第3話 大部屋

 院長との話が終わる頃には、時刻は夕方になっていた。

 

 院長曰く、陸は昨夜タイムスリップしてきて、あの個室でずっと眠っていたらしい。目が覚めたので大部屋に移ることになり、個室を出た。

 

 陸が着ている患者衣は、上は淡いグリーンのシャツのような形のもので、下は少しタイトな黒いズボンだ。真夏なのに少しひんやりとした白い廊下を歩く。

 

「色々驚きましたよね。大丈夫ですか?」

 

 陸の隣を歩く看護師の女性、桜井さんが陸の顔を覗き込んだ。

 桜井さんは、この移植センターでの陸の担当看護師だという。彼女は黒髪を後ろでひとつに結んでいて、小柄だが20代前半くらいだろうか。さきほど個室で陸が起きていることを発見したのも彼女だ。

 

「まだ色々よく分かりませんけど……まあ、もうなるようにしかならないかなって」

 

 実際はそこまで気持ちが割り切れていたわけではなかったが、半ば自分に言い聞かせるように口に出した。

 

「そうですか。何か困ったことがあったら遠慮なく言ってくださいね」

 

 ガラス張りの渡り廊下に差し掛かると、外にはやはり黒い建物と白い巨大な壁が見えた。白い壁はあまりに高く、向こう側に何があるのか分からない。


 先ほど院長からの説明を経て、陸は細胞提供を行うことを承諾していた。

 本音を言えばもう少し考える時間が欲しかったが、細胞提供が終わればすぐに元の時代に帰してもらえるという話だったので、他にどうにもしようがなくひとまず承諾してきた、という感じだ。

 

 しかし、てっきり今日細胞を採ってそのまま帰してもらえるのかと思ったが、なんと細胞採取の前には1ヵ月間の投薬と健康管理が必要だという。採取した細胞のコンディションが複製臓器の出来に影響するからだそうだ。


 つまり陸は、1ヶ月限定で未来で生活することになってしまった。

 

「1ヶ月って、長いなあ……」

 

 陸は何も私物を持っていなかった。財布や学生証どころか、絶望的なことにスマホもない。まあ、あったところで繋がらないのかもしれないが。

 

 しかも、ここで過ごした記憶は消されてしまうという。忘れてしまうことが分かっている日々を、どういう気持ちで過ごせばいいのだろうか。

 

 だいぶテンションが下がっている様子の陸の見て、桜井さんが優しく言う。

 

「上穂木さんができるだけ困らないよう、私たちも全力でサポートします。急に連れてこられて驚いたと思いますが、ゆっくり過ごしてくださいね」

 

 そのまま2人で廊下を歩いていくと、桜井さんがひとつのドアの前で立ち止まる。

 

「上穂木さん、このお部屋です。左手前のベッドを使ってくださいね」

 

 陸がドアの前に立つと、ドア横のプレートに『3人部屋』と記載されていることに気付いた。

 

「……この部屋の他の患者さんって、みんな未来の人たちなんですか?」

「上穂木さんと同じ細胞採取待ちのドナーさん達ですけど、えーっと、ちょっと待ってくださいね……」

 

 桜井さんが、手元の紙のようなものを指でスクロールしている。紙だと思ったが極めて薄いデバイスのようで驚いた。

 ここが未来の世界だなんてまだ半信半疑ではあるが、いかにも未来らしいデバイスが平然と目の前で使われているのを見て心が揺らいでしまう。

 すると桜井さんは目的の箇所を見つけたようで、陸の質問に答える。

  

「……あ、この部屋は、過去から来た方も現代人も混ざってる部屋ですね」

 

 陸が御礼を言うと、桜井さんは会釈してナースステーションに戻っていった。

 

 どう思えばいいのか分からないが、この部屋には未来人もいるらしい。しかもその人たちとここで1ヶ月暮らすのだ。陸は鼻で息を吸い、口からふーっと吐く。そして大部屋のドアを開けた。

 

 その大部屋にはベッドが左側に2つ、右側に1つあった。

 右の1つには人がおらず、荷物が少し置いてある。左奥のベッドには、同年代くらいの青年がベッドの背もたれを起こして座っていた。陸と目が合う。

 

「あれ。新しい人ですか?」

 

 青年が陸の方を向いて座り直した。

 

「俺、松沢 たすきです」

「あ、上穂木 陸です」

 

 陸も会釈した。

 しかし、挨拶しつつも、この人はどの時代の人なのだろうかと気になってしまう。襷はやや明るい髪色をしていて、平均的な身長の陸よりも背が高そうだ。陸と色違いの淡いパープルの患者衣を着ている。ぱっと見では彼が未来人かそうではないのか、判断がつかない。

 襷が人懐っこい表情で聞いてくる。

 

「ねえ、何歳ですか?」

「17です」

 

 襷はぱっと笑顔になった。

 

「えっ、俺も俺も!高2?」

「あ、高2です」

「じゃあ敬語やめようぜ。陸って呼んでいい?」

「うん」

 

 どうやら気さくな感じの人らしく少し安心する。陸も自分のベッド脇に移動してベッドに腰掛け、襷と向かい合った。 

 陸は一瞬躊躇ってから、

  

「……あの。僕過去から来たみたい、なんだけど……」

 

 と言ったものの、上手く言葉が継げずにそこで止まってしまう。自分でもまだしっくりきていないことを人に説明するのは難しいし、自分が変なことを言っていないか不安になる。

 

「そっか、過去人か! 俺はこの時代の人間だよ。陸はいつの時代から来たの?」

 

 襷は当然のように聞いてくる。もしかして未来ではタイムスリップはそれほど珍しくないのだろうか。

 

「僕は2025年から来たんだ。令和7年」

 

 すると襷が目を丸くした。

 

「……令和?」

「え、うん」

 

 そう答えると襷は、時が止まったように陸を見つめたまま固まっている。

 

「どうしたの」

「す、すげえ……!! 陸、令和の人なの?本当に?」


 襷が立ち上がり、なぜか興奮気味で陸の肩を掴んでくる。

 

「そ、そうだけど」

「俺、令和の機械製品マニアなんだ!」

 

 襷の目が、憧れのヒーローに会えた子どものように輝いている。

 

「俺、令和初期のドローンとか、スマートフォンとか、あとVRゴーグルとか! 色々集めて家に飾ってるんだよ、もう動かないやつだけど! 嘘だろ、本物の令和人に会えるなんて」

 

 襷はほとんど息継ぎもせず畳み掛けてくる。

 

「ねえねえ、令和ってことは、陸の時代って電話するときはスマートフォンなの?」


 唐突すぎる質問だが、襷はきらきらした期待の眼差しで陸の返答を待っている。陸は少し戸惑いつつも答える。

 

「え、うん。そうだよ」

「おおー! すげえ! じゃあさじゃあさ、陸たちってまだパソコン使ってるんだよね?」

「使ってるよ。え、未来は違うの?」

 

「松沢さん!」

 

 いつの間にか部屋の入口に立っていた師長が鋭い声を上げた。

 

「うっ、やべ」

 

 襷は肩をすくめて陸から離れた。

 師長がツカツカと部屋の中まで入ってきて、襷のベッドの前に立った。

 

「いいですか。上穂木さんは過去から来ている方なので、過去に帰す前には記憶削除の処置を行います。記憶の削除量があまり増えすぎると上穂木さんの身体に負担が掛かってしまいますから、あんまり未来のことを教えすぎないでください!」


 襷はものすごくつまらなさそうに「はーい…」と棒読みの返事をして、残念さを背中から滲み出させながら自分のベッドに戻っていった。


 なるほど、記憶削除は多いと身体の負担になるものなのか。未来のことは何もかもよく分からない。

 

「あ、上穂木さーん」

 

 桜井さんが入口のドアを開けてひょこっと顔を出した。

 

「センター内での生活についてご説明したいので、一度ナースステーション前に来ていただけますか?」

「あ、分かりました。すぐ行きます」

 

 陸はもう少し襷と話してみたい気もしたが、ひとまず襷に会釈してベッドから立ち上がった。

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