第13話 大人の自分
大部屋で昼食を食べ終え、ベッドで飲み物のコップを片手にくつろいでいると、大部屋のドアが開き、理人がベッドに戻ってきた。
陸は驚いて、考えるより先に声が出た。
「あれっ! 今日はいたんですね。最近いなかったから心配してました」
理人は少し気まずそうに横を向く。
「……別の部屋で、プログラムを受けていただけだよ」
「そうでしたか」
「……」
なんとなく気まずい沈黙。
これはあんまり会話する気がないのかも……と思い、陸は一度置いたコップをテーブルから再び口元へ運んだ。
それ以上声を掛けずに静かにしていると「ねえ」と、理人の方から声をかけてきた。
「あ、はい」
「……この前は、名乗りもしなくて悪かった」
理人が、陸の方を向いてベッドに座り直した。
「俺は
陸は、理人が自分から名乗ってきたことに驚いた。仲良くなる気がないのかもと思っていたが、これはもしかしたらまだ少しは望みがあるかもしれない。
コップを置き、陸も座り直してぺこりと頭を下げた。
「藤枝さん、改めてよろしくお願いします」
「陸って呼んでもいい?」
「あ、はい」
「俺も理人でいいから」
今日の理人は口調も穏やかだった。この前襷に冷たい言葉を投げかけた時のような、キツい印象は今は感じられない。
「ねえ、陸もタイムスリップして来たんだろ。陸は、未来に来てどう思った?」
理人が、少し目に掛かる前髪を透かして陸を見る。
「そうですね……最初は、急にここが未来だって言われてもピンと来なかったし、怖かったですけど……ここでの生活にも慣れて、だんだん落ち着いてきました」
「そっか。まあ、最初は驚くよね」
「理人さんは、ここが未来だって言われてどう思いました?」
「まあ……陸と似たような感じだよ」
理人はベッドの上で片膝を立て、そこに肘を置いて窓の外の青空を見つめる。
「ここは、君にとっては100年後の未来だろ。自分の人生はどうなったのかとか、考えたりする?」
陸もつられて窓に視線を移し、流れていく雲に目をやる。
「確かに、何歳まで生きたとか、結婚したかとか、子どもがいたかとか。たぶんそれももう全部終わった後だと思うと、なんか変な感じしますね」
しかし彼はなぜ、未来の自分自身が気になるかどうか聞いてきたのだろう。陸は心に浮かんだ疑問を、素直に聞いてみることにした。
「理人さんは、未来の自分に会ったんですか?」
すると理人は首を振った。
「いや、会ってないよ。会えないし、別に会いたくもない」
なるほど、やはりドナーとレシピエントは本人同士であっても接触できないルールなのかもしれない。記憶削除の負荷のことを考えると会わせない方が賢明ということだろうか。
「会いたくないんですね。まあ、僕ももし10年後の自分に会えたとしても、会いたくないかなあ」
「そうなんだ」
「自分の未来についてはあんまり知りたくないですね。知らない方がワクワクできていいです」
「ワクワクか。希望があっていいね」
まあ知ったところで記憶は消されるから影響はないのだろうけれど、もし未来の自分が思ったより老けていたり、太っていたり、社畜になって目が死んでいたりしたら、夢も希望も持てなくなりそうだ。1ヶ月限定の記憶でも、正直あんまり知りたくはない。
「じゃあ陸は、未来の自分がどうなっていたらいいと思う?」
なかなか難しい質問だ。陸は顎に手をやり唸る。
「うーん、そうですね……まだ将来の夢とか分かんないので抽象的ですけど、周りにとって『必要な人』になれていたらいいなって思います」
「必要な人?」
「はい。僕、友達と何人かで一緒にいる時でも、なんかこう、自分なんていなくても変わんないよなって思う時があるんです。なにか強い個性があるわけでもないし、自己主張も下手くそだし。だから『必要な人』になれてたらなって」
それは未来に来る前から思っていたことだ。未来に来て襷と出会ってからも、自分よりも襷の方が、周りの人から必要とされる人間だろうと感じていた。
「そうか。いなくても変わんないってことは、ないと思うけど……」
「理人さんはどうですか?」
理人が驚いたように陸を見る。
「え、俺?」
「はい。未来の自分、どうなってたらいいなって思いますか?」
理人は少し考えてから、手元に視線を落とす。
「未来でどうなっていたら、か。そうだな……俺は、ちゃんと自分のやりたいことを見つけて、それを仕事にしていたらいいなと思う。できるかどうか、分からないけど」
俯きながら宙を見つめ、少し息を吐く理人。伏した瞳が曇る。
「俺の両親は……俺にも意見や考えがあるということを分かっていないんだ。小さい頃から、将来政治家になるための教育を詰め込まれて、外に自由に出掛けることもできなかった。俺が政治家になりたいか、なりたくないかなんて関係なかった」
「え、そんな……」
襷から政治家の息子だと聞いてはいたが、まさかそんなに苦労しているとは想像していなかった。
そうか。理人が未来の自分に会いたくないのは、親の敷いたレールに乗って、失望したまま大人になっている自分を見たくないのかもしれない。
「小さい頃からそんな生活だったからか、最近やっぱり自分が親に似てきているような気がするんだ。親に似た考え方の癖ができてしまっているというか」
理人が苦笑いを浮かべる。
「子どもは、自分が親にされたことを自分の子どもに繰り返すって言うだろ。だから、俺自身が無意識にそういうことをいつか自分の子どもに繰り返してしまうんじゃないか怖くなる。自分では気付けないんじゃないかって」
陸は、理人はやはり悪い人ではないような気がしてきていた。彼は自分が親から自立した上で、悪循環を繰り返さず自分で断ち切りたいのだ。
陸は少し考えてから口を開いた。
「……理人さんは、本当は親から言ってほしかった言葉ってありませんか?」
「言ってほしかった言葉?」
「はい」
陸が頷く。
「例えば『よく頑張ってるね』とか『あなたはどんなことをしてみたい?』とか。そういう、本当は言ってほしかった言葉、きっとありますよね? そういう言葉を、ずっと忘れないでおいたらいいと思うんです。子ども側の気持ちを忘れないようにして、その言葉をいつか自分の子どもにも言ってあげる。そうすれば、いい親かは分からないですけど、自分の親とは違うタイプの親になれるんじゃないでしょうか」
理人は、陸がそんなことを言うとは思わなかったのか、驚いた表情をしている。
「子ども側の気持ち……そうか。そうだな」
前髪の向こうの理人の眼差しが、少し優しくなった気がした。
「……ありがとう、陸。君がいい奴だと分かってよかった」
理人とだんだん打ち解けられそうな雰囲気が出てきたところに、何やら外からバタバタバタと足音が近づいてきた。
足音がどんどん大きくなり、バーン!とドアが開く。騒がしく帰ってきたのは襷だ。
「陸ー! 聞いて、俺、女の子に! ナンパ! ナンパされたんだけど!」
「あ、襷! おかえり」
満面の笑みで部屋に飛び込んできた襷が、部屋に理人もいることに気付いた途端に、表情が沈む。
「げっ。いたのか……」
「……」
襷は一気にテンションが下がり静かになる。
すると理人はベッドから立ち上がり、無言で部屋を出ていってしまった。
「出ていっちゃった……襷。さすがに『げっ』はひどいよ」
「う、そっか。ごめん、つい」
その夜、理人がベッドに戻って来ることはなかった。
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