第32話 侵入成功
「すごい事をやるなあ、お前の友達は」
「…本当にな」
何かは起こるだろうと思っていた八木山家でさえ、度肝を抜かれた。事情を知らない他家や御上座敷の連中は、それこそ天変地異が起こったと思うに違いない。
小生と父は役の都合で、カササギに変じて上空を旋回飛行していた。雲野原一体の慌てようは、正しく一目瞭然であった。
「ここまで大騒ぎになってるんだ。海潮殿の近くにいても構わんだろ」
「そうだな。後は頼むよ」
地車に一度降りて一つ気合を入れる。上から見た分では竹の始末に天手古舞の富沢家に捕まることはなさそうであったが、早めに合流して困ることはない。
「萩太郎」
地車から飛び出そうとしたところで、父から呼び止められた。
「俺はな、今のお前が羨ましいよ」
「何だそりゃ」
「言葉通りの意味だ」
この期に及んで揶揄っているのかと思った小生は、適当な合図地と返事をして海潮のもとへ走った。
小生を見送った父は、ぐるりと雲野原を眺めた。
「おい皆、形だけでも心配しておけよ」
そう言って父は小さく笑った。
◇
「誰も怪我してないのが奇跡だな」
大竹の凄まじさは御上座敷に近づくほど如実になり、思わずそんな一言も出るくらいの惨状であった。
御上座敷に辿り着き、肩で息をしている海潮の傍によると向こうも小生に気が付いた。
「萩太郎」
「よう、無事だな。まあ上から見てたけどさ」
「何なんだ、あのデカい竹は」
「雁ノ丞と欅が、ちょっとな」
詳細は小生も分からなかったので、はぐらかして答えた。
「欅はともかく、雁ノ丞もかよ」
海潮は改めて大竹を一心に見つめた。
けれども時間がないのも事実であるし、あまりに騒ぎが大きすぎるので姫の安否も気掛かりだ。只でさえ厳重に守られているだろうから、警戒も増しているだろう。
「兎にも角にも良い具合に混乱してる。さっさとこいつを登っちまおう」
小生は梯子に化け、海潮と共に二階部分から侵入した。意外にも御上座敷の戸はすんなりと開いた。ここからは神域と称される場所であり、雲野原にいるのは立入禁止を命じている狐狸貂猫だけだから、侵入者など出る訳が無いと高を括っているのかも知れない。
御上座敷の内部は木の香りが立ち込めており、内装は城を思わせるほど強固な造りであった。明るいとも暗いとも言えない底光りの廊下が続いている。神聖と呼ばれている割には、華やかさを感じられなかった。
順調に進んだのは入り込むところまであった。まだかち合いはしないが廊下の奥で、恐らくは山王蔵ノ神に仕えている従者たちが大騒ぎをしている。行燈でも持っているのか、明るさが揺らめいて反射している。
「萩太郎? どうした?」
「ちょっと黙って」
耳敏くない海潮を制して小生は作戦を考える。だが結局は混乱を利用することしか思い付かなかった。チラリと通りかった従者の格好を見て頭に叩き込む。そして海潮に言う。
「よし。ちょっと俺の事持ち上げてくれ」
「え?」
「早くしろ」
海潮は貂姿の小生を万歳する形で持ち上げた。すかさず先ほど目に焼き付けた従者の衣装に化けて海潮を覆った。
「おお、こんな化け方もできるのか。それで、これからどうする?」
「上の見櫓を目指そう。さっき上を飛んでいた時だが、かすかに白い花嫁衣裳の女が見えた」
「…花嫁衣裳か」
何を想像したのか、目に見えて消沈した。ここまで来て覚悟が出来ていないのかと思い小生は海潮の尻を叩いた。
「ほら、行くぞ」
従者たちは数名が扉の前に集まって、あれこれと議論している。要約するとあの扉の先に姫がいるらしく、身分違いの自分たちが緊急とは言え近づくのは不敬ではないかと議論している。
「大分揉めているな」
「もう半分は神様のカミさんなんだ。こんな状況でも気軽に近づける身分じゃないんだろう」
何気なく言った一言であったのだが、海潮を緊張させるには十分だったようだ。
しかし、小生らは弱ってしまった。連中があそこで揉めている限り強行突破も難しい。立ち往生に苦しむ一歩手前で、小生に妙案が浮かぶ。
「うん? そうだ」
小生は変化を解くと通路の角に隠れていた海潮の脇に立った。突然の行動に海潮は虚を突かれている。
「どうするんだ?」
「こうするんだ」
そう言って海潮を盛大に蹴飛ばした。
「ちょ、何を」
抵抗なく廊下に倒れ込んだ海潮を、小生はすぐさま抑え込んだ。海潮は更に目を丸くして二の句が継げないでいた。当然、即座に従者連中に気が付かれ、ぞろぞろとこちらに走り寄って来る。
ここからが小生の腕の見せ所だ。何も姿形を変えるのだけが化け術ではない。
「何事だ」
「お側役様ですか?」
「そうだが。お前らは何者だ」
「私は八木山荻太郎と申します」
特に理由はないが偽名で名乗った。
「うん? 八木山家の者か」
「は。大竹が倒れ、これ一大事と思いこちらに駆けつけましたところ、怪しい奴をば見つけましたので」
「そいつか」
「どうやら人間のようです」
「な!? 人間だと。馬鹿な」
案の定、人間という単語には敏感に食い付いてくれる。
「しかも仲間がいるとも言っておりました」
更にざわめきは増し、ここぞとばかりに追い打ちをかける。
「風梨のお嬢様はご無事で?」
「いや、我らは下方であって、上は見ておらぬ」
「それは行けません。さっきの大竹は御高座敷に食い込んでいます。それを伝ってまだ人間が登ってきています」
「何だと」
「急ぎご様子を」
小生の意図を理解したようで、海潮も暴れる演技を挟んできた。
すっかりこちらの話を信用した従者たちは矢継ぎ早に扉に向かっていく。揃ってほくそ笑み、戸が開いた瞬間に蹴散らして邁進しようと耳打ちしたところで、呼び止める声があった。
「お待ちください」
見なくとも誰かは分かる。ここまで来て横槍を入れてくる奴など、他に思い浮かびもしない。ぴしゃりと冷や水を浴びせられたように身を竦めたが、お蔭で頭と心は冴えていくのが分かった。
鶴子が厳然と立っていた。
「おお、富沢の」
「その二人は間者です」
小生らを指差し、淡々と事を告げた。
「何?」
「馬鹿な事を抜かすな富沢鶴子。手柄の横取りでもする気か。さてはこの人間を手引きしたのも富沢家か」
「白々しい事を」
極めて冷ややかに睨みつけてくるが、たじろぐ小生ではない。状況の利はこちらにある。こうした場合は真実よりも、先に植え付けた疑念の方が遥かに良く育つ。まして姫に危害が及ぶかもしれない可能性も示唆させてある分、連中は姫の安否が気掛かりで仕方ないはずだ。
そうやって、小生は自分で自分を鼓舞させる。
「やはり、夏月海潮殿ですね。あなたが連れてきたのですか?」
「お側役様。根も葉も無い事を言い、混乱させて時間を稼ぐ魂胆です」
鶴子には喋らせるだけ不利になる。畳掛けるように小生は言う。
「現に倒れてきた大竹は富沢家のものです。今にこいつの仲間が登ってきますよ」
自分でもよく分からない程、悪乗りした悪役を演じている。未だ小生に押さえ付けられている海潮は、笑いを堪えるが必死に見えた。
「別に仲間など登っては来ませんよ」
一瞬、そう言う鶴子の表情が分からなかった。あからさまに全てを諦めたような声音と顔つきだったのだ。初めて見る鶴子の様相に、小生はあれこれと鶴子の考えを深読みした。
だから鶴子の次言に頭が真っ白になった。
「まあ、変わりに炎は伝ってくるかもしれませんけどね」
その場の全員が仰天した。まさか、あの後に引火するようなことがあったのか。
「おい、早く扉を開けろ!」
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