第19話 彼の秘密

 理人に連れられて、病棟の中層階にあるラウンジに来た。ラウンジと言ってもセルフのドリンクスタンドとテーブルや椅子があるだけで、3人の他に人はいない。

 

「こんな場所があったんですね」

 

 陸はラウンジを見渡す。消灯後なので空調は既に電源を切られており、空気が止まっているように蒸し暑い。照明も転々としか灯っていないが、病室ほど暗くはなかった。

 

 理人がガラス張りの窓を少し開けると、夏の夜風が窓の隙間から入ってきて、空気の対流が肌をかすかに撫でた。理人はそのまま窓の外を見ている。

 

「なんだよ、話って」

 

 たすきが、理人の背中に話しかけた。

 

「……2人に、言っていないことがある」

 

 落ち着いた声でそう切り出した理人は、ゆっくりと振り返った。

 

「俺が10年前から来たというのは、嘘だ。未来の自分への細胞提供だというのも作り話だ」


 陸も襷も狐につままれたような顔になる。

 

「えっ」

「……どういうことですか?」

 

 後ろの窓からさあっと風が入ってきて、理人の淡いグリーンの患者衣をはためかせた。

 

「院長に迷惑を掛けたくないと思って黙っていたけれど……俺は、この時代の人間なんだ。タイムスリップしていないし、そもそもドナーですらない」


 薄暗い上に、前髪に隠れて表情が見えにくいが、理人の顔は陸の方を向いている。視線を感じる。

 

「陸。俺は、君のレシピエントなんだ」

「えっ?!」

「なんだって……?!」

「じゃあ、理人さんが、僕を100年前から呼んだってことですか?」


 理人が頷いた。

 

「そうだ。陸には迷惑をかけて申し訳ないと思っている……。だが、俺は心臓が悪くて、もう移植でしか治らない。陸に細胞を提供してもらって、複製心臓を作り移植を受けようとしたんだ」

「そうだったんですか……」

 

 襷がハッと顔を上げた。

 

「あ、そうか! だからお前ずっと具合悪そうにしてたのか」

 

 理人がやれやれと首を振り、苦笑いする。

 

「まったく。俺の両親ですら、俺の顔色がどうかなんて気が付かなかったのに。やたらと勘のいい同室者がいて焦ったよ」

 

 そして、深く頭を下げた。

 

「襷、悪かった。体調が悪いのを隠してドナーのふりをしているのが君にバレてしまいそうで、わざとキツく当たった。嫌われれば、これ以上詮索されないと思ったんだ」


 なるほど。だから襷に対する態度が極端に厳しかったのか。  

 襷は驚きのあまり半歩後ずさりしたまま固まっていたが、観念したように小さく息を吐いた。

 

「……もういいから。頭上げろよ」


 陸が聞く。

 

「だけど、なんでドナーのふりなんてしていたんですか?」

「……確かめたいことがあったんだ」

「確かめたいこと?」

「俺の、今は亡き唯一の友人……川崎かわさきしゅうという人物の出自について調べているんだ」

「川崎 柊? 誰だ、それ」


 襷が怪訝な顔をする。

  

「順を追って説明させてくれるか。まず、ここに来た経緯だけど……実は院長――煙草谷たばこたにさんと俺の父は古い友人で、俺も小さい頃から可愛がってもらっていたんだ。今でも父親代わりというか、時々会っていて。俺の心臓が悪化していることに気付いた煙草谷さんが、俺の父に連絡を取って移植手術を勧めたんだ。だけど、俺と適合する細胞のドナーが見つからなかった。そうしたら煙草谷さんが、タイムスリップ・ドナーの呼び寄せを提案してくれて。俺の先祖の、上穂木かみほぎ りくという人物のジーンツリーカルテを持ってきた」

 

 陸がびくりと身体を反応させる。

 え、先祖って言った?

 

「陸、俺は君の玄孫やしゃごらしい」

「えっ……!」

 

 陸は驚きのあまり目を見開き、言葉を失った。

 襷が眉間に皺を寄せ、小声で呟く。

 

「え、待って。やしゃご? ってなんだっけ……」

「ひ孫のさらに一つ先。俺の祖母が陸の孫で、俺の父が陸のひ孫なんだ」

「え、嘘だろ? 陸の子孫が、理人ってこと……?」

 

 再び窓から入ってきた夜風が理人の髪を弄ぶ。髪がさらりと流れて、いつも前髪に隠れていた彼の目があらわになる。

 その眼差しは、驚くべきことに陸の母のものとそっくりだった。

 

「……!」

 

 理人が話を続ける。

 

「……ジーンツリーに載っていた陸の写真を見た時、俺は息が止まるかと思った。陸の見た目が、まるで柊そのものだったんだ。柊本人の写真を見ているようだった」


 陸がハッとして理人を見た。シュウという名前に聞き覚えがあることに気付いたからだ。

 陸の様子には気付かず、理人は話を続ける。


「柊は、おそらく生後間もなく捨てられて、施設で育った。両親が誰なのかも、本当の名前も分からない。『川崎』は彼が拾われた乳児院があった場所で、『柊』は拾われたのがクリスマスだったから付けられた名前だそうだ。本人も、自分の出自や、自分がなぜ捨てられたのかはずっと気にしていたと思う……だけど、何も分からないまま、事故で亡くなってしまった」


 やはり間違いない。

 たちばな美澄みすみが探していた「シュウ」は川崎柊だ。

 陸はその「シュウ」と見間違えられたのだから。

   

「それから俺は、自分のジーンツリーの情報を遡って調べてみた。もしかしたら、柊も陸の子孫――つまり、俺の親戚だったのではないかと思ったからだ。しかし残念ながら、柊は俺の家系や親戚のジーンツリーには載っていなかった」


 ラウンジには理人の声と、ドリンクスタンドの低く唸るような運転音だけが響く。


「しかし、ジーンツリーの情報に不自然な箇所があることに気付いた。ジーンツリーに、『申し出により、一部の人物情報を一定期間、表示保留としています』という妙な記載があるんだ」

「表示保留?」

「つまり、本来はこのジーンツリーに乗るべき人物が、一時的にそこに載っていないということだ。……陸は、他人のそら似と言って片付けてしまうには不自然なほど柊と生き写しだ。もしかしたら、柊も陸の子孫で、ジーンツリーの隠された部分に、本当は柊がいるんじゃないかと思ったんだ」

「お前の親族は? 何か事情知ってるんじゃねぇの」

「聞ける相手は聞いたさ。けどみんな知らないらしい。……それで俺は、院長に頼み込んで、センターの病室に入り込ませてもらうことにしたんだ。もしかしたら、陸に会えば何か分かるんじゃないかって」

 

 そこまでして会いに来てくれたのか。

 それなのに……

 陸はいたたまれない気持ちになった。

 

「けど僕……柊さんのこと、何も分からないです」

 

 陸は、すみません、と言って頭を下げた。

 陸に何かができたわけではないし、謝る必要はないのかもしれない。しかし、彼がここまでかけた労力を思うと、期待に応えることができず胸が苦しくなった。

 

「……そうか。まあ、そうだよな……」

 

 理人は自嘲するように笑うと、目を伏せて静かに、長く息を吐いた。

 

「陸、謝らなくていい。俺も、遠い未来の子孫のことなんて、君にはきっと分かるわけがないと、本当は分かっていた」 

「え、じゃあ……」

 

 理人は、はは、と力無く笑う。

 

「柊の代わりに彼の出自を探る。そんなのは言い訳で……本当は、ただひと目でいいから、俺がもう一度柊に会いたかっただけかもしれないな」

 

 理人が寂しいような、切ないような表情で陸に笑いかけた。その瞳に映っているのは陸だが、おそらく理人にとっては陸ではないのだろう。

 

「理人さん……」


 

 話を終えた3人は、ラウンジを後にして再び廊下を連れ立って歩く。

 先を歩く襷が頭の後ろに手を組んだまま、理人の方へ振り返る。

 

「しかし、なんで急に話す気になったんだ? 隠してたんだろ」

「まあ、隠しておくつもりだったけど……陸は優しい奴だったし。俺が冷たくしていた奴も、思ったより苦労していて……思ったよりいい奴だった。そうしたら、自分がただの酷い人間に思えてきて」

 

 理人がチラッと襷を見る。

 

「……俺も親については色々あったから。襷の気持ちは想像できなくもない」

 

 襷は歯を覗かせて笑った。

 

「ふーん、お前も苦労してるんだ。政治家の息子」

「うるさいよ」

 

 言葉とは裏腹に、理人の言い方には刺が無かった。

 理人は天を仰ぎながら盛大に溜め息をつく。

 

「あーあ。煙草谷さんに謝らないと……」

 

 隣を歩く陸が、理人の横顔に話しかける。

 

「あっ。そういえば、前に理人さんが院長室に入っていくのを見たんですけど」

「ああ……あれは心臓の治療のためだよ。移植までのただの時間稼ぎだけどね。俺があんまり病室にいられなかったのも、治療をしてたからだ」

 

 大部屋に着くと中は薄暗かった。

 自分のベッドに戻ろうとする襷を、陸が引き留める。

 

「襷。たぶん、美澄さんが会いに来たのは、川崎 柊さんだと思うんだ」

「あっ! 確かに。そうか、シュウって言ってたんだよな」 

「理人さん。橘 美澄さんって知ってますか? もしかしたら、柊さんの施設のお友達かもしれないんです」

 

 理人は「いや、知らないな」と首を振った。 

 陸は2人を交互に見ながら言う。

 

「柊さんの出自の件、まだできることはある気がするんです。僕らでできることをやってみようよ。柊さんについて、美澄さんが何か知らないか聞いてみたいんだ」

 

 陸が期待を込めた眼差しで襷を見た。つられて理人も襷を見る。

 

「……え、俺?」


 ぽかんと口を開けた襷が、自分を指差した。

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