第2話 依頼
そこから聞かされた話は、さらに信じがたいものだった。
2125年の未来。
そこから少し遡って10年前。
驚くべきことに、人類はタイムマシンの開発に成功したのだという。
開発者は、自作したタイムマシンに自ら乗ってタイムスリップをし、既に絶滅した草花を過去から持ち帰り、タイムスリップの証拠として提出した。
すぐに複数の植物学者が呼ばれ、証拠の確認を行ったところ、学者たちは口々に「信じられない」と呟いた。
タイムマシンは、本当に過去に行って帰ってきたのだ。
しかし、すぐに公表には至らなかった。あまりにも強い影響力を持つ発明であったため、タイムマシンの開発成功は一般には知らされず、政府のごく一部と専門家が知るのみとなった。
それから、過去や未来に干渉してよいのか、悪用されてしまわないのか等、専門家によって数々の議論が交わされた。
そして、結論が出ないうちは再度タイムスリップをしてはならないと、「凍結」ーー事実上、使用禁止の状態となり、議論が終結しないまま年月だけが過ぎた。
ところが、近年になって急にタイムマシン活用の動きが出てきた。医療分野のみでの利用が臨時で許可されたという。
一回のタイムスリップに莫大な費用が掛かるため、実質的には政府の要人や一部の資産家のみに限った実用化となったが、タイムマシンは初めて世間に公表され、日の目を見ることとなった。
「ちょっと頭が追い付いてないですけど……つまり僕は、そのタイムマシンで未来に来た、ってことですか」
「そうだよ」
陸は東京育ちで、日比谷には何度も来たことがある。しかし、陸の知っている東京も日比谷も、良くも悪くも雑然としていて、もっと人の生活の気配があった。
少なくともこんな風に、クローンのように同じ形のビルばかり並ぶ整然とした街ではない。
「……さすがにちょっと、いきなりそんな話は、信じられないんですが……」
陸は必死であらゆる可能性を考える。もしかして一般人向けのドッキリだろうか。テレビの企画とか? ……いや、ドッキリでは点滴は多分打たないか。それにドッキリで街まで作るだろうか。いくらなんでもスケールが大きすぎる。
ではこの人たちが実は誘拐犯で、日比谷だと言っていたがそれも嘘で、どこか陸の知らない国に連れてこられたのだろうか。しかし院長や看護師の2人はどう見ても日本人だ。それに、別に裕福でもない一般家庭の、そこそこ体力もある男子高校生を誘拐するぐらいなら、もっと他にいい選択肢がありそうなものだ。
あと他にどんな可能性があるだろうか。そもそも逃げた方がいいだろうか。家に帰りたい。
しかし、どこへ逃げるというのだろうか。この黒いビルばかりの街に知っている場所など無い気がする。
「そうか……まあ急には信じられないだろうね。ゆっくりで構わないよ」
そう答えた院長の顔を、改めて見つめる。他人の筆跡を真似る時のように、人は嘘をつくときにはどこかに力が入って滑らかさがなくなるものだが、院長はおそらく普段からこういう人なのだろうと窺わせるような、肩の力が抜けた感じがある。
陸は観念した。ここが未来だとそんなに簡単に信じたわけではないが、分からないことだらけの今はこの人から聞けるだけ聞くしかない。
陸は恐る恐る聞く。
「……あの。仮にここが未来だとして。僕のいた時代には、戻れます、よね?」
「戻れるよ。必ず元の時代に帰してあげるから安心してほしい。けど、その前に少し協力してほしいんだ」
「協力って?」
陸は先程のタイムマシンの話を思い出した。
「……さっき、タイムマシンが医療分野でだけ認められたって言いましたよね。医療分野って何ですか」
院長が目を細めて陸を見る。
「君は賢いね。こんな状況下でも落ち着いている。……医療分野で認められたというのは、過去の人を呼んできて、この時代の患者さんの治療に協力してもらう時だけ、タイムマシンを使っていいと許可されたんだ。少し難しい話になるけどいいかな?」
陸は院長の目を見てこくりと頷いた。
「未来には"臓器複製"という技術がある。わずかな血液から採取した細胞から、人の臓器を複製して臓器移植に使用することができるんだ。未来では、一人ひとりの臓器は唯一無二のものではなく、コピーを作れる時代になっているんだよ。――ただし、複製臓器を作れるのは健康な人だけなんだ。既に臓器移植が必要になった人の細胞からは、移植に適した複製臓器を作ることができない。だからそういう人は、誰か他の健康な人から、細胞を提供してもらって複製臓器を作る必要がある」
なるほど。臓器と聞いてヒヤッとしたが、生きたまま臓器を売られるとかの話じゃなさそうだ。今のところは。
「あと、昔の臓器移植もそうだったと思うけど、ドナーとレシピエント、つまり提供する人と移植を受ける人には相性の問題があってね。誰の細胞でもいいわけでなく、適合している相手の細胞から臓器を作る必要があるんだ。今回のレシピエントは、あちこち探したけれど適合するドナーが見つからなかったんだよーー今のこの時代には、ね」
陸はなんとなく話が読めてきて瞬きをした。
「つまり、僕はそのレシピエントの人と、適合してるってことですか?」
「そうだ。……急な話で本当に申し訳ないと思っている。けれども、僕たちは君に協力してもらって、レシピエントのために複製臓器を作りたいんだ。つまり君は、ドナーの候補者として未来に呼ばれた」
院長の瞳には曇りがない。やはり、おそらくこの人は嘘をついていない。
だからって、タイムスリップなんて本当にあっていいのか。そんなの物語の中の話だと思っていた。
それにそもそもこういう物語のような展開には、そうなるべくして選ばれたような華々しい人が相応しいのではないのか。
そう思っていたのに、まさか僕みたいな、どちらかというとあまり目立たないタイプの普通の高校生が、こんなことに巻き込まれるとは。
そう考えていると、院長が陸の手を取った。
「無事に終わったら、ここで過ごした記憶もすべて消して、君がいた100年前の、元の時間、元の場所に必ず戻すと約束する。……君の細胞で助かる人がいるんだ。どうか、僕たちを信用して、協力してほしい」
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