第9話 ほでなすの会・3

「何だか懐かしいや」


 辛気臭い顔が一番似合わない男である雁ノ丞が事もなげに言う。


「けど、やっぱりこれが一番大事だよね」

「俺は正しく指南書の通りになってる気がするよ」


 小生は雁ノ丞が持ってきたワンカップを開けた。


「今の狐狸貂猫そのもんが、いきなり化かすにいい相手だっちゃ」


 再び小生たちを沈黙が襲った。


 欅は、ばつが悪そうに、


「何さ」と、他の三匹を睨みつけ威嚇した。


 けれども、小生は気まずくて口を閉じたのではない。欅の言葉が素直に胃の腑に落ちてしまい、二の句がつげなかったのだ。目から鱗が落ちるとは、正にこの事だと感心した。


「いや、御尤もだと思ってな」

「僕も同じく」

「それのが、狐狸貂猫らしいと思うけどねぇ」


 思うことがあったようで青鹿はすっと、自前のマタタビ酒のグラスを前へ差し出した。そして各々が持っていた酒を青鹿のグラスにぶつけた。


「で、萩太郎はまだ海潮のところでゴロゴロしてんの?」


 狐はいきなり話題を変えてきた。しかも小生にとっては極めて不名誉な物言いである。


「誤解を招くような言い方すんな。時々、顔を出してるくらいだよ」

「時々ってどのくらいよ?」

「まあ週で五、六は…」


 指折り数えてみると意外に多かった。食事や寝床目当てであったり、用事もなくふらり立ち寄ることは、大分身に覚えがある。


「最早、居候だね」

「ったく」


 狸に笑われ、狐に叱責された。


 小生はたまらず、反論する。


「いいだろ別に。何で急にそんな話になったんだよ」

「いや、あんたが居ないようだったら、またしばらく上がり込もうかと」


 狐は自分の事は棚に上げ、盗人猛々しい事を言い出す。しかも既に酔いが覚めだしている。いっそのこと飲まなくてもいいだろうと思うほど、欅は酔いが覚めるのも早い。最早、手に酒器を持てば酔い、離せば覚めると言っても過言ではないくらい酔いの緩急の差が凄まじい。


「人の事をどうこう言える企みじゃないだろ」

「いいじゃない、私だって久々に家出したいのよ」


 つん、と澄ましたままに欅は魚肉ソーセージを齧っていた。


 欅の気持ちはよく分かる。分かるがよくよく考えれば、小生が非難される謂れはない。海潮を紹介したのは他ならぬ小生であるし、元を辿っていけばそれこそ命を賭した出会いであったのだから。


 だから牽制を込めて意地悪を言う。


「海潮なら本を買うのを手伝うといえば喜んで歓迎するだろ」


 途端に欅は顔をしかめ、舌打ちを一つ飛ばしてきた。


 欅は「本」と聞くだけで機嫌を損なう嫌書家なのだ。海潮の部屋は気に入っているが、本が大量にあるのは頂けない。どうやら活字印刷のインクの匂いがダメらしい。いつだったか、本は全部墨で書けばいいとぼやいていたのを思い出した。


「えーと、夏月海潮さんって言ったっけ? 雁ノ丞もあったことあるだろう」

「うん。何回かご飯をご馳走になったりもしたよ」

「そうかぁ。じゃあこの中であったことないのはオイラだけなのか」


 青鹿はそんな事を呟いた。が、別に仲間はずれを喰らってしょげている様子は皆無である。


 狐と同じくこちらの猫も虎視眈々と、小生のオアシスを狙っているのでは…。と深読みに勘繰って、一応の予防線を張った。


「別に会わなければならないような奴じゃない」

「そうそう」


 狐も相槌を打ったが、狸が余計な事を続けた。


「けど、青鹿と海潮さんのテンポって互いに合いそうじゃない?」

「ま、どっちも極力動かないでいるのが好きそうよね。頑張らないように頑張るみたいな、分かるような分からない事を言い出しそうだし。案外、お似合いかも知れないわね」

「ほうほう。そいつは一度会ってみたいねえ」


 欅の分かるような分からない説明に、どういう訳か青鹿は興味が湧いたようだった。


「今度、皆で押し掛けてみる?」

「あはは。面白そうだね。僕は良いと思うよ?」

「なら明日とかはどうかなぁ?」

「明日は駄目だな」


 ポテトチップスの油分で潤った小生の口は、つるんと真実を語る。


「ん~? どうしてだい?」

「今日からサークルの旅行に行くのよ」

「あ、そうか。海潮さん四年生だから卒業旅行かな」


 狐も狸も、当然ながら姫を知っている。そして海潮と面識があるという事はその先は言わずもがなである。名誉のために言っておくが、小生がバラしたのではない。あの二人が分かり易すぎるだけである。


 恐らく今、狐狸貂の中に芽生えている胸中の想いは共通している事であろう。只一匹、蚊帳の外にいた猫が不思議に尋ねてきた。


「ん~? その人は姫さんとも繋がってるのかい?」

「繋がってるどころの騒ぎじゃない」

「お姫様はね、海潮に惚れているのよ。その上、海潮もお姫様にホの字なんだけど…」

「絵に描いたように行き違ってるよね、あの二人は」

「へえ、互いに好き合ってるのか」


 その会話で青鹿は何か思い出した様だった。そして「そう言えばね」と前振りをして徐に語り出した。


「さっき萩太郎に言おうとして忘れてた事があるんだけどね。そうするとあの話は本当なのかなぁ」

「何々? 何の話?」


 小生は失くしていた興味を取り戻し、他の面々は青鹿の口ぶりに面白そうな雰囲気を見出した。


「みんなは姫さんの噂は聞いてない? まだ出回ってないのかな。実はさ、」


 小生は耳をそばたてたが、またしても青鹿から続きを聞けなかった。それどころか、突然立ち上がって鳥居の先を見つめている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る