第16話 猫、企む
二匹が去った後、どこか苦しげな鶴子が雁ノ丞に近づく。足が止まると、雁ノ丞は二匹を見送った先と閑古な庭を見ながら話し出した。
「ごめん、姉さん。誰か呼んで捕まえるべきだった」
「いえ。萩太郎さんさえ捕まえてしまえば、後はどうにでもなります。青鹿さんと欅さんだけではできることもないでしょうから。それにしても辛い思いをさせますね」
雁ノ丞はへへへと、強がるように笑う。
「結構つらいね、こういうのは。ごめんね、姉さん」
「いいのです。いつの間にか立派な狸になっていましたね。私こそ信用しきれずに見張りを立ててしまって、恥ずかしい事をしました」
「いいさ。気にしてないよ」
「さあ、戻って準備の続きをしましょう」
「うん。ホントにごめんね、姉さん」
名残惜しそうな雁ノ丞のその視線は、踵を返し母屋に向かう中で迷いのない眼光に変わった。
◇
二匹は難なく風梨家を出ると、とりあえず仙台駅を目指し足早に歩いた。欅は放心しているようで、手渡された袋が淋しそうに揺れている。付き添う青鹿は万が一の追っ手を警戒して何度も後ろを振り返っていた。
宮城野通りに入ると、二匹はようやく一息つくことが出来た。状況を整理しようとベンチに腰を掛ける。
「追っ手は来ないみたいだね。一先ず安心かな」
「…」
返事はなかった。が、煙草に火を付けたので完全に呆けている訳では無いようだ。欅もまずは落ち着こうと必死なのだろう。
「そんな落ち込むなよ…てのは無理かねぇ。まさか雁ノ丞が向こうに付くとは思わなんだ」
「あんなにあっけらかんと、裏をかくような奴じゃないと思ってたんだけど」
声は聞けたものの、声に表情はない。それでも話を止めまいと青鹿は相槌を打った。
「そうだね」
「容量悪いっていうか、自分がないっていうか。だから、何か一緒にいて面倒見たくなってたのよね」
「相変わらずの姉御肌だ」
青鹿は常々、鶴子と欅は根本的な所でとてもよく似ていると思っている。尤も、そんな事を言おうものなら双方から怒りと反感を買う事は必至なので、口が裂けても言わない。
「こんなことするとは思わなかった」
「雁ノ丞が選んだんだ、仕方ないさ」
青鹿は慰めの意味で、欅の肩をポンと叩いた。
「さあ、今後の事を考えよう。やっぱり萩太郎を助けるのが先決か…如何せんオイラと欅だけってのが辛いところだけど」
「違うわ。雁ノ丞はこっちの味方よ」
そう言って欅は、例の袋を差し出した。
青鹿は黙って受け取ったが、雁ノ丞が味方だという意味が分からない。
「アンタ、アタシが小説を貸したって聞いて何とも思わないの? 普段はあんなに勘が良いくせに」
言われて青鹿は苦笑した。雁ノ丞が居なくなったと思い込んで落ち込んでいたのはむしろ自分の方だったと気付いたからだ。
字を読むのが大嫌いな欅が小説など貸す訳が無い。あのやり取りは決死の#虚仮威__こけおど__#しであり、雁ノ丞は自らが獅子身中の虫ならぬ、狸身中の虫に化けるという役を買ってくれた合図であった。
雁ノ丞の渡してきた紙袋の中に入った小説の間には、直筆のメモが数枚挟まれていた。
「あの短時間で、よく纏められたものよね」
「へえ、こいつは凄いや。婚礼の段取り、サークルの旅行の行き先に、成程、神婚を取りやめる方法も書いてあるよ、これは知らなんだ。ええと萩太郎は…かなり厳しい状況みたいだね」
「あいつが厳しいってどんなよ」
「富沢さんところの狸の半数が付いているんだって」
青鹿はぴらぴらと、指に挟んだメモをチラつかせた。
その様子を想像した欅は、頭から嫌なイメージを追い出すような溜息を一つ吐き出した。
「ご苦労なことね」
「けれどその分、オイラ達の事にかまけてられる暇も人手も無いはずだ。まだチャンスはある」
「手が足りないのはこっちも同じでしょう」
「まあ、そうなんだけどね」
的確なご指摘に笑って答える。青鹿はいつの間にか普段の息遣いで喋っているのに気が付いた。状況は何も変わらず、数の上でも劣り過ぎている。なのにも関わらず、二匹は既に何とかなりそうな気がしてきている。緊張なのか、焦燥なのか、期待か高揚か。二匹は、やけに高ぶっていた。
「で、アタシ考えるのはあまり得意じゃないんだけど、これからどうすんの?」
「ん~、難しいね」
「そんな事は分かり切ってるわよ」
「でもやるべきことは分かってるんだ。神婚ができないように邪魔する」
「それも分かってるっての」
欅もいつも通りに、ハナ差四着で三連複二百三十倍の馬券を外してしまったかの様なしかめっ面に戻っていた。
「このメモには姫が人間の誰かと婚約すれば神婚は無くなると書いてある。ま、その誰かってのは海潮さんになるんだろうけど」
「は? どういうこと?」
青鹿は説明するよりも早いと思ってメモを見せた。
「…なるほどね」
「さて、ではできることを整理して、一番手っ取り早いのは―――」
青鹿は欅の神経を逆なでするように、おもむろに勿体ぶって作戦を練り出したのだった。
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