第6話 朝食
朝。人が動く気配がして、目が覚めた。
ベッドを囲う淡い水色のカーテンの外を誰かが歩くのにつられて、カーテンがふわりと波打った。
未来にタイムスリップした夢を見た。とんでもないスケールの夢だった気がする。
それから、最後に誰かの話し声を聞いたような気がするが、どんな夢だったか思い出そうとすると、手で掬い上げた水のように記憶が隙間からスルスルとこぼれ落ちていってしまい、頭がぼーっとした。まあ夢なんて大体そんなものだ。
するといきなりカーテンがシャッと開いた。
「
プレートに載った朝食を持ってきてくれたのは桜井さんだ。桜井さんは昨日、未来に来た僕に色々と説明を――
――未来に来た僕?
がばっと飛び起きた。
「熱いので気を付けて召し上がってくださいね」
桜井さんは笑顔で会釈するとカーテンを閉めて出ていった。
プレートの上にはパンとオムレツ、ほかほかのコンソメスープが湯気を立てている。
「あれ、僕、そっか……」
昨日の記憶が一気に駆け巡る。そっか、未来に来たんだっけ。片手で髪をぐしゃぐしゃにしながら記憶を辿る。
「陸、寝ぼけてんだろ」
カーテンの向こうから急に声がして、陸はカーテンを開けた。隣のベッドで既にカーテンを開けていた
「あれ?! ここどこ? 僕の家じゃなーい! って?」
変な声色で演技する襷に、陸はぶはっと吹き出した。一瞬混乱して不安になった気持ちが、少し晴れた気がした。
「陸、一緒に朝メシ食おうぜ。カーテン閉めてるとつまんないんだよ」
まだ知り合って間もないが、襷がいい奴なのはなんとなく分かるから不思議だ。いきなり未来に連れてこられた陸を心配して、それとなく声をかけてくれたのかもしれない。
襷と一緒に朝食を食べ始めると、向かいのベッドが目に入った。カーテンは開いていたが、やはりベッドの主は不在だ。手付かずの朝食が置いてある。
「アイツ? さっきどっか出掛けたよ」
陸が向かいのベッドを見ているのに気付いたのか、襷がオムレツを頬張りながら言った。
「襷は会ったことあるの? あのベッドの人」
「うん。昨日、陸が来る少し前にこの大部屋に移ってきて、少し話した。アイツは18だって。高3だから俺らの1個上」
「そうなんだ。みんな同年代なんだね」
「なんかどっかの政治家の息子らしい。桜井さんが話してんの廊下で聞いちゃった」
「へぇー」
陸はパンにバターを塗りながら聞く。
「その人は、未来の人? 過去から来た人?」
「アイツは陸と同じタイムスリップ組だよ。10年前から来たんだって。けど、たいした年数飛んでないから本人もそんなに違和感ないんじゃね? 陸ほど戸惑ってなかったよ」
「そうなんだ」
もう1人は僕と同じ、過去から来た人なのか。とはいえ10年と100年では、陸にとってその人は十分に未来人だけれども。
そう思いながらパンを口に運ぼうとしていた陸は、ふと気付いて動きを止めた。
「……10年? え、待って。それタイムスリップする必要ある? 10年後の、28歳の本人もいまこの時代にいるよね」
襷も手を止めて陸を見る。
「28のアイツに細胞もらえば、わざわざ過去から18のアイツ呼ばなくていいじゃんってことだろ? じゃなくて、アイツのレシピエントは28のアイツ自身なんだと。俺らと違って、本人同士の細胞提供なんだよ」
本人同士の細胞提供。そうか、タイムマシンがあったらそんなことも可能なのか。
「そういうこと? つまり、28歳の彼はもう身体のどこかが悪くて、だから健康だった18歳の自分自身から細胞をもらって、新しい臓器を作る?」
「そ。そういうこと」
「えー! そんなこともできるんだ」
やはり未来は随分便利になっているのだなと感心する。
しかし気になったのは、その人が自分から本人同士の細胞提供であると口にしたらしいことだ。
つまり、レシピエントが誰であるかセンター側から説明されていたということになる。陸は自分のレシピエントについて教えてもらえなかったが、本人同士の場合は例外なのだろうか。
「その人、未来の自分自身にも会えたのかな。それともやっぱり規定だからダメなのかな」
襷はカップに入ったスープを息でふーふーと冷ましてからそーっと口に運んだが、まだ熱かったのかすぐにカップを離した。
「あっつ。陸、これ熱いから気を付けろよ。まあアイツはレシピエントについて開示されてたみたいだし、本人だったら例外的に会えたりするのかもしれんけど、お得意の『記憶削除の負荷が上がりますぅ~!』で会わせてもらえてないかもしれんね」
襷の口調が明らかに昨日の師長を誇張していて、陸は再び吹き出した。
こうやって2人で平和に朝食を食べていると、まるでここが未来ではないように思えてくる。単にちょっと入院しているだけみたいな気分だ。まあそもそも入院したこともないのだけれども。
熱いと聞いたので陸はコンソメスープにしばらく手をつけず、少し冷ましておいてから一口飲んだ。
「ぐぶっ!」
変な味がした。思わずむせる。
「お、大丈夫か? 熱いから気を付けろって言ったじゃん」
よく見るとスープに木の実のようなものが入っている。それに何か甘い香りもする。
どうやらこれはコンソメスープではなかったようだ。陸はケホケホむせながら聞く。
「これ何のスープ?」
「ハニーナッツスープだよ。え、令和にはない?」
「ないない」
咳が落ち着いてから、もう一口飲んでみた。なるほど、コンソメスープだと思って飲んだ時はひどい味に感じたが、別物だと思って飲めば意外に甘じょっぱくて美味しい。
よくある話だが、麦茶と間違えてめんつゆを飲んでしまった時に、本来不味いわけではないめんつゆが非常に不味く感じるのと同じ現象だ。陸はその『あるある』を襷に言おうかと襷の方を向いたが、
「……」
麦茶やめんつゆが100年後にもあるかどうか確信が持てなかったので、結局そのまま静かにハニーナッツスープを啜る。
「やっぱここは、未来だな……」
陸はしみじみ呟いた。
窓の外は今日もいい天気で、いかにも夏らしい立派な入道雲が白い壁の向こうから顔を出している。
朝食の皿がすべて空になった頃、襷が陸の方を向いた。
「陸。午後さ、このセンターの中探検すんのどう? 俺も来たの一昨日だから、まだあんまり見て回ってないし」
色々な知識に100年分のギャップがある陸には、正直ありがたい申し出だった。未来人の襷がいてくれたら何かと心強い。
「いいね。僕も気になってた」
今日は午前の細胞検査が終わってしまえば、陸はそれ以降の予定がない。襷も午前は他のプログラムが入っているそうなので、昼食後に一緒にセンター内を回ることにした。
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