさ、ぶっ倒そうよ」


 ギョッとする欅に、その顔が見たかったと言わんばかりの笑顔を見せた。


「目立つでしょ」

「…本当に、いつものアンタからは想像できない度胸の良さね」


 迷っている暇も他の策を考える時間もない。欅と雁ノ丞は支えに繋いでいる綱を外すと、御上座敷に向かって倒れるように引っ張り始めた。それは幽かにではあるが重力にもたれ掛かるように動き出し、やがては巨人が足を踏み下ろすかのように倒れ始めた。


「で、この倒れる竹は誰が止めるの?」


 狐は言う。


「考えてなかった」


 狸は愛想笑いを浮かべた。


 大竹はそのまま御上座敷の隅に食い込んだ。まだ軽さは残っているのか、富沢家の地車と御上座敷とを橋のように宙ぶらりんに繋いでいた。

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