第12話 富沢鶴子

 そんなことはどうでも良く、小生は声を荒げた。


「おい、待て。何の冗談だ」


 しかし、鶴子はまるで聞こえていないように飄々と自分の話を繰り出した。


「もう一つ、もう一つと続けてきて申し訳ありませんが、最後にあなた達に聞いてもよろしいですか? その後に詳細をお話しします」

「まどろっこしいやり方はやめて、さっさっと言いたいを言え」

「夏月海潮さんが里佳様に、まあ、その逆もあったとしてお二人は切っ掛けさえあればお付き合いをするとは思いますか?」

「ああ、どっちかが好きだと伝えりゃ、手放しでくっ付くさ」

「雁ノ丞。あなたも同じ見方ですか?」


 鶴子に再び戻った厳格、かつ意味の分からない雰囲気に飲まれてしまい、雁ノ丞は返事が出来ない。


「そうなったお二人を応援する?」

「当たり前だろう」

「…そりゃあ、応援するさ」

「それは青鹿さんと荒井欅さんも同じでしょうか」


 小生は力強く頷いた。


「青鹿はまだ海潮に会ったことがないが、一目で気に入るだろう。欅だってだって無関心を装っちゃいるが、応援してるさ」

「となると青鹿さんは別として、やはり欅さんにもお越し頂いた方が良いかも知れませんね…」


 フッと力を抜くように息を吐いた。その落ち着きが小生の怒りと得も言われぬ焦りに火をつけた。


 喉を唸らせ、結論を焦らす鶴子を睨んだ。


「話は終わりってことで良いのか? だったら、姫が結婚するとかいう話の詳細を聞かせてもらおうか」

「言葉通りの意味です。里佳様は八月七日にご結納される予定です。より正確に言えば、神婚しんこんですが」


 一瞬、何を言っているのかが分からなかった。刹那的に何度もその言葉を反芻し、結局は鸚鵡返しに返すだけが精一杯だった。


「神婚だと!」

「てことは、相手は…」

山王蔵ノ主さんのうくらのぬし様です」

「このご時世に人身御供かよ」


 小生は全てを理解して、吐き捨てるように言い放った。


「誤解を招くような言い方はやめなさい。里佳様は亡くなる訳ではありません」

「似たようなもんだろうが。神婚をすれば現世には余程特別な理由がなければ顕現できなくなる。人とも化獣とも関わりがなくなるなんて、残されたこっちの身になってみりゃ死んでるのと同じだろう」

「神界はそれも含めたとしても余りあるほどの高貴な場所です。それに知っているでしょう。これは風梨家の為でもあるのです」

「神婚の見返りは知っている。けれど、それだって即物的なものじゃなし、そもそもご当主様が悪いってことじゃないか!」


 雁ノ丞はガラにもなく、鶴子に歯向かう様に言い切った。


「とんだ馬鹿が跡目を継いで嫌な噂ばかりだったが、やっぱりそうなのか」


 ◇


『お役目』が代わるのは当主が亡くなった場合のみである。


 だから大抵の場合は、次の交代までには数十年の年月を要する。前回の交代があったのは、今から十一年前になる。だから、ほでなすの会の面々の中では、小生と青鹿が自分の一族が『お役目』を担った時期がない。欅としても物心がついて直ぐに富沢家に役目が移ったため、覚えていない事の方が多いだろう。


 そうなると基本的には富沢家と各家の重役を除けば、噂でしか風梨家の実態を知ることはできない。最近では他の狐狸貂猫同士が慣れ合う事を良しとしないと考える連中が多く、そうした考えが拍車を掛けている。


 けれども小生たちは雁ノ丞からかなり正確な情報を聞くことが出来ていた。そして耳に入って来る現当主にまつわる噂はとんでもなく酷いモノだった。経営の才は無く人情味も薄い、その上金使いも荒いという禄でもない話しか聞いたことがない。姫の父親と言うのも信じられない事実である。


 恐らくはそんなロクデナシの経営手腕のせいで、取り返しのつかない様な損失をたたき出したに違いない。それは風梨家が傾き、『神婚』に頼るほかない程の大きな失敗なのだろう。


『神婚』という儀式には、人間の抱える大抵の問題などはいとも容易く覆すことのできるような、偉大な力と意味合いを持つ。


 ◇


「当主様への侮辱は目を瞑ります。しかし、それ以上は聞き逃しません」


 鶴子の事は苦手である。しかしながら好感を持てることだってある。


 姫の事を第一に考えている、という鶴子の信条だ。


 年の近い鶴子と雁ノ丞の姉弟は、幼い頃から姫の遊び相手兼、お目付け役として傍にいた。表に出しこそはしないが、鶴子の姫に対する思いは小生のそれと同じだと思っている。だからこそである。


「なあ、海潮はともかくとして、あんな事を聞いてくるってことは姫の気持ちも多少感づいてるんだろう? なんで姫の気持ちを分かろうとしないんだよ?」


 小生の言葉に鶴子は、怒っているとも、怒っていないとも取れる極めて不思議な目線を向けた。


「あなたこそ、神婚を受け入れられた里佳様のお気持ちが察せませんか。家があっての自分です。何故、家の為になろうとする里佳様のお気持ちが分からないのです?」


 その言葉には腹も立たず、いつも感じるような苦手意識も芽生えなかった。


 普段の鉄仮面の装いではない。まるで何かを妄信しているような気味の悪い程、凪いだ口ぶりだった。正気のままに正気を失っている。こいつは最早、話にならない。


 そう感づいた小生は、すぐさま立ち上がった。


「萩太郎、どうする気?」

「海潮に会いに行く。会ってこの事を伝える」

「伝えてどうするつもり?」

「それを聞いて潔く諦めるというのなら良し、そうでないのなら姫に告白でもさせる。神婚の掟は知ってんだろう?」

「そうか。既に結婚している女は認められない…けど、後三日しかない中で結婚は流石に……」


 雁ノ丞はその掟については半分しか理解していないようだったので、付け加えて小生の目的も教えてやった。


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