第17話 猫鳴子
「こいつは誤算だったなぁ。鼻が利かねえや」
青鹿は電車を降りると、立ち込める温泉街独特の硫黄の香りを嗅ぎ取って、それを第一声にした。
「鳴子と言えども広いし、初めてきたから土地勘もないし。ほでなすここに極まれりだねぇ」
◇
あの時点で打てる手はとても少なかった。しかし、だからこそ青鹿は二匹だけ可能な方策を思いつくことが出来た。
とは言っても然程、事々しい計画ではない。片方は萩太郎を助け、もう片方が海潮たちに合流して今起こっている事態を全て打ち明けるという単純かつ明快なものである。
二匹で一緒に動かない理由は、神婚のご破算を主たる目的にしたからだ。
全て打ち明けられたとしても、それを受けて海潮本人が諦めるかもしれないし、仮に告白したとしても姫がそれを承諾する保証がない。
神婚の意味するところを説明するとなれば尚更だ。
だからこそ二人に振られたと場合には、神婚をぶち壊す新しい案を練らなければならない。その為には萩太郎が必要不可欠であった。あの一匹狼もとい一匹貂が居ればできることの幅が広がる。本人の生き方、考え方に異論を申し立てる奴は多かろうが、化け術の実力に異論を唱える化獣は少ない。
◇
そして一計を案じ、一夜明けた八月五日の事である。
話し合いの結果、青鹿が海潮と姫のサークル一行を追い、欅が萩太郎を救出すべく動くことになった――なったのだが、雁ノ丞のメモではサークル旅行の行き先が「鳴子温泉」であるとしか言及されていなかった。鳴子温泉とは全国にも名を馳せている東北でも有数の温泉地であり、宮城県北に位置する大崎市に在している。状況を考えれば、少なくとも場所が特定出来ただけでも良しとしなければならないだろう。
鳴子温泉駅で降りた青鹿は、ぶらりと歩いている内に姫に遭遇しないかと思っていたが、現実はそう甘くはない。駅前の案内板を見て目ぼしいところを回っている間に歩き疲れ、結局は駅前の足湯に浸かると雲の流れを見ながら一息ついていた。
「へえ、足湯ってのもいいもんだね。毛と肉球がなけりゃだけど」
如何したものかと頭を捻り、唸っていると同じく足湯に浸かっていた初老のオヤジに話しかけられた。風貌から察するに地元の者らしく、恰幅の良い体格に浴衣姿が堂に入っていた。
「おう、兄ちゃん。足湯初めてかい?」
「そうなんですよ。更に言えば鳴子に来るのも初めてで」
「へえ。どこからだい?」
「仙台からです」
「ありゃ、同県かよ。仙台ならちょいと頑張れば来れるんだから、来なよ」
親父は渋い顔をしてそう言った。地元愛に満ち溢れているのであろう。
「いやぁ、温泉と言うか風呂が苦手なんですよ。けど、足湯がこんなに気持ちいいんなら考え直さないとなぁ」
「そうかい? いいだろう足湯ってのも」
「ですねぇ。特に駅前のこれはタダってのがいいや」
青鹿は揺れる足湯の水面を見ながら、ふつふつと言った。
親父の方は、そんな現金なことを堂々と言ったのが気に入ったのか、膝を叩いて笑っていた。
「あっはっは。確かに言えてるな。なんか気に入っちまったな。ホレ、こいつをやるよ」
親父は脇に置いてあったビニール袋から缶のハイボールを寄越した。
「え? いいんですか?」
「なんか、楽しくなっちまったよ」
「じゃ有難く」
断る理由など勿論ないので、有難く頂戴した。
青鹿はいい加減暑くもなって来たので、足を取り出して自前のタオルで軽く拭いた。濡れた足に当たる風が心地よかった。互いに一口飲むと、実に美味そうに息を吐いた。
「で、何しに鳴子に来たんだい? 旅行か」
「いやぁ人を追って来たんですよ」
親父は目の色が変わった。明らかに好奇心で輝いている。
「ほほう。兄ちゃん、探偵か。それとも逃げた恋人でも探しに来たか」
「いえいえ、ちょいと野暮たいことをね」
折角なので、ハイボールのお礼も兼ねてたっぷりとミステリアス風に味付けして話し出した。別に隠さなければならない話ではないのだが、少々創作も入れて改変することにする。
「野暮たいこと?」
「一人、親に勝手に許嫁を勝手に決められた女の子がいましてね、その子には別に好きな男がいた」
「ほう」
親父はこちらにずり寄ってきた。青鹿も縁の上に胡坐をかき、親父に面と向かった。
「どうやら男の方もその子を好いているようだが、お互いに踏ん切りが付かない」
「ほうほう。それで」
生まれて初めて芝居見物をしたような親父の顔に、青鹿もついつい悪乗りしてしまう。
「女の子に許嫁が出来たなんて、暢気な男の方は露知らずに一緒にサークルの卒業旅行に出かけたときたもんだ」
「鳴子にかい」
「ええ」
「なるほどね。けど、許嫁がいるんなら少々、ちょっかい出すには相手が悪いんじゃないのかい?」
青鹿は笑った。口元が上弦の月のようである。
「ところがどっこい、件の許嫁はその女の子に口約束でも良い、結婚の約束をした男がいれば大人しく身を引くと言うではないですか」
「なんと」
合間にもう一口ハイボールを傾けた。
「そう聞いた途端、普段煮え切らない二人を肴に酒を飲んでる罰当たり共がご恩返しをしようと思ってね、恐れ多くもオイラが、二人を焚き付ける役を仰せつかったという訳で」
親父は面白い物を見つけたように、くつくつ笑った。
帯の後ろに差していた扇子を取り出すと気持ちよさそうに仰ぐ。芸歴云十年の噺家にも見えた。
「ホントに野暮なことをしにきたねぇ」
「けれど困った事に女の子とは面識があるんですが、男の方は名前しか知らんのですよ」
それが結構小さからぬ懸念なのだ。青鹿は姫の顔は勿論分かるが、それしか頼りになる情報が無い。本来であれば渦中の両人を知っている欅こそが適任なのだったのだが、そうできない理由がある。
追いかけている探し人の顔を知らないというのは、勿論親父からも突っ込まれた。
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