第16話 ジーンツリー

「うん、順調ですね」

 

 そう言って、桜井さんが陸の左腕から銀色の機具を外す。


 陸は検査室にいた。

 細胞提供のドナーは、定期的に細胞の質を見る細胞検査を受けなければいけないからだ。

 

「やっぱり若い方は細胞が元気ですね。この調子でいけば、かなり質のいい細胞提供ができそうです」

「そうなんですか」

上穂木かみほぎさんがきちんと健康管理してくださっているおかげです。レシピエント様も喜ばれると思いますよ」

 

 検査器具を片付けている桜井さんの横で、陸は顔も見たことのないレシピエントのことをぼんやりと想像する。

 年代も性別も分からないが、それだけ莫大な金額を支払うくらいだから、きっとすがるような思いで陸の細胞提供が完了するのを待っているのだろう。

 

 考えているうちに、ふと疑問が湧いてきた。

 なぜ100年も昔に生きていた陸がそのレシピエントと適合することが分かったのだろう。

 

「あの、桜井さん」

「はい」

 

 桜井さんは笑顔で振り返る。

 

「僕って100年も前の人じゃないですか。どうして僕とそのレシピエントさんが適合するって分かったんですかね?」

 

 この未来に陸が生きていたら117歳だ。存命である可能性は極めて低い。

 

「ああ。上穂木さんの時代はまだ、ジーンツリーは無かったですかね」

「ジーンツリー?」

「簡単に言うと家系図みたいなものです。国が大規模にデータを集めてデータベース化したので、昔の家系図よりかなり詳細なデータが付与されています。例えば」


 桜井さんが指折り挙げ始める。


「顔写真、生年月日、没年月日、経歴、居住地、そして遺伝情報」

「遺伝情報?」

「はい。病院や研究機関で保管されていたその方のデータや検体があれば、その方の遺伝子型などの情報がジーンツリー上に残ります。まあそのあたりは、悪用防止や情報保護のため医療機関しか閲覧できないようになっていますが」

「つまりそこに僕のデータがあると」

「そういうことになりますね」

 

 全くすごい時代だ、と思った。

 陸の時代は家系図などなかなかお目にかかれるものでは無かったし、先祖がどんな顔で何をした人か、ましてどんな遺伝子型かなんて知る由もなかった。

 しかし、未来ではそれがデータベースとして残っているという。

 

「ちなみに、顔写真もあるんですか?」

「はい。近年の方であれば一定年齢ごとにIDリングの更新時期が来るので、その時のお写真が載っています。年代の古い方だと、学校の卒業写真とか、遺影のお写真ばっかりですけどね」

 

 しかし不思議なのは、白い壁のことは聞いても教えてもらえないのに、ジーンツリーについては普通に教えてもらうことができたことだ。

 よく分からないが、白い壁の話はなぜそれほど記憶削除の負担になるのだろうか。

 


 検査が終わり、病室に戻ろうと1人でフロアを歩いていると、廊下の向こうに理人の姿を見つけた。

 

「……」

 

 何をしているんだろうと思って見ていると、理人は陸が見ていることに気づかず、ドアをノックしてどこかの部屋に入った。

 

 なんとなく気になった陸は、なるべく足音を立てないようにその部屋の前まで行ってみた。

 

「……院長室?」

 

 理人が入っていった部屋のドアには、そう書かれたプレートが付いていた。


 

 夕方、たすきと待ち合わせていつものバーに行くと、


「はああぁ……」

 

 先に着いていた襷が、背中から黒いオーラを発しながらソファに沈んでいた。明らかに『たちばな 美澄みすみ事件』を引きずっている。

 

「……大丈夫?」

「大丈夫に見えるか? もう俺は女なんて信じない……」

 

 襷はカクテルをぐいっと一気に飲み干した。

 

「マスター、同じのもう一杯!」

 

 まるで飲んだくれているようだが、飲んでいるのはもちろんノンアルコールカクテルである。

 陸は襷の正面のソファに座る。

 

「ねえ。さっき、理人さんを見かけたんだけど」

「理人ぉ? ほっとけあんなヤツ」

「いや、なんか院長室に入って行ったんだよね」

「ふーん?」

 

 襷は理人のことはあまり気にならない様子だ。

 

「襷はあんまり理人さんのこと好きじゃないと思うけど……僕は、そんなに悪い人じゃないような気がするんだよね」

 

 襷は露骨に苦い顔をする。

 

「そうかぁ? 俺はアイツ、色々どうかと思うけど」

「……実はこの前、理人さんと少し話したんだよ。なんかもっと怖い人かと思ったけど、全然普通に話せた」

「ふーん。まあ、陸のことは別に嫌いじゃなさそうだもんな、アイツ」

 

 マスターが2杯目のカクテルを襷の前についっと差し出すように置いていった。

 襷がカクテルに口をつける。

 

「というか、なんでアイツ俺のこと嫌いなんだろうな。俺なんかした? まったく、橘美澄といい、どいつもこいつも俺のことないがしろにしすぎだろ」

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