第7話 探検

「悪い悪い! 遅くなった」

 

 1階ロビーのソファに座って待つ陸のところにたすきが現れたのは、2人が別れてから20分ほど経ってからだった。

 昼食後2人で出掛けようと大部屋を出て、ナースステーションの前を通りかかった時に、襷だけ師長に呼び止められたのだ。


「師長の話長えんだよ。悪かったな、待たせて」

「ううん。何だった?」

「あー……まあ、またあれだよ」

 

 襷は決まりが悪そうに頭の後ろを掻いた。

 

「記憶削除の負担になるから、陸にあんま色々話すなって。釘刺された」

「あー……なるほど。まあ仕方ないよ」

 

 しかし、そんなに何度も釘を刺されるとは、記憶削除はそれほど身体の負担になるものなのだろうか。もう少し詳しく聞いておけばよかった。

 

 襷が陸の隣に腰掛ける。センターの敷地内であれば外出も患者衣のままでいいらしいので、2人とも色違いの患者衣のままだ。

 

「陸はどっか行きたいとこある?」

「うーん、そうだなぁ。まずは売店に行きたいかな。僕何も持ってないし」

「了解。じゃあそうしよ」

「今日かなり暑そうだけど大丈夫?」

 

 陸はガラス張りのロビー越しに建物の外を見た。日陰は多少涼しそうに見えるが、日向ひなたは地面の色が白く見えるほど日差しが焼き付いている。

 

「大丈夫。未来人なめんなよ」

 

 襷はニヤリと笑って、ロビーのコンシェルジュカウンターを指した。



「すいません、2人乗りのフローライド1台借りたいんですけど」

 

 襷がカウンター越しに声を掛けると、女性コンシェルジュが上品に口角を上げる。

 

「かしこまりました。IDリングに登録させていただきます」

 

 襷が陸の方へ振り返る。

 

「陸もリング出して」

 

 襷がリングのある方の腕をカウンターに載せたので、陸も真似をして腕を載せた。

 

「お貸しするフローライドは004号になります。キーを登録します」

 

 コンシェルジュが2人のリングに小型の機械を当て、順に操作する。

 

「いってらっしゃいませ」

 

 操作が終わると、コンシェルジュが頭を下げた。陸も会釈する。

 

「ほら、行くぞ」

「うん。ねえ、フローライドって何?」

「まあ見てのお楽しみだな」

 

 襷の後についてロビーの玄関口近くまで歩いていくと、巨大な丸い何かの横に男性コンシェルジュが立っている。

 軽自動車よりはひと回りほど小さいその物体は、大きな豆のような形をしていた。全体を覆う半透明の水色と紫色のグラデーションがロビーの照明を反射している。


 男性コンシェルジュが丁寧に頭を下げた。

 

「松沢様と、上穂木かみほぎ様でしょうか」

「はい」

「では、ご滞在中はこちらの004号をご利用ください」

 

 コンシェルジュが白い手袋をつけた手で巨大な豆の側面に軽く触れると、巨大な豆についたドアが横にスライドして開いた。中に座席が見える。

 

「すごい! これに乗るの?」

「そ。フローライド、令和にはまだ無いだろ?」

 

 襷に促されて乗り込むと、中には横並びの座席があった。空調が効いていて涼しい。陸が奥の座席に座ると、襷も続いて手前の座席に座りドアを閉めた。外から見ると水色と紫色だったが、内側からはほとんど透明に見える。


 海外で現地の珍しい乗り物に乗ったらきっとこんな気分かもしれない。これがどんな風に動くのかと高まる期待を胸に、そわそわと周りを見回した。

 

「すごいね! ねえ襷、シートベルトどこ?」

「無ぇよ、そんなもん。こいつ避けるから事故とかないし」

「そうなの?!」

 

 座席の前にある小さなセンサーのような部分に、襷が手首のリングをかざす。するとガラスのような前面に、半透明の文字とマップが大きく映し出された。

 

「行き先はひとまず、レイクサイドモールの入口な」

 

 襷が映し出されたマップに触れて操作する。カーナビみたいなものなのだろうか。

 

「……よし、完了。動くぞ」

 

 車体がふわりと揺れて、景色が少し高くなり、わずかに天井が近くなった。そして音もなく前に進み始めた。

 

「これ浮いてる?! うわあ、すごい。めちゃくちゃ未来っぽい!」

「はは。だろ?」

 

 襷は得意気な顔で座席の背もたれに腕をかける。

 

「フローライドは俺が生まれた頃くらいにできたらしい。今はみんなこれ乗って出掛けるんだ」

 

 フローライドにはハンドルがなく、襷も操作らしいことは何もしていないが車体は勝手に進む。

 ロビーの玄関ドアが自動で開いて、フローライドごと建物の外に出た。外の強い日差しに晒されたが、車体全体のガラスのような素材に遮られているのか、明るさはほぼ届くが、光に熱さはない。

 陸はふと心配になり、膝の間に手を挟んでおずおずと聞く。

 

「……ねえ、襷。フローライドも未来のものだと思うんだけど、これは怒られないの? その、師長さんに」

 

 記憶削除の件でまた襷が怒られないか気になったが、襷はニッと歯を見せて笑う。

 

「大丈夫、師長に許可もらってきたから。もし熱中症にでもなったら細胞の質が悪くなりますよね? いいんですか? って」

「あはは! 言い方上手い」

「だろ」

 

 フローライドは勝手に流れるように進んでいく。地面すれすれを飛んでいるようだ。

 未来にはこんな便利な乗り物があるのか。SF映画によくある飛行する車体もそんなに間違ってなかったと言える。


 ただ、フローライドはSF映画でよく見るものよりは飛行高度が低い。陸は天井を透かすように見上げながら聞く。

 

「ねえ、これってもっと高く飛ぶことはできないの?」

「道が混んでる時は、もう少し高く飛んで立体交差するよ。けど、一般車両が飛んでいい高さは決まってるんだ。だいたい地面から4mぐらいの下層が一般車両エリアで、中層が物流用、緊急車両が上層」

「へぇー! どこでも飛んでいいわけじゃないんだ」

 

 そういえば、昨日院長と話した時にビルの間を丸い乗り物らしきものが飛んでいるが見えたが、あれはきっとフローライドだったのだろう。

 

 センターの敷地内は緑豊かだが余計な物はない。景色がするすると後ろに流れていき、やがて建物がいくつかあるエリアの入口に差し掛かった。

 

「よし。ここからは歩いた方が面白いだろ」

「そうだね」

「停めるぞ。まだ立つなよ」

 

 フローライドが静かに着地し、2人は外に出た。すると無人のフローライドが再び浮き上がり、病院に帰っていった。必要な時はリングで再び呼び出せるらしい。

 

「なにそれ、便利すぎる……」

「ま、これが未来だよ」

「いいなぁ、未来人は。自転車通学とかしなくてよさそうで」

「自転車ってアレか? 車輪が2つあって、エンジンついてるやつ?」

「それはバイクかな」

「バイクか」

 

 さすが令和のメカオタク、間違っているとはいえ100年前のバイクの存在を把握している。

 2人はレイクサイドモールの建物群に向かって歩き出す。

 

「自転車はエンジンないから足で漕ぐよ」

「足で?!  漕ぐの?! うわー、昔は大変だったんだな。移動がトレーニングみたいじゃん」

「まあね」

 

 陸にとっては当たり前の移動手段である自転車も、未来人には信じられない労力のかけ方のようだ。

 まあ分からなくもない。陸も「洗濯板で毎日洗濯してます」と言われたら似たようなリアクションになるだろう。

 

「陸、自転車なの? 通学」

「そー。雨の日とか最悪」

 

 陸が眉間に皺を寄せてそう言うと、襷はカラッとした声で笑う。

 

「まあ先人たちの苦労のおかげで今があるからな。ちなみにフローライド、雨の日は勝手に洗車するんだぜ。汚れがこう、滑り落ちる」

 

 襷が腕をワイパーのように動かすジェスチャーをした。

 

「ええ! それは見てみたいなあ。未来にいる間に見れるかな?」

「え? ああ……うん、見れるかもな。あ、売店ってあれかな?」

 

 襷はなぜか戸惑うように陸から視線を外し、それから随分大きな建物を指差した。

 

「売、店……?」

 

 高校の購買部くらいの大きさの売店を想像していた陸は、田舎のホームセンターくらい大規模な建物を見て固まった。

 

「でけえな。思ったより」

「襷もそう思うんだ」

「ま、入ってみようぜ」

 

 2人は売店の入口に向かった。

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