第10話 おひらき

「ど、どうした?」

「萩太郎、雁ノ丞。お客さんだよ」


 名前を呼ばれ、小生と雁ノ丞は参道の先を見た。何故、言われるまで気が付かなかったのだろうか。


 そこには、まるで等身大の市松人形が動き出した様な女が立っていた。夏らしく涼しげな、それでいて彩の豊かな薄物の着物を着ている。しかし、胸を超さんばかりに伸びた黒髪はそのまま垂れているので、今日の日の暑さを思うと少しばかり暑苦しい。


 そして傍らには、夏休みの女子小学生にも見える三人組の女の子が固まっていた。Tシャツ、キャミソール、ワンピースと三者三様の格好だが市松人形に比べれば大分涼しげである。


「牡丹、香菊、それに紅葉も?」

「つ、鶴子姉さん」


 小生と雁ノ丞は、それぞれの自分が目当てであろう相手に呼びかけた。


 三人組の女の子は貂族の間では、そこそこ有名な三姉妹である。男勝りな性格で三匹揃ってあちこち遊び歩いては、全身に生傷や青痣を作って帰って来る。そのやんちゃな風貌に三姉妹の名前も相まって、貂族の者は彼女らを『青タン三姉妹』と呼ぶ。そして何を隠そう、三匹とも小生の実妹である。


 対する市松人形の正体は富沢鶴子という名の狸であり、こちらは雁ノ丞の実姉にあたる。小生らの世代の中において我が物顔をして大将面を決め込んでいる。近頃の狐狸貂猫の面白みの無さを体現したような女狸と言える。そして何を隠そう、小生が狐狸貂猫の中で最も苦手とする化獣だ。寧ろコイツが苦手でない化獣というのが居るのだろうか。少なくとも小生の身近な間柄の中にはいない。


「お楽しみのところ申し訳ありませんが、そこの愚弟を借りて行きます」

「え? いや、でも」


 雁ノ丞の微かな抵抗も空しく、御社の裏へと消えて行った。あの男が鶴子に逆らうなど土台無理な話である。意外も意外な来訪者たちに混乱していた小生は、狸姉弟が見えなくなったところでハッとして、久方ぶりに会った愛妹たちに話しかけた。


「で、妹たちよ。お前らはどうした?」


 妹たちは愛くるしく、小生の服のあちこちを掴んできた。普通の貂族は小生とは違い単体では化けることが出来ない。その為、気の知れた親族や仲間と二匹以上で集まって行動するのが常とする。


「今日、穴蔵神社でほでなすの会があるって聞いたから、お兄ちゃんに会いに来たんだ。そしたら、途中で鶴子姉ちゃんに会って連れてきてもらったの」


 ほほう。嬉しい事を言ってくれる。けれども、あと何年かすれば小生の事もゴミを見るのと同じような目で見てくるのであろうと考えると悲しくなる。因みにこの統計の検証者は欅である。彼女は実兄に対して冷たいという言葉が暖かく感じるほどの態度をとる。


 そして意外なところに鶴子を苦手にしない奴らがいたものだ。灯台下暗しである――などと馬鹿馬鹿しい事を考えていたら、ガツンと殴られるような事を言われた。


「トトもカカも心配してるんだよ」

「あれっきり一度も帰ってこないんだもん」

「帰ってきてよ、兄ちゃん」


 昨日の海潮の部屋で言われたときと同じく、声も出ず、動くことも出来なかった。


「ま、帰り辛いわよね。頑固…この場合は意地っ張りかしら」


 普段であれば腹が立つような物言いも、この時ばかりは有難かった。その言葉にであれば、小生は答えることが出来る。


 だから欅に向かって痩せ我慢で呟いた「うるせえ」と言う捨て台詞には感謝の気持ちを込めておいた。


「簡単なことと思ってるかも知れねえが、他所の目に簡単に見えるモノほど複雑なんだよ」


 また言い詰まる前に、捲し立てるように言った。


「お兄ちゃん、もうすぐ七夕だよ」

「今年はいつもとは違うからって、みんな大忙しなんだ」

「いつもと違う? 『お役目』が変わるってことか」


 狐狸貂猫界から身を一つ引いているつもりでも、流石に『お役目』が変わるというのなら嫌でも耳に入るはずである。小生は欅と青鹿を見た。しかし両名も初耳と言う顔をしていた。


「『お役目』くらいで躍起になっても仕方ないのに」

「それは聞き捨てなりませんよ、荒井欅さん」


 いつの間にか戻ってきていた鶴子は耳敏く口を挟んできた。


「『お役目』を軽んじるような言い方は許しません」

「偉そうに」


 欅はキッと、只でさえ鋭い目つきを研いだ。


「ほでなすの会だか何だか知りませんが、お家の事を蔑ろに生きているあなた達には分からないでしょう」

「喧嘩売ってんの?」


 妹たちが張り詰めた空気に耐えきれず、小生の後ろに隠れた。


 雁ノ丞と違い、鶴子と欅は誰しもが思い描くような狐と狸の間柄なのだ。犬猿であってももう少しは仲良くしそうなものである。女同士というのもあって、正直小生も何処かに隠れたいほどに険悪な気配であった。


「どのように取って頂いても構いませんよ。名誉のメの字も知らないような方には耳が痛いのでしょうけれど」

「は?あんた、暑さで頭湧いてんの? 『お役目』ってのは回り持ちってのが昔からの決まりでしょう。名誉も何も、時期が来たから荒井から富沢に移った。それ以上も以下もないわよ」

「あなたが如何にお家に関わっていないのか。今の言葉が全てですね。順番があるとは言え、優劣は付くものです。だから因果応報であなたの代には大役が回ってこなかったのでしょう」

「上等よ。あんなもん、時期が来れば狐狸貂猫の順に家を巡っているだけじゃない。実力で勝ち取ったような面してるけど、結局次は八木山家に移って終わりよ」

「言わせておけば」


 夏の暑さがさらに増した様な気がした。狐は牙を光らせ、狸は眼光を鋭くしている。仲裁に入ろうと考えるだけで害を被りそうであったが、まるで何ともないように猫が間に入って行った。


「はいはい、そこまで」

「青鹿…」

「罵り誹り、殴り蹴りなんてのは狐狸貂猫の恥だよ。化獣なら化かし合いでケリをつけなきゃねぇ」


 割って入った青鹿の顔を見ると、みるみる内に二匹の顔から怒気と覇気が霧消していった。青鹿は昔から、こうやって場を平らにするのが上手い。小生が日頃から彼を尊敬しているところの一つだ。


 普段の冷たさを取り戻した鶴子は、コホンと一つ咳を出して落ち着いた。


 一方欅は、寄らば斬るいう気配を惜しみなく出してそっぽを向く。


「そうですね。最近の多忙さと暑さで気が立っておりました。折角の会を台無しにしてしまって申し訳ないのだけれど、弟と八木山萩太郎に御用があります。当家へいらして頂けますか?」

「は? 俺も?」

「行っておいでな。またいつでも集まれる。片付けはオイラ達でやってるさ」

「本音を言ってしまえば、欅さんにもご足労を願いたいのですが…無理でしょうね」


 欅は無視を返事とした。


 何故かここでも省かれる形となった青鹿は、


「また仲間はずれか」と小さく漏らした。


 小生としては断るところもなく、突如の申し出に好奇心が勝ってしまった。そして、心痛だが妹たちからも逃げられる格好の理由にもなった。


「青鹿、欅」

「大丈夫よ。おチビちゃん達は私が家まで送ってくわ」

「助かる」


 青タン姉妹たちの、それぞれの頭を撫でてやる。残念そうな顔をしていたが、何か言われることはなかった。小生は狸姉弟の後ろについて穴蔵神社を後にした。


  ◇


 小生らがいなくなると、欅が青鹿の顔も見ずに言った。


「ありがとね、青鹿」

「ん? 何が?」

「仲裁」

「ふふふ。オイラは狐狸貂猫界で中立している、今の立ち位置が好きなだけだよぉ」


 青鹿は口直しとばかりに酒を差し出したが、欅はそれを断った。


 つまみの袋の中から適当な菓子を出すと、欅は青タン三姉妹に手渡す。青タン共は遠慮することなく、美味しそうにそれを抓んだ。


 欅はそれを微笑ましく見ていたが、やがて取り出した煙草に指先で狐火を付けたのを前振りに言い出す。


「富沢家だけとは言わないけど、何でみんなして張り詰めているのかしら」

「仕方ないさ。もう間もなく七夕だしね」

「それにしたって、余裕がなくなってるのよね。七夕って楽しいお祭りだと思ってたんだけど」

「欅の気持ちは分かるよ。オイラもお家だ、名誉だってのが煩わしくて瘋癲をやってるんだ。けどまあ、家を重んじたい気持ちが分からない訳じゃないだろう?」

「面白おかしくやってこその狐狸貂猫でしょうに。真面目に化けるなんて、阿保くさい。それこそ『化け術指南書』に書いてあるその通りになってるじゃない」

「化獣同士の化かし合い、傍目に見ればバカ者同士のバカ試合いってね」


 青鹿はため息で結んだ。


「どっちがほでなすか分からないわね」


 欅は青タン三姉妹を見て、


「さあ、送っていくわ」と、優しく告げた。


 青鹿は捨てる「ゴミを減らしてから行くよ」と言って、穴蔵神社に残って皆を見送った。

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