第3話 貂とカボチャの逢引
その後しばらくして、空模様は海潮の顔と同じように曇って行った。幸いにして雨は降らなかったので、小生としては日差しが弱まってくれただけで万々歳だった。
気落ちはしていたがその手の本に対しては手抜きしない程の愛書家であるため、本来の目的は恙なく達していた。
けれども小生は結局、借りた買ったを合わせて、脇に十六冊の本の束を抱えていた。荷物持ちは少々癪ではあったが、約束通り一食を奢って貰ったので、その恩義としておいた。
毎週々々、海潮はこのようなペースで本を手に入れるのだが、この男は速読が出来るらしく持て余すことは滅多にない。また必要な事を書き起こすと、別に売り払う事も厭わないそうなので、買う本がそのまま売る本になってしまう。とはいっても元値で売れる訳ではないから、補填をしなければならない。海潮が南瓜ばかり食うのは、単に好物と言うだけでなく本を買う為に節約しているのだ。
そして、このおっちょこちょいは自分の興味のあることにしか興味がなく本自体には無頓着という阿呆だ。早い話が表紙ではなく内容を見て買うので売り払ったのと同じ本をまた買ってしまう事がある間抜けなのである。
遅い昼食か早めの夕食かは分からないが、それは「北京餃子」で食べることとなった。「北京餃子」とは、広瀬通りの地下に在する学都仙台が誇る定食屋である。苦学生の為と言って過言ではない程、値段に対しての量が凄まじい。当然味も良いというのは言わずもがなである。
先に言った通りの時間だったので、客はまばらだった。
海潮は適当に野菜炒め定食を頼み、小生は遠慮なく一キロ炒飯を注文した。
「邪魔者有りきとはいえ、風梨さんと出かけられるチャンスだったのになあ…」
粗方食い終わると、ぼそりとそんな事を呟いた。
「その邪魔者ってのは、俺の事じゃないだろうな」
「他に誰がいるんだよ」
「分かってないね。わざわざカササギの役を買って出てやったのに」
「お前がか」
カササギとは七夕伝説に登場する鳥の名である。
天帝の許しを得た彦星と織姫が年に一度だけ相見える時、どこからともなくやってきては、その二人を隔てる天の川に身を挺して橋を架ける役目を担う。
「そうだよ。ちょいとした合間に悪態をつける俺がいなかったら、どうなっていたと思う?」
「それは、まあ」
「終始どもって会話にもならない会話をした挙句、緊張で固まって残りの時間は無言のデートだろう」
「そんな事は…ない…とは強くは言えないが」
その様が自身でも容易に想像できたのか、言葉尻はどんどん小さくなっていった。尤もカササギは日本在来の生物ではないという説もあるので、本邦でのご利益のほどはよく分からないが。
「さっさと告白しちまえばいいじゃないか」
小生は、頭の中身をそのまま口から出す。
「簡単に言ってくれるな。どうせフられるのがオチだよ」
「そんな事はないと思うけどな。姫は脈ありだよ、きっと」
二人の胸の内は黙っている。嘘はない。
しかし背中を押したり、発破をかけたり止めを刺したりしないという約束はしていない。
正直な話、小生は二人の仲を応援しているつもりだ。海潮を焚き付けるのはこれが初めてではないし、姫だって海潮に劣らぬくらいのことを言っている。
だが、こちらの親心など露知らず海潮はため息を一つ零した。
「そうだったらいいなと思ってばかりさ。俺じゃあきっと駄目だ」
あまりにもいつも通りの言葉だったので、小生も負けじとため息が出た。
「…何でそう思うんだよ」
「そりゃあお前、見た目とか趣味とかファッションとか、全部駄目だし」
「駄目だと思ってる奴をデートには誘わんだろう、普通」
「俺だって、そんな下心が無い訳じゃないけど…風梨さんは優しいからなあ」
白昼に淡い夢を見たせいか、普段のそれ以上に手応えがなかった。禅問答のような苦行を延々と続ける気もないので、今日のところは大人しく引き下がることにした。
「それじゃあ、ご馳走様」
「どこに行く?」
うな垂れたその様子からは想像できないほど俊敏に腕をつかまれた。
「飯もご馳走になったし、帰ろうかなと」
「まあそう言うわず、もう少し付き合えよ」
◇
「重い」
小生は本日三度目となる、竜雲院前の通りを歩いていた。両手には愚痴の一つも零したくなるほどの荷物を持っている。
子平町の街並みは少々古めかしく、特に海潮のアパートの周囲は件の寺院を含め寺が多い。なので、当然ながら墓地もそれ準じて至る所で目に付く。ようやく日が傾いた薄暮の陽光とこの辺りの風景とが折り重なって、今の情景は逢魔ヶ時と呼ぶに相応しいものとなっている。
「もう少しだ。頑張れ」
やっとの思いで海潮のアパートに辿り着く。この部屋で一食奢るという甘言に唆された数時間前の自分を恨む。
「ったく。何が楽しいんだ、こんな本」
「粗野に扱うなよ」
それは心得ている。
本に関して怒る海潮は本当に怖い事は過去に一度体験済みだ。その癖、小生の想像する愛書家のように蔵書することは稀なのが面白い。
「祭りやら伝統やら、神仏精霊と、よくも飽きないねえ」
「日本の芸事ってのは、そういう所が起源で出来てきたんだよ。大体その似た様なものだろう? 妖怪本人が何言ってる」
持ってきてくれた労いの麦茶を遠慮なく頂く。
「妖怪なのに本人ってのは奇妙だな」
そう言うと海潮と共に笑いあった。
小生はそれから暫くのんびりを決め込んでいたが、海潮は部屋着用の浴衣に着替え終わると、のそのそと本の仕分けをしたり売るための本を縛ったりしていた。読み終わった本は、ある程度まとめて売った方が僅かだが高値で買い取ってくれると知ってからはそのようにしている。更に類は友を呼ぶと言うか、物は欲する人を知るというか、周りの人間がいらない本を海潮に無料で譲ることも多いのでその分別もしている。そちらも手伝えと言わずほっとしていた。
「よし。一先ずこのくらいでいいか。続きは明日やろう」
「何でこっちを見るんだよ。明日は来ないからな」
「ああ、来なくていい。今日は泊まっていくだろ?」
そういって一升瓶を出してきた。
少々迷ったが、小生は返事とばかりに用意されていた猪口を手に取った。
まだ知り合って一年足らずの仲ではあるが、小生は海潮と濃い付き合いをしている。という事はつまり、海潮も小生と濃い付き合いとしているという事だった。
それからしばらくは他愛もない話と、「南瓜種素揚げなんきんたねすあげ」をつまみに酒を飲み交わした。
この「南瓜種素揚げ」とは読んで字の如く、南瓜の種を天日に干して、中身の仁を取り出して素揚げにしたものだ。軽く塩を振って食べるのだが、これが美味い。南瓜男ならではのアイデア料理だとしみじみ思う。
不意に窓から入る夜風の涼しいのに気がついた。
「夜になると涼しいな。墓場の隣だからかな」
ガラリと網戸を開けると、その向こうには竜雲院の墓場が見えた。
「関係あるのか?」
「そりゃあ陰気の代表みたいな場所だし、見た目が涼しいし、墓石は冷たいから上で寝るには丁度いいし、お供え物があるから食うには困らないし言う事ないな」
「罰当たりや奴だな」
勝手に褒められたことにして、
「へへへ」と笑っておいた。
酒で火照っていた体が急に冷えたもので、一つくしゃみが出た。その時にふと、海潮の読んでいた本が目に入った。
「『仙台の祭り』ねぇ。そう言えばそろそろ七夕の時期か」
「そうだな。買い物に行った時もそんな雰囲気があったしな」
確かに昼間、仙台の街中へ買い物に行った際も至る店でミニチュアの七夕飾りを店内にぶら下げており、アーケードは七夕を待ち遠しにしている様であった。
「…七夕か」
七夕と言う言葉に小生には僅かながら思うところがあり、ついボソリと呟いてしまった。
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