第17話 誤解

 その日、陸がプログラムを終えて大部屋の前まで帰って来ると、

 

「だいたいお前はなんで俺に突っかかってくるんだよ!」

 

 部屋の中からたすきの怒鳴り声が聞こえた。

 陸は驚き、ドアの前で中の様子をそっと伺う。

 

「下手な詮索をしてくるなと言っているんだ!」

 

 相手は理人だ。彼も苛立った声で応酬している。

 

「ええっ。2人はなんで喧嘩してるんだ……」

 

 とても呑気に部屋に入れる空気ではなく、陸は廊下で立ち往生する。 

 これは一体どうやって仲裁したものかと、陸が思い悩んでいた、その時。

 

 廊下にいた陸は、ナースステーションの方から師長がこちらに向かって歩いてくることに気が付いてしまった。

 まだ師長は喧嘩の声に気が付いていないようだが、背筋をピシッと伸ばし眼光鋭く周囲に目を配りながら、陸たちの大部屋の方に向かってきている。

 

 喧嘩が見つかるのも時間の問題だと思った陸は、思い切って大部屋の中に飛び込んで後ろ手にドアを閉めた。

 

「2人とも! 師長がこっちに来る!」

 

 喧嘩していた2人はハッとした様子で陸を見て、そのまま口をつぐんだ。

 3人で静かにしていると、大部屋のドアの前に、コツ、コツ、コツと師長の靴音がだんだん近付いてきて、ゆっくりとドアの前を通り、やがて通りすぎていった。

 

「ふぅ……」

 

 なんとか師長に気付かれずにやり過ごし、陸は息を吐いた。

 

「……それで、2人はなんで喧嘩してるの」

 

 襷がイライラした様子で言う。

 

「陸。桜井さんに相談して部屋変えてもらおうぜ。俺こいつと同じ部屋もう嫌だわ」

 

 理人は腕を組み黙っている。

 

「襷。だから何があったのって」

「それは……」

 

 襷が言うには、理人がセンターから出された食事をろくに食べていないことに気が付いて「お前、ほんとに健康なのか?」と聞いたのを発端に、理人が激怒して喧嘩に発展したのだという。

 

「襷。せっかく同じ部屋の仲間なんだから仲良くやっていこうよ」

「俺だってそうしたかったよ。けど、ここまで突っかかられたら俺もう無理だわ」

 

 理人がふん、と鼻を鳴らした。襷がイラッとした様子で理人を睨む。理人も睨み返した。

 

松沢まつざわ たすき。君、ジャパンスペースフードの松沢社長の息子だろ」

 

 襷は答えず黙っている。

 

「まったく大企業の御曹司はいいよな。同室のヤツが気に入らないから部屋を変えさせろだなんて、さぞかし甘やかされて育ったんだろうよ」

「はあ?! そんなことねぇわ!」

 

 襷は苛立って大声を出した。理人がうたうように挑発する。

 

「そんなことあるだろ? 前に君たちが騒いでいた時に話していたじゃないか。君の家では君に嫌なことがあると、いちいち君を元気付けるためのパーティーを開くんだろ? パーティーでは使用人にクレープを焼かせて。ハッ、さぞ楽しいんだろうなあ」

 

 使用人? 何の話か分からず陸が首を傾げる。

 

「……待て。お前、何の話をしてる?」 

「はあ? 君の家でやっている大層なクレープパーティーの話だろうが」

 

 陸はハッと思い出した。

 以前、理人が大部屋に入ってきて「外まで声が聞こえる、うるさいから静かにしろ」と言ってきた時。

 直前まで、襷のおじいちゃんがやってくれるクレープパーティーの話をしていた。

 理人は廊下でその話を聞いていたのだ。どうやら何か勘違いをしているようだが。


 襷が心底呆れた声で言う。

 

「お前……たぶん、だいぶくだらない勘違いしてるぞ……」

 

 理人が目を丸くする。

 

「……え?」




「……で? なんで洗面所なんだよ」

 

 理人が洗面所の椅子に座り、組んだ足の上に不機嫌そうに頬杖をついている。

 料理用のボウルに入った液体を泡立て器で混ぜているたすきが、顔を上げずに答える。

 

「電源があって、水道が使えて、おまけに鍵も掛かるからだよ」

 

 理人が再び聞く。

 

「で? なんでここでパーティーなんだよ」

 

 襷が答える。

 

「お前がクレープパーティーを勘違いしてるからだよ、バーカ!!」

「2人とも、仲良くね……」

 

 間に挟まれた陸は肩身が狭い。


 3人がいるのは、大部屋と同じフロアにあるシャワールーム横の洗面所だ。シャワーを利用する人が洗面所ごと専有して鍵を掛けられる為、今は施錠されている。

 

 その洗面所の真ん中には、陸と襷が最初に売店に行った時に買った(正確に言うと買わされた)クレープパーティー用の丸い鉄板が洗面所の椅子に載せられていて、それを3人で囲んでいる。

 

「陸、缶詰開けてフルーツ出しといて」

「わかった」

 

 先ほど襷と2人で買い出しに行ったところ、ボウルや泡立て器やフルーツの缶詰まで売っていた。まったく品揃えのいい売店である。


 陸は言われた通り缶詰を開けて流しにシロップを捨て、後でクレープに包むフルーツを紙皿に出していく。

 

「なんか、こういうのは昔と変わらないんだね」


 もっと未来っぽいクレープかもしれないと思ったが、揃った材料を見る限り、今のところ陸にも想像できる仕上がりのクレープになりそうだ。

 

「そうか? まあ、じいちゃんのやり方だからな」

 

 腕組みして退屈そうに見ていた理人が口を挟む。

 

「じいちゃん?」

 

 陸が代わりに答える。

 

「クレープパーティーは、亡くなった襷のおじいちゃんがやってくれてたんだよ」

 

 襷がクレープの生地を泡立て器で混ぜながら話す。

 

「……俺は確かに社長の息子だけど。うちの親、仕事で忙しくて両親とも帰って来ないから、俺ほとんどじいちゃんに育てられたんだ。親は忙しいと息子ほったらかしで何年も平気で帰って来ないわけ。俺の誕生日だって、連絡すらない」

 

 襷が、生地まみれの泡立て器をビッと理人に向けた。

 

「誰かさんが言うような、甘やかした育てられ方なんてしてないんだよ、バーカ!」

「……」

 

 理人は面食らった顔で黙っている。

 

「おい、理人。ぼさっとしてないでウインナー焼いとけよ」

「え、なんで俺が」

「しょっぱいやつもあった方が楽しいだろ! いいから黙って焼けバカ」

「……」

 

 襷の勢いに押されたのか、理人は意外に大人しくウインナーを鉄板に並べて焼き始めた。

 音を立てて焼けていくウインナーの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。


 あの喧嘩の後、襷に「クレープパーティーやるから買い出し付き合って」と言われた時は正直驚いた。あれだけ喧嘩していたわりに、襷なりに和解の方法を考えたのだと思うと、つくづくいい奴と同室になったものだと思う。ああ見えて反省しているのだろう。


 しかし、理人の方はなぜ襷にきつく当たっていたのだろうか。厳しく育てられた自分と違って、襷が甘やかされて育ったと思っていたから?


 けれども、陸から見て理人はどちらかというと達観しているというか、結構大人っぽいタイプに見えた。彼がそんな子どもじみた理由で、ここまで人に突っかかったりするだろうか。

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