第4話 酔狂
「どうかしたのか?」
「いや、何でもねえ」
海潮は不思議に思ったようだが、特に何を言うでもなく、酒で飲みこんでいた。
「他に食うものないのかよ」
「南瓜しかないよ。知ってんだろ」
「この前食べたバター溶かしたやつないの? アレが美味い」
「はいはい」
何だかんだで面倒見が良い所が、やはり良い奴だと思う。
台所へ料理を取りに行っている隙に、ささやかなお礼のつもりで海潮の想い人の瓜二つに化けてやった。 昼間は小生が見ていても若干可哀相であったし、偽物とは言え共に酒を飲むくらいの役得があっても良かろう――と言うのが建前で、本当はただ単に驚かしてやりたいと思ったまでだ。
「こんばんは」
「どわっ?!」
海潮は尻餅をつくほど驚いたが、皿を落とさなかったのは偉い。その代わり浴衣の裾が割れて、別段見たくもないモノが丸出しだった。
「何てね」
声だけ自前のそれに戻し、軽いネタ晴らしをした。
「心臓に悪い」
「せめて雰囲気だけでも、姫と呑んでいる風にしてやろうと思ったんだけどな」
「余計な気を回すなよ」
「だったら、戻った方がいいかな?」
姫の声に再び戻して、昼間見ていた微笑みを完全に模写して見せる。
「…酔ったついでだ、そのまんまでいいよ」
「ししし」
小生は笑った。
姫の姿で酒を飲んでいると一つ思い出した。
姫の器量気立てが良いのは認めるが、そのせいか自前の趣味が当人に似合っていないものが多い。
バイクも小さいモノならまだいいが、体躯が華奢なので、今乗っている単車などは見るからにミスマッチだ。そして、それは酒にも同じことが言える。
姫はあれで一般的なカクテルのような甘い酒を好まない。専ら飲むのはスピリッツである。あの見た目ならそれこそ酒が飲めないと言った方が、好感度が上がりそうなものが、そんな言葉で止まる酒飲みなど居やしない。
姫が秘密にしておいてと言われた恋の事情も、ひょんな事で飲みに付き合った際、酔いに任せてポロリと漏らしたのを黙っていてくれと言ったのが始まりだ。
そしてこの眼前の男も、泥酔した挙句に小生に恋心をぶちまけてきたのだ。尤もこの男のソレは言われるまでもなく察していたのだが。
そう考えると、改めて似た者同士でお似合いな二人だと個人的には思う。
すると海潮はこちらの胸中など毛ほども知らず、暢気なままに、
「酒が回ってるってのもあるが、本物そっくりだな」などと言ってきた。
「当たり前だ。俺の化け術は狐狸貂猫の中でも随一だからな」
「みんなこんな器用に化けられるものなのか」
小生にしてみれば待ち待ったような質問だったので、姫の姿であるのも忘れて思わず立ち上がった。
「よくぞ聞いてくれた! 化ける獣は数あれど、その際たる四獣の中でも一番の化け方と言われているのが、この俺だ」
少々足元がふら付き、小生も大分酔いが回ってきているなと自覚する。
「狐と狸と猫と、鼬だっけか?」
「貂だよ、貂。二度と間違えるな」
「悪い悪い」
悪びれる様子は皆無なのはニヤケ顔で分かった。海潮は酔いが回ると微妙に嗜虐的になるきらいがある。しかし、本人の性質からすると小生に対してだけのものかも知れない。
「よし折角だ。酒の肴に俺がどれだけ優れた貂であるか説明してやろう」
「おお、いいねえ」
「まず、知っておいてほしいのは、狐狸貂猫にもそれぞれ、得手不得手があるんだよ」
「得手不得手?」
「そう。狐は無機物や物に化けるのが得意、狸は動植物、猫は自分が化けるよりも幻覚を使って周りの風景毎化かすのが得意って具合だな」
「ふうん。動物によって出来ることが違うんだな、知らなかった」
癖は抜けないのか、海潮は興味深そうにノートにメモを取っていた。
「ま、系統として得意ってことだな。別に狐が他の動植物に化けられないって訳じゃない。他もまた然りだ。実際に年季の入った年寄りなんかは全部上手い奴もいるし」
「で、貂はどういうのが得意なんだ?」
小生は不敵に笑った。
「ふふふ。貂族は今言った全ての化け術が使える。得手不得手なんてものはあってないようなもんさ」
「なんだそりゃ。チートかよ」
「『狐七化け、狸の八化け、貂の九化けあな恐ろしや』って言葉を知らんのかいな」
「聞いたことない」
「要するに、貂族は狐や狸より化けるのが上手いんだよ」
「へえ。すごいな弱点なしか」
「いや。それがそうでもない」
海潮は首を傾げた。
「貂族にも致命的な弱点が一つある」
「それは何だい? あ、人間には教えられんか」
「いや、構わないよ」
「軽いなぁ」
「今時の人間なんて、そもそも獣が化けるという事を信じてすらいないじゃないか」
これは現代の化獣社会で少々問題視されている事実である。それが化けやすいと喜ぶ連中もいるし、取り合ってもらえないから化かし甲斐がないと文句を言う輩もいる。
「まあそうだが。で、弱点てのは?」
「そいつは単純明快。貂は一匹だけじゃ化けられない」
「一匹だけで化けられない?」
またしてもよく分からないという風に首を傾げてきた。
「そう。最低でも二匹が一緒になって化け術を使わないといけない。その変わり、他の化獣が出来ることは大抵こなせる」
「ほほう。面白い話だな……でもお前は一匹だけで化けてるじゃないか」
多少呂律が回っていなくても、頭はまだ回る様だ。良い所に気が付く。
「ふふふ。そこが俺の天才たる所以さ」
小生はここぞとばかりに見得を切った。姫の格好のままなのは、既に忘れていた。
「他の貂と違って、俺は誰の助けもいらずに一匹だけで化け術が使える。勿論、得手不得手なんてのはない」
「ほほう。すごいじゃないか」
「ようやく分かったか」
そう言うと、海潮はまたしても嗜虐的に笑みを浮かべた。
「くくく。俺がすごいと言ったのは、そんな天才を撥ねた車の運転手のことだよ」
「…くそ、もう忘れろよ」
ここに来て揶揄われるとは思っていなかったので、小生は苦虫を噛み潰した様な顔をした。
海潮と小生との出会いは今思い出しても甚だ不愉快だ。
小生は、ひょんな事から一匹だけでこの界隈をうろついていた時に、つい油断して自動車に撥ねられた。その時に小生を助け、わざわざ動物病院にまで連れて行ってくれた上、その後も小生を引き取って介抱してくれたのが海潮だったのだ。
「あんな衝撃的な出合い方を忘れる訳がないだろう。尤も、お前を連れ帰った後の方が驚いたけど。何であの時人に化けたんだ?」
何故で引き取られてきた後、海潮の部屋で人間に化けたのか。
正直自分でもよく覚えてはいない。
「さあね、悪戯心が芽生えたんだろう」
「適当な奴だな」
言うと、海潮は大欠伸をした。時計を見れば、いつの間にか日を跨いでいる。
「そろそろ寝るか」
「だな」
諸々を手際よく片付けると、海潮は布団を敷いた。この姿のまま添い寝してやろうかと提案したら、拳骨で殴られた。
小生は寝床用にクッションを一つ拝借した。元の貂の姿に戻れば、これ一枚で事足りる。
部屋の電気が消え、今の時分に相応しい静けさとなった。海潮の寝息が聞こえるのが先か、小生が寝息を届けるのが先か――と思っていたら海潮が言の葉を送ってきた。
「なあ…」
「…何だよ」
「家族の所には帰らないのか?」
「…」
「ま、帰り辛いよな」
「…」
返事をしないのか、それともできないのかが分からなかった。
「寝たのか?」
「ああ、寝てる」
「じゃあ仕方ないか。俺も寝よう」
海潮はすぐに眠ってしまった。
小生は最後の最後で思い出したくないことを思い出し、すっかり目が冴えてしまった。何度か寝相を変えてみたが駄目だった。仕方なくこっそりとクッションを台所に移し、もう一杯だけ寝酒を呷ることにした。
それが利いたのかどうか、小生はようやく眠りにつくことが出来た。けれども、どうしてか姫と昔に交わした約束の時の事が頭をちらついた。ひょっとしたら、隣の部屋で鼾をかいている海潮に対して口を噤んでいる秘密がある罪悪感が、自分でも気づかない程に小さく芽生えていたのかもしれない。
別に隠しておくほど仰々しいことではないのだから、その胸の想いと一緒に告白してしまえばいいのだ。
◆
その日、小生は夢を見た。
いや、見せられたのかも知れない。
誰にと問われれば答えるのが難しいが、強いて言うならば小生のご先祖様になるのだろうか。
それは遠い昔の狐狸貂猫の事、そしてどうしてか姫が周囲の人間に秘密にしている風梨家の昔話であった。
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