タイムスリップ・ドナー ~100年後の未来で過ごした僕の短い夏~

水帆

第1話 知らない街

 気が付くと、大きなしゃぼん玉のような球体の中に身体が浮かんでいた。

 

 しゃぼん玉のまわりで、光がせわしなく明滅している。速すぎて色の混ざった残像のようなものしか見えない景色がびゅうびゅうと行き交っている。タイムラプス映像みたいだ。 

 ここはどこだろう。巨大なジェンガを積み上げては崩し、また積み上げては崩すように、まわりの景色が変わっていく。

 

 夢を見ているのだろうか。何も音がしない。身体を包むしゃぼん玉は儚く美しい虹色を帯び、外の慌ただしさなどまるで自分には関係ないというように、悠然とたゆたう。

 

 すると何の前触れもなく、とてつもなく強い光に包まれた。すべてが白の中に消えて見えなくなる。

 そしてそのまま意識が途切れた。



  

 白い天井。

 少し硬めの肌触りのシーツが触れる。

 ああ、やっぱりさっきのは夢か。

 

 まだ眠いが、窓の外が明るい気配がする。もしかして寝過ごしたのだろうか。時間を確認しようと、ろくに目が開かないままスマホを探して手を伸ばすが、どう頑張ってもベッドのサイドテーブルに手が届かない。

 

 顔を上げて眠い目をなんとか開けると、あるはずのサイドテーブルの代わりに無機質な金属のポールが立っていた。

 

「……」

 

 なんだこれ。

 ポールに沿って視線を上げていくと、薬剤のようなビニールバッグがぶら下がっている。

 

「……点滴……?」

 

 呟いた声がやけに掠れている。

 点滴から垂れ下がるチューブを視線で辿ると、驚くべきことに、この点滴は自分の左腕に繋がっていた。

 

 思わず飛び起きる。何の点滴だ、これは。

 いや、そもそもここはどこだ。


 見回すと、ここは病院の個室のように見える。ワイヤーむき出しの素っ気ないベッド、点滴、木製の収納棚、ビニール貼りの小さな丸椅子。窓にかかるライトグリーンのカーテンは開いていて、窓の外に青空が見える。

 

 もしかしてまだ夢の中にいるのだろうか。

 しかし妙にリアルな消毒液の匂い。弱い冷房の空調音がする。

 

「なんで病院に……?」

 

 布団をどけて身体を確認したが、怪我はしていない。特に体調も悪くない、と思う。

 

 ではなぜ病院にいるのか。今日どこで何をしていたか記憶を辿る。

 そうだ、今日は夏期講習に行って、その後バイト先に向かった。向かったが……その後はどうなった。なぜか頭にもやがかかるように記憶がはっきりしない。

 

上穂木かみほぎさーん、失礼します」

  

 急に部屋の外から声がして、看護師らしき姿の若い女性が、個室のドアをノックして入ってくる。

 

「……あっ!」

 

 ベッドの主が起きているとは思わなかったのか、看護師の女性は小さく声を上げると、すぐにドアの裏に引っ込んだ。

 

「師長! 上穂木さん、目が覚めました!」

 

 看護師が小走りでどこかに向かう音が、ドアの外から聞こえた。


 

 その後、先ほどの若い看護師が、師長らしきひっつめ髪の、恰幅のいい中年女性を連れて戻ってきた。

 

「無事にお目覚めになってよかったです。ご自分のお名前は分かりますか」

「上穂木 陸です。あの、ここどこですか」

「後でご説明しますね」

 

 師長は薄いバインダーのようなものを取り出し、陸とは目を合わせずにテキパキと進める。

 

「まずはいくつか確認させてください。生年月日と年齢は」

「2008年5月2日生まれ、17歳です。あの、僕なんで病院にいるんでしょうか」

 

 ほんの一瞬、師長が看護師と視線を合わせたのが見えた。

 

「……心配になりますよね。大丈夫ですよ。後でご説明しますから」

 

 師長が、少し口調を優しくしてそう言った。

 そこから一通り、体調についての状態確認らしき問答が行われ、見たことのない金属製の器具を腕に付けられて何か検査をされた。点滴も外された。

 

 空気を読んで黙っていることは得意な陸だが、さすがにこの状況は落ち着かなかった。ここがどこなのか、なぜここにいるのか、何故すぐに答えてもらえないのだろう。行き場のない焦燥感が、じわじわと胸までせり上がってくるように感じた。


 

 じきに、40代前半くらいの背の高い男性がやってきた。白衣姿にくしゃくしゃの癖毛、人のよさそうな顔、少し顎髭が生えている。まだ若そうだがこの病院の院長らしい。名札には「煙草谷たばこたに」と変わった苗字が書いてあった。

 

「僕から話すから」

 そう言われて、師長と看護師は個室から出ていった。

 

「驚かせてしまってすまないね」

 

 院長は柔らかい物腰でそう言うと、窓際の小さな椅子を引き、深く腰掛けた。

 

「どう? 気分は。具合の悪いところはない?」

「ない、と思います」

「それはよかった」

「あの。僕どうしてここにいるのか全然覚えてなくて。どこか悪いんですか?」

 

 院長は陸の不安を察したように、少し微笑んだ。

 

「君は健康だよ。どこか悪いところがあるわけではないから、安心してほしい」

「あ、そうなんですね……よかったです」

 

 陸は安心して一瞬気が緩んだが、はたと気付く。

 

「あれ……じゃあ僕、どうして病院にいるんですか?」

 

 院長は少し俯いて、椅子に浅く座り直した。

 

「上穂木くん、きっとまだ混乱しているだろうから、すべてを理解するのは難しいかもしれないけれども、君の今の状況ーー君の置かれた環境について、話してもいいかな」

 

 陸は、院長が言葉を選びながら話していると感じた。何か良くない状況なのだろうか。戸惑いながら頷いた。

 

「少し立てるかい?」

 

 院長に腕を支えられて、窓際で立ち上がる。

 すると、今まで青空しか見えていなかった窓の、その下に広がる街の景色が初めて目に入った。

 

「えっ。ここは……?」

 

 思わず窓枠に手をかける。

 窓の外には予想外に、全く馴染みのない景色が広がっていた。

 

 まず目に入ったのが円柱形の高層ビル群。黒い壁面を持つ同じ形のビルが、まるで軍隊の整列のようにいくつも等間隔にならんでいる。

 その手前には、バウムクーヘンのように真ん中が空いた巨大な円形建造物群がずんぐりと並び、他にもあちこちに球形やドーム型の建造物がある。


 建物はほとんど黒一色で、それぞれの建物の上部や根本あたりには、植物だろうか、ところどころに緑色っぽいところがある。

 それらの建物の隙間を、何か丸っこいものが縫うように飛び交っている。

 

 さらにこの街の異質さを際立てているのが、この街をぐるりと囲むように立っている白い巨大な壁だ。壁は威圧的に感じるほど高くそびえ、街全体が要塞の内側にあるかのようだ。

 

「ここ……どこですか?」

 

 この街に漂う潔癖なまでの統一感が、ここが計画的に作られた街であることを感じさせた。

 

「東京だよ。ここは日比谷だ」

 

 並んで窓の外を見ていた院長が、陸を見た。

 

「今日は、2125年8月2日。君が生きていた2025年の『100年後の未来』だ」

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