第9話 白い壁

 広場のベンチは大きな池沿いに点在していて、腰掛けると先ほどのカフェの色とりどりのフロートがいくつも池の中でゆらゆら回遊しているのが見えた。

 

 陸はベンチに座り、先ほど屋台で買ったドルチェフリット――紙に包まれたテニスボールほどの大きさの揚げ物を両手で持っていた。囓ると中から、ケーキのスポンジと生クリームらしきものと、よく分からない緑色のフルーツが出てきた。

 

「こ、これは罪深い……」

「だから言っただろ」

 

 たすきは笑いながら自分のドルチェフリットにかぶりつき、クリームがついたまま喋る。

 

「これ最近流行ってるらしいぜ。味もまあまあ旨いな」

「襷、そこクリームついてるよ。そっか、100年後の流行の最先端か」

 

 小腹どころかかなりお腹に溜まるが、クリームが甘すぎず、中のフルーツがさっぱりしていて、意外とくどくなくて美味しい。

 襷は口元のクリームを指で拭った。

 

「てか、よく考えたら陸って俺のじいちゃんより年上?」


 確かに、よく考えてみれば生きていたら117歳だ。しかし目の前の襷が100歳年下という実感はまったく持てない。

 

「おじいちゃん何歳?」

「去年死んじゃったんだよね。当時85歳」

「そっか。……ごめんね」

 

 ごめんねで良かったかどうか分からないが、こういう時は謝らないのも落ち着かない。

 襷は早々に食べ終わり、包み紙を丸めた。

 

「いや、いいんだ。うち、親が事業やってて全然家に帰って来なくて。俺、5歳の時にじいちゃんに預けられて、実はほとんどじいちゃんに育てられたんだ。元々じいちゃんがドローンとか集めてて、それがきっかけで俺もそういうの好きになったの」

 

 なるほど、それで令和に興味が湧いたのか。襷は池の方を見つめたまま話を続ける。

 

「ちっちゃい頃、親がちっとも顔出さないから落ち込んでた俺を、じいちゃんが連れ出してくれて。公園でドローン飛ばして遊んだんだ。もうめちゃくちゃ楽しくて」

 

 襷は力を込めて本当に嬉しそうに話す。

 陸は想像の中で、ラジコンで遊ぶ祖父と孫をイメージしてから、ラジコンをドローンに入れ替えてみた。なるほど、意外と微笑ましい感じだ。

 

「襷はそれで令和の機械製品が好きになったんだ」

「まあね」

 

 きっと仲の良い祖父と孫だったのだろう。その親代わりともいえる祖父が去年亡くなったということは、かなり辛かったはずだ。

 

「……今はどうしてるの?」

「え?」

 

 襷が目を丸くして陸を見つめ返す。

 

「おじいちゃん亡くなったんでしょ。今は誰と暮らしてるの?」

「ああ……じいちゃん死んじゃったし、今は両親と同じ家。まあ親帰って来ないし気楽に過ごしてるよ」

 

 ほんの一瞬だけ、襷の目が少し寂しそうな色を見せたのを陸は見逃さなかった。 

 襷が膝に手をついて立ち上がり、明るい声で言う。

 

「よーし、じゃあちょっと散歩でもしていくか!」 

「……あのさ」

「ん?」

「襷が僕に未来のことを話せなくても、僕が僕の時代の話をするのはいいんだよね?」

 

 襷がこちらを振り向き、不思議そうな顔をする。

 

「え? まあ、そこはいいんじゃね」

「じゃあ色々話そうね。令和の話」

 

 襷にはせめて、ここにいる1ヶ月間くらいは寂しい思いをしてほしくないと、咄嗟にそう口走った。

 襷が一瞬きょとんとして、それから「ははっ」と笑った。

 

「陸、いい奴だね。まあ、あと1ヶ月もあるし、どうせなら楽しまないとな」

 

 2人は広場の中央に向かって歩き出した。



  

 散歩がてら広場の中央に向かってきたが、近づくにつれて、東側の白い壁がより大きく見えてくる。

 

「あの白い壁がなんなのかって話は……できないんだよね?」

「あー……うん、ごめん」

 

 襷は申し訳なさそうに視線を落とした。

 

「いいよ、ルールだもんね。壁の近くに行ってみていい?」

「いいけど、別に面白くないと思うぜ?」

「いいの。見るだけ」

 

 白い壁の近くは木が植えられていて、ちょっとした林のようになっていた。壁に近づけば近づくほど壁の存在感が増してくる。ようやく壁際に着くと、白い壁は林の遥か上、見上げるほど上まで高くそそり立っていた。

 

「本当に高いんだね、この壁」

「そうだな」

 

 壁沿いに歩いていると、のっぺりと何もない壁に1ヵ所だけ両開きのドアが付いていることに気が付いた。白い壁に白いドアなので目立たず、近くを通らなければ見落とすところだった。

 

「これは?」

「まあ……ゲートだな」

 

 なるほど、これがマップにあった東側ゲートか。ゲートというからには門みたいな感じなのかと思っていたが、テーマパークの中で景観に紛れ込ませてひっそりとある職員通用口のように、存在感の薄いドアだった。

 

「ふーん……壁の向こうに行けるゲートか」

 

 陸は腰に手を当てて壁を見上げる。

 

「しかし、何のためにこんな大きい壁を作ったんだろうね」

「……」

 

 襷は急に言葉少なになっている。陸の呟きに、相づちを打てるところだけ打っていたようだ。

 陸が振り返る。

 

「……ごめんね、襷。もういいよ。ありがとう」

「そっか。じゃあそろそろ病棟戻るか」

 

 襷に気まずい思いをさせてしまったかもしれないと、白い壁の観察を切り上げた。すぐに襷がリングでフローライドを呼ぶ操作をし始める。

 待っている間、壁の近くにいた陸は、壁の表面で何かが小さくきらりと反射したことに気付いた。

 

「これは……」

 

 白い壁を、ごくわずかな水が伝っていた。

 どこから流れてきているのか分からないが、壁の上の方から細く伝ってきて、壁の下に小さな水溜まりを作っている。

 

「おーい、陸! 来たぞ」

 

 襷の声に振り返ると、先ほどの紫と水色のフローライドが林の向こうからすーっとこちらに向かってくるのが見えた。

 

「うん、わかった」

 

 きっと雨水か何かだろう。

 ほんの少しざわついた心を鎮めて、陸は病棟への帰路に着いた。

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