第11話 にじり寄る疑惑

 小生は穴蔵神社を出ると狸姉弟共々タクシーに乗り込んだ。土樋方面へ進み、五橋から新寺通りへ抜けて連坊へ向かう。祥雲寺の前で降り、角を一つ曲がると風梨家に到着した。


 現在、風梨家での『お役目』を担っているのは富沢家の一族である。


 狐狸貂猫の『お役目』の交代は不定期で決まる。それもそのはずで、交代は風梨家の現行当主が逝去することが切っ掛けとなるからだ。


 それまでは例え当主の役を引き継ごうが引退し悠々の隠居生活を謳歌しようが、意識不明の昏睡状態になろうが問答無用で『お役目』は続く。当主が生きている限りソレが変わることはない。そして亡くなった場合には通夜、葬式とをこなした後、初七日を終えて次の化獣一族に一切を引き継ぐ。


 如何にも旧家というような景観の邸宅の仰々しい門を通る。すると玄関ではなく、中庭へと案内された。そして敷石で履物を脱いで客間らしき座敷へと上がった。


 広いとも狭いとも言えぬ座敷には床の間が無く一つが襖、残りが障子で仕切られている。取って付けた様な机が何処か嘘くさい。座布団に座ると鶴子の命令で飲み物を持って雁ノ丞が戻ってきた。


「はい、お待ちどうさま」

「お、ありがと。贅沢言えば炭酸が入ってると嬉しんだけどね」

「麦茶に炭酸…ですか」

「ああ、アルコールも入れてもらってな」


 小生の望んでいる物が分かった途端、こちらに呆れた様な視線を送ってきた。慣れているので、別に何とも思わない。


 三匹分の炭酸とアルコールを抜いたビールを置くと、雁ノ丞は小生の横に座った。座布団が四つ用意されていたところを見ると、やはり欅が来ることも想定していたらしい。


 それぞれが乾いた喉を潤すと、鶴子は間もなく言った。


「今日、お呼び立てしたのは他でもありません。あなたたちに一つ聞きたい事があります」


 小生と雁ノ丞は互いに見合った。


「里佳様の事です」

「姫の?」

「ええ、もっと正確に言えば里佳様の交友関係、とでも言いますか」

「どういうこった?」

「単刀直入にお尋ねします。あなた達は夏月海潮という人間を知っていますね?」


 海潮の名を聞いた途端に小生の中にあった慢心は警戒に、好奇心は猜疑心に変わった。


「…まあ知ってるけど」

「海潮さんがどうしたのさ」

「いえ、里佳様とのお話の中でよく出てくる方でしたので、少々気になっていたのです。どのような方なのでしょう?」

「どうって聞かれてもな」


 小生は胸に何かがつかえる思いがした。迂闊なことを答えないよう、言葉を濁した。


「ま、一言でいうと良い人かな。お人好しとも言えるけど」

「狐狸貂猫と人間とに差を付けるような人じゃないよ。何度か飲みながら話をしたことがあるけど、色々とみょうちくりんな事を知ってるから、話してて面白いんだ」


 雁ノ丞が屈託もなく答える。不用心とも思えるが、この毒気の無さは思いがけない所で役に立つことがある。幼い頃は雁ノ丞がいるお蔭で説教の時間が短くなるので重宝した。


「なるほど。私も少しお会いしたくなってきました」


 鶴子が何だかんだで雁ノ丞に甘いのも知っている。少し緊張の糸が弛んだのを嗅ぎ分けると、直接疑問をぶつけた。


「で、なんでそういう事を聞く」

「何故とは?」

「質問の意図が分からねえって意味だよ」

「里佳様のご学友の事ですから、気になっても不思議ではないでしょう」

「じゃあ、他の連中についても聞いてるのか? 姫の友達があいつ一人だと思ってる訳じゃないだろう」


 鶴子は決して表情を崩す事がない。明確に伝えたい何かがあるとき、作為にその場に相応しい顔を作る。図星を付かれたり、不利な場に立たされたとしてもそれが表に出すことはしない。能面のような顔も小生が苦手と思う理由の一つである。


「…」

「姉さん?」

「まあ、埒があきませんから、更に掘り下げて聞きますが、その……お二人は今、恋仲なのでしょうか?」


 この緊張感に尤もそぐわない質問に、小生と雁ノ丞は軽く吹き出した。


 鶴子は小生らの態度に、不機嫌な雰囲気を出した。


「何故笑うのですか?」

「いや、吃驚して」

「ごめんごめん。けどそれはないよ」


 雁ノ丞はツボに入ったようで苦しそうに返事をしていた。


「それは恋人同士ではないと言う事?」

「うん。同じサークル仲間で、仲は良いみたいだけど、まだ付き合ってはないよ」

「まだ?」

「一度、二人でいるところを見てみればいい。互いに好き合ってるのは一目瞭然だ」

「そう言い切れる根拠でも?」

「そうだな…昨日、姫さんは三条か北山の方にでも家の用事があったかい?」

「いえ、午前中にまた勝手にお出掛けになりましたが、どちらに行かれたのかは存じません」

「で、昼前に呼び出し食らってたな」


 見ていた事なので、見ていた事のように言える。


「何故それを?」

「海潮と姫と俺と、一緒にいたからな」


 小生は初めて演技でない鶴子の驚いた表情を見た。根拠はない、ただ演技をしている顔でないと直感的に思った。


「里佳様は、夏月さんのところに行かれていたのですか?」

「それも家の用事の帰りだと言ってな。素直に会いに来たと言えばいいのに。他にも健気だと思うところもあるよ。姫の嫌いな食べ物は知ってるだろう」

「里佳様は幼少の頃から南瓜だけはお嫌いですが」

「ところが海潮は南瓜男ってあだ名が付くくらいの南瓜好きでな、嫌われたくないのか、昨日も南瓜好きを装って美味そうに食べて帰ったよ」

「甲斐甲斐しいね」

「やってることは小学生だけどな」


 小生が言うと、雁ノ丞は「確かに」と頷いて笑った。


 その一方で鶴子は雰囲気を強張らせた。


「…そうですか」

「姉さん、さっきからどうしたの?」


 その問いに鶴子は答えなかった。代わりに石のように固く、重い声が雁ノ丞に飛ばされた。


「雁ノ丞」

「はい」

「里佳様は今日から倶楽部の旅行に出かける予定だったのは知っていますか?」

「さっき穴蔵神社でそんな話は聞いたよ。萩太郎から」


 鶴子はわざと、怒りを込めて雁ノ丞を睨んだ。


「お役目を仰せつかっているのだから、風梨家の家人の大まかな予定くらいは把握しなさい」

「…はい」


 笑える話も聞けたと、小生は席を立とうとした。


「で、聞きたいことは終わりか。なら帰りたいんだが」

「いえ、もう一つあります」


 すぐさま鶴子に制される。


「そのご旅行に夏月さんも同行するとは聞いていますが、その先で…」


 鶴子はどこか気恥ずかしそうに言いよどんだ。


「何だよ」

「何といいますか…夏月さんが里佳様に告白をしたりするとは思いますか?」


 まるで手入らずの娘のように、もじもじと尋ねる様に小生と雁ノ丞は先ほどより大きく吹き出した。


 この手のやり取りは慣れていないのか、普段の鉄仮面は嘘のように剥がれ落ち、その下の顔は燃えるように赤くなっていた。


「ま、真面目に聞いているのですよ!」

「ないな」

「ないね」


 まるで打ち合わせをしたように、調子よく合わせた声が出た。


「言い切りますね」

「それが出来てりゃ、こっちもこんなにヤキモキしないよ」

「二人に発破を掛けてみたこともあったけど、暖簾に腕押しだったしね」

「そう…ですか」


 赤味掛かった顔は一気に灰色に変わった。


「どっちもどっちだが、姫の方がまだましだからな。海潮より姫の方が勇み足を出すんじゃないか」

「それはあり得ませんわ」

「へえ、言い切るね」

「ええ。里佳様はこの度、ご結婚することが決まりましたので」

「「は?」」


 思わず二匹の声が重なってしまった。

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