間章6:とある暗殺者未満の周辺に起きた変化1
あたしの名前は、プーテ。十二歳、女。
見てくれは良いらしくて、貧乏だった家から、教会に売られた。教会でも下っ端の方の連中の慰み物にするのではなくて、ここぞという時に教会の為に身を投げ出して標的を籠絡したり、無理なら殺したり出来る存在になるよう、何年も時間をかけられて育てられた。
一応、純潔は守られた。教育官とやらのおっさん連中にほとんど好き放題にされてきたけど、その一線だけは守られた。いざという時の使い道を減らさない為だけに。
もうすぐ13を迎える頃になって、初潮も迎えた。そして、あまり望んでなかった出番も巡ってきてしまったようだった。
私や似たような役目を期待されてる年頃の女の子達が集められ、監督官と呼ばれてる中年男、クレイジオから告げられた。ちなみに、見目が良くて、私達をそういう目で見てこないし、柔らかい態度で接してくれるから、勘違いした娘が年に一人か二人くらいは出るのだけど、彼は幼目な少年にしか興味が無いだけで、だからこそ私達の管理を任されていて、注意されても態度を改めないような娘はすぐに姿を消して二度と現れる事は無かったので、古株な私達の間では、クレイジオに懸想するようなバカは一人もいなかった。
「お前達の標的が決まった。デモントの聖都、フィティ・ベリーを滅ぼした神敵カケルだ」
何人かの顔馴染みがいろんな反応を示した。ニヤリと笑うようなのも、歓迎するように微笑みを浮かべるのも、無表情を装いながらも手をぎゅっと握るのも、その場に跪いて神に祈りを捧げるのもいた。
あたし?
あたしは、まあそうなるだろうな、と予測してたし、どうでもいいかなと思ってたから、特に反応しないでいたら、クレイジオの視線が私を向いて、目と目がばっちり合ってから言われた一言に驚いた。
「カケルは、名目上、旧ジョーヌ大公領と旧デモント教国領を併せた新選定侯として立てられるそうだ。こちらに本拠地は置かないそうだが、それでも接触の機会は訪れるだろう。お前達に与えられる役目は言うまでも無いが、相手も相当に用心深いらしい。すでに複数人の王侯貴族レベルの姫達を娶る事が決まっているので、色仕掛けにもあまり動じない可能性がある。
そこで、カケルの強みや弱みを探りつつ、ある程度の信頼関係を築いていく事が重要になる」
「すぐに殺さないのですか?」
私の隣にいた、褐色の肌と黒髪を持つ、イギーラが質問した。なぜ、最初から殺そうとしないのか、それ以外の選択肢を考えるヌルさにイラついたように。
「相手が単なる色ボケした年頃の少年なら、お前達の手を借りるまでも無い。普通の暗殺者で用は済む。そうは考えないのか?」
「しかしそういう状況に持ち込んでしまえば、機会ややり様がいくらでも」
「それが己の不遇を嘆いているだけの無力で女に飢えた男ならな。だが、カケルは真逆だ。ドースデン帝城の倉庫を何度でも溢れさせるくらいの食糧などを収めながらも、金品などの対価を要求していなかったらしい。地位などの権力も、妃候補も、ドースデン帝国から申し出させた。それくらいの余裕を持つ相手だと思え。
それから、複数のダンジョンを一日で制覇するような能力も持っているらしい。お前達にそれが出来るか?いや、カケル以外の誰にも出来まい。だからこそ、慎重に動き、警戒心を抱かせてはいけない。
これは、その為の人選だ、プーテ」
まあ、これだけガン見されてれば、どんな鈍い奴だって分かるしね。
あたしはため息を吐きたいのをグッと堪えて、見かけだけの笑みを浮かべて、殊勝に見えるかも知れないくらいの丁寧さで、クレイジオに首肯の返事をした。
「かしこまりました、クレイジオ様。この身は教会に売られて育てて頂いた身。受けてきた恩義の分はお役目を果たします」
この返事と態度には、周囲の何人かの娘達から肌の下まで刺し込んでくるような殺気を感じたけど、クレイジオは顎に手をやりながら頷いていた。
「そうだ。お前のその緩さが、カケルの警戒心を潜り抜けるかも知れん」
でも、納得がいってない子が何人もいて、彼女達を代表する様にイギーラが抗議した。
「恐れながら申し上げます。確かにプーテの適当さは、特にデモント教徒を警戒するだろうカケルやその関係者の警戒をすり抜けるやも知れません。しかしそれは、プーテが本気で役目を果たそうとはせず、韜晦し続ける言い分を与えるだけに終わるかも知れません」
「それは我々ももちろん考えてはいる。だからプーテ一人ではなく、もう一人、プーテの側に控え、教会の者との連絡役などを務める者を選ぼうと考えてはいるのだが、これが難しくてな」
「では、是非とも私を!」
イギーラだけでなく、あたし以外の女の子全員がクレイジオを取り囲んで猛烈にアピールし始めた。クレイジオがドン引きしてるのが、あたしには分かったけど、彼女達には分からなかったらしい。
そういうとこだぞ、とか考えてた時、何かが天井を突き抜けて、降り注いできた気がした。
雨漏りとかではなく、極細の光の欠片の様な何か。
あたしの体も通り抜けていったけど、何の変化も感じなかった。
今のはいったい何だったの?とか不思議に思ってると、クレイジオと、彼を取り巻いてた女の子達が戸惑いの表情を浮かべていた。私をお選び下さい!とクレイジオに詰め寄っていた女の子達が一人残らず静かになり、どうしてそんな事を言ってたのか、自分でも分からないといった感じになった。
クレイジオも女の子達の変化に驚いてたけど、彼自身にも似たような変化は起きたらしくて、女の子達の変化について問いただす余裕も無かった。
そうこうしてる内に、さっきみたいな光の欠片が何度か降り注いできて。
ある子はその場にしゃがみ込んでただ呆然としたり。ある子ははしゃぎ回ったと思ったら扉から出て行ってしまったり。泣き出した子も、笑いが止まらなくなった子も、それぞれの突飛な行動を誰も咎めたりはしなくて。
クレイジオも我が身に起きた変化が信じられないのか、
「あなた達は、自由です。ここに残るも、去るも、好きにしなさい」
そう言い残して去ってしまった。
あたし自身は変化を感じてなかったので、側で膝を抱えて蹲(うずくま)ってるイギーラに訊いてみた。
「イギーラ、大丈夫?」
「大丈夫じゃない。というか、どうしてあなたは、何も起きてない様なフリをしてるの?」
「フリじゃなくて、何も起きてないからじゃないかな。あなたには、何が起きたの?」
イギーラは、信じられない存在を目の当たりした様にびっくりしてたけど、そう言われてもね。
何となく、これまで以上に、教会組織がどうなってしまってもいいような感じはしたけど、些細な違いだった。
「・・・何もかも、どうでも良くなってしまった。私には、それしか無かったのに」
「何もかもって、どういう事?」
「私が教えて欲しいわよ!教会も、任務も、カケルという神敵さえも!何か唐突に、どうでも良くなっちゃったのよ・・・」
あー、と小さくぼやいた。たぶん、あの天から降ってきた光の欠片が原因なんだろうな。他の誰も気付いてなかったみたいだし、あれが何だったのかあたし自身にも分からなかったので、口には出さないでおいたけど。
何となく、そんなとんでもないことが出来るとしたら、大聖堂を空に浮かべて落としてデモントの聖なる都を滅ぼしてしまった誰かさんくらいしか思い浮かばなかったけどね、うん。
逆に、彼に対して、興味が湧いた。
目の前で途方に暮れてるイギーラにも少しだけ借りがあったので、誘ってみる事にした。
「何もかもどうでも良くなっちゃったって、これからどうするの?」
「分からない。そう言うあなたはどうするのよ?」
「特にやりたい事も無いし、さっきも言ったでしょ?売られた身とはいえ、それなりの生活はさせてもらってきたからね。その分の恩は返しておこうかなって」
「お役目は、どうするの?」
「殺せとかは無理そうだから諦めるけど、仲良くなって情報を集めろ、くらいなら出来るかも知れないし。イギーラも一緒に来る?」
「・・・私が一緒だと、お前の足を引っ張ってしまわないか?」
「ついさっきまでの、殺気が
「ならば、一応、クレイジオ様に話を通してから行こう。私達には、先立つ物が何も無いからな」
あたしにも反対する理由は無かったので、クレイジオさんに話をつけに行くと、逆に驚かれてしまった。お前がそんな献身を望むなどとは、って。いや献身って訳じゃ無いんです、単に、やる事も他に無いからそうするだけでって言ったら、妙に納得されてしまって。
それはそれでどうかと思うけど、当面のお金とかは必要なだけ分けてくれるし、帝都に行くなら馬車や護衛も用意するし、ここで当分暮らしていても構わないと、ありがたい言質をいくつももらえた。
ちょっと街中の様子を覗いてみてきたけど、そこら中が今までは有り得ない酷い光景がいくつも起こってた。
まだ真っ昼間なのに、あちこちで露店やお店が強盗されたり、女の人が襲われてたり、しかも取り締まる側の筈の教会の憲兵さん達までそんな暴行に加わってたりで、うろつくにはかなり危ない状況になってたので、すぐに引き返した。
私達が居住してるのは、大司教直轄の修道院という扱いでこれまでなら最も安全な筈の場所だったけど、出掛けてから戻るまでの短い間に二度も襲われかけてイギーラに助けてもらったし、修道院の敷地内に押し入ろうとしてた連中は、中高年の尼僧兵さん達が嬉々として撃退してくれてた。いや勢い余って外まで狩りに出て行かなくても良さそうだけど、止めはしなかった。
これはしっかり計画立ててちゃんと逃げ出さないと無理そうだという事で、クレイジオさんに改めて相談。彼も、彼お抱えの男の子達のことは心配になったようで、今は治安が安定していると聞く帝都にまで一緒に向かう事になった。あたしは、デモント教を代表してカケルに仕える存在として紹介される事になり、イギーラは私の付き人という扱いになって。
元々ある程度は準備されていた事もあって、幾つものトラブルに見舞われながらも何とかまともに動ける人を集めて脱出はできた。
帝都への道中で、盗賊というか何もかもから解放されてしまった様な信徒達に襲われたりもしたけど、何とか撃退したり逃げ切ったり。
ただ、もうすぐ旧デモント選定侯領を抜けるって辺りで大規模な盗賊団が待ち構えてて、そこには教会の兵も混じってたりして、後戻りして逃げようにも退路もすでに塞がれてて。
金目の物も命も女も全て置いてけ、って感じで数十人の男達が一斉に襲いかかってきたので、流石に死を覚悟した。んだけど。
「ぎゃあああああっ!」
て叫び声を盗賊達が上げてて、空を見て逃げ惑い始めたから、何かと思ったら
「ワイバーンね。でも、どうしてこっちを守ってくれたのかしら?」
イギーラの疑問は当然だったけど、答えが分かる訳も無くて。
呆然と見守る内にも十頭のワイバーンに盗賊達は追い払われて、特に大きなワイバーンに乗った誰かが降りてきて、噂のカケルかもと思ったけど、おじさんだし、カケルは黒髪黒目とも聞いてたから違った。
アガラと名乗ったその人は、あたしをどうしてだか指名してきたので、あたしが出るしか無くなって。少し怖かったのでイギーラにもついてきてもらった。
「私がプーテだけど、ですけど、どうして、私を?助けてくれたのはありがとうございますなんだけど」
「初めまして。アガラと申します。私はミル・キハ公国にも仕えていましたが、今はカケル殿というか、この大陸の今後の為に動いておりましてな。この度は、あなたがデモント教を代表する立場でカケル殿に侍る為に移動中で、ここで危機に陥る未来が見えたもので、駆けつけてきた次第です」
「未来が見えたって、預言者ってこと?」
「おおよそ、その様な物です。一応、カケル殿の知己でもありますし、このワイバーン達は、カケル殿の第一妃となる予定のポーラ姫の眷属達をお借りしてきました」
その言葉の真贋は、そのワイバーン達が実際に影に潜ってみせてくれた事で本当だろうと見当が付いて。
一応、クレイジオさんやイギーラにも相談した上で、アガラさんに同行してもらう事になった。
ワイバーン達は目立ち過ぎるので影に潜って同行。帝国直轄領側は概ね平穏だったけど、元デモント選定侯領から盗賊の類が大量に発生しているそうで、そちらもポーラ姫の眷属が追い払ったり駆除してくれてるそうな。
「あなたが動いてるのは、カケル・・・様の意向なの?」
「敬ってないのに、敬ってるふりは不要です。口調も砕けたままで構いませんよ。それで、別に彼の意向を汲んだ訳ではありません。私は私なりの意思があって動いているだけです」
「じゃあ、普通に話すね。そうは言っても、カケルの手助けをしてるんじゃないの?」
「・・・あなた方もある程度はカケル殿の情報を聞かれているでしょうが、彼は、この世界の創造神によって、異世界から呼ばれた人物です。この世界を諦めかけている神が、その気持ちを覆せるかも知れない存在として」
「それって、神敵なんて存在じゃなくて、逆だよね?」
「逆でしょうな。これからカケル殿と話す機会もあるでしょうから直接確かめられるでしょうが、彼は、好きな様に振る舞い、この世界を楽しんで欲しいとだけ頼まれたそうです」
「この世界を救って欲しい、とかではなく?」
「この世界をどうするか、それは神の御意志だけで決まります。救いたいなら救い、終わらせたいなら終わらせる。それだけの存在です。カケル殿も純粋にその意思を受けて動いている様ですよ」
「デモントの領都を滅ぼしたのは?」
「それだけの理由と契機があったからです。詳しい話は、彼と、それと最も相応しいだろう人物からあなた方にも伝えられるでしょう」
「わかった。楽しみにしておく」
その後は、帝都まで何事も無く旅路は続いて、足掛け五日で帝城の門を潜り、真っ直ぐ皇帝陛下とカケルとご対面となった。教会組織への拘りを無くしてしまってるクレイジオさんでも一応は帝都にある教会に先に立ち寄ることを主張したけど、ちょうどカケルが帝城に来てて彼に会う事以上の優先事項なんて無いと言われればそれもそうだなと思えたので同意して、一応は旅路の埃を落として身だしなみを整える時間が与えられた上で、面会する事になった。
皇帝陛下と家臣がずらりと並んだ場では無くて、私的な面会に使われる部屋で、皇帝陛下でもある老女のプロティア様と、カケル、それからもう一人の年頃の女性がいて、その女性だけがあたしを睨んでたきたけどそれは無視して、皇帝陛下とカケルに対してだけお辞儀して挨拶した。
一応、教会のお偉いさんとか、貴族の下に派遣されることも想定されて仕込まれてきたから、それなりの挨拶をして、皇帝陛下も慇懃な感じで返してくれたけど、カケルは、偉ぶったところなんて皆無で、何というか、私と同じ感じで、何に対しても拘ってるようなところが感じられなかったのが、好印象だった。見かけが平凡なのは、まあそんなもんだろうなぁと思ったし。黒髪黒目が忌み子とかってのも、あたしにはどうでも良かったし。
カケルは、私の容姿には少し関心を寄せたというか驚いてたけど別に言葉では触れずに、手とかでも触れようともしなかったけど、私達がどこにいて何があって、ここに来る事になったのかの方に関心があって、その話の方がずっと長かった。
それはそれで少しムカついたし、私をずっと睨んできてる女もうざかったので、当てつけるように訊いてみた。
「それで、私がお側に侍るのは、許して頂けるのでしょうか?」
「んー、ぼくやぼくのお嫁さん達とかに何も悪さとかしないなら、ね」
「私からはしないでしょう。教会への報告程度はお目溢しして頂ければ助かりますが、送る前に内容を確かめて頂いて構いません」
「暗号とか使われたらどうしようも無いけど、直接的に何かしてくるんでなければとりあえずは構わないよ。
だけど、君からはしないっていうのは?ぼくのお嫁さん達は、みんな仲良くって絶対の決まりを守ってもらう事になってるよ」
「カケル様。この者も娶るのでしょうか?」
「ピージャ。それは、この子がそれを望むかどうか次第だよ。それに、年齢的にまだ何年か先の話になるし、将来気が変わったとしてもぼくは気にしないし」
「どうなのですか、プーテ?」
いかにもお高くとまった大貴族のお嬢様という感じがとても気に食わなかったので、喧嘩を売る様に、口調は穏やかに、返事をした。
「カケル様にはすでに大勢の美姫の皆様が嫁がれる予定と聞いております。私が嫁げるとしても、カケル様のお許しと、成人するまでの二年以上の時が必要でしょうが」
私はゆっくりとカケル様の正面に歩み寄り、その両手を握り込んで、頼んでみた。
「お許し頂けますか?」
「別にいいよ。プーテがそう望むのならね。だけどさっき言った通り、みんな仲良く、を守れる?」
「私は守れます。他の方はどうかわかりませんが、私は守ろうとするでしょう」
そしてピージャとかいう、旧ラルクロッハ帝国の末裔らしいお姫様、いや血統だけはお姫様をチラリと見てやった。その顔が一瞬で真っ赤になったのを見て、胸がスッとした。ザマアミロ、と。
でも、そんな感情が表情にも出てしまってたのか、おでこをピシッと指で弾かれてしまった。
「痛!・・って、何するんですか!?」
「アガラさんから聞いてるよ。君はもっと普通に話すのが地の子だって」
「そちらの方が宜しければ、切り替えますが?」
「好きにしていいよ。だけど、プーテをお嫁さんとして受け入れるかどうかは一旦保留で」
「なぜですか?私を一目見るなり睨みつけて敵意をぶつけてきたのは、ピージャ様が先でした。私はまだ何もピージャ様への感情も持っていなかったというのに」
「それはじゃあ、ピージャもダメだったね。こらっ!」
カケルは、中指を親指で弾いて、ピージャにも同じ罰を与えた。これでまたカケルへの好印象は増した。
「プーテは、デモント教を代表してぼくに仕える立場になるなら、ピージャ以上に危険な立場になるって分かってる筈だよ?少なくとも、ピージャから敵視して良い事なんて無い筈じゃ?」
「それは、そうなのですが。カケルの所領になるかも知れない地域に予防措置をして回ったというのも聞いておりましたし、その効果もプーテ達からも聞いたばかりなのですが、どうしても、まだ不安が残りますので」
「そこはもうある程度は信頼していくしか無いよ。どうにかされようとしても、こっちも防ぐ手立てを用意してるんだし」
「・・・・はい。わかりました。プーテ、ごめんなさい。カケル様を独占できないというのは分かっていた筈なのに」
素直に謝ってもらえるとは思ってなかったので、驚いた。礼には礼をって事で、あたしも謝っておいた。カケルへの印象を悪くして得は無さそうだったしね。
「いえ、私も子どもじみた振る舞いをしてしまい、申し訳ございませんでした。それはともかくとして、カケル様」
「カケルでもいいよ」
「皇帝陛下や他にもやんごとなき方々がいる前では控えておきます。あなたが、その所領となる地域に行ったという予防措置について詳しく聞きたいのですが」
「構わないよ」
ダンジョンのクリア報酬を色々いじって、それでこれから彼の領地で障害となるかも知れない人々の、様々な執着を切ってしまったらしい。あたしが見た空から降ってきたキラキラした光の何かは、それそのものだったみたいだ。
いろいろとツッコミどころが多くて、軽く目眩を覚えたけれど、先ず聞くべきはこれかな。
「一度切った何かは、戻せるんですか?」
「将来的に何らかの手段を見つけられるかも知れないけど、今のところ多分無いし、ぼくも探すつもりは無いかな」
「殺し殺されるかも知れない関係になるよりはマシだからですか?」
「だいたいそんな感じだよ」
「・・・あなたがデモント教の象徴でもある大聖堂を空高く浮かべて領都の住民ごと滅ぼしたって聞いた時も、その人の頭の中身を疑いましたが、今回のでさらにその疑いを強めました」
「プーテ、口が過ぎます」
「いいよ、ピージャ。人によっては、信仰とかが命よりも重かったりするしね。他人からすればどうかって疑うような思いとかでも、その人にとっては何よりも大事で、切り離してしまえばその人の人格とかが保てなくなるようなことも往々にしてあるだろうし」
「そこまで分かっててどうして?あなたがあなたの安全の為に予防措置とやらを施した住民達は、それまでなら考えられない様な蛮行に及ぶ様になっていました。あなたの責任です」
「そうだろうね」
「開き直るんですね」
「うん。別にデモントの領都とかだけじゃないよ。カローザでも王城ごと王族をほとんど根絶やしにしたりもしたし。話せば分かり合えるなんて嘘だって分かってるもの。君だってそうじゃないの?」
それは、正直、分かっていた。
だから、そこは正直に頷いておいた。
「さっきも言った通り、ぼくの側に侍りたいかどうかも、ぼくなんかのお嫁さんの一人になりたいかどうかも、ほとんど全部君次第だよ、プーテ。幻滅したり、ぼくを殺したいとか思ってるなら止めておいた方がいい」
話してて分かったのは、この人は、別に、誰かを殺す事を楽しんでる訳じゃないし、殺す為に殺してる訳じゃ無いけど、そうするだけの理由があれば躊躇わないってだけの事。命より大事な何かを奪うことも躊躇わない。理由があれば殺していいのかっていうのはまた別の問題としてあるだろうけど。
私がまだ悩んでると、あの高慢なピージャが躊躇いがちに声をかけてきた。
「別にあなたにこんな話を聞かせてあげる理由は無いのだけど」
「じゃあ話してくれなくていいです」
「聞きなさいよ!」
「はいはい、お好きにどうぞ」
私の隣ではイギーラとクレイジオさんがハラハラしてたけど、どうとなれだ。
私はほとんど何にも執着していない。だからこそ、予防措置とやらの影響を受けずに済んだのだろうけど。
「あのね、私には、私の外見や血統とかに執着して、ずっと求婚してきてた奴がいたの。何度断っても諦めなくて、旧ドースデン王国領を預かるドースデン選定侯なんだけど」
「自慢ですか?」
「そんな訳無い。あなただって、言い寄られる誰でも受け入れてきた筈は無いでしょう?」
「それはそうですけど。それで、何が言いたいんですか?」
「ドースデン選定侯のディトラートは、自分を皇太子にしろって皇帝陛下に訴え続けててね。すでにヴィヴラ様に決まっていて覆らないと陛下に何度言われても諦めず、勝ち目の無い政治工作に勤しんでた愚か者なの。そんなのに付き纏われて、あなたなら嬉しい?」
「有り得ないですね。私にも、自殺願望は無いので」
「私にも無いわ。それで、カケル様に嫁ぐと私が決めた事も受け入れられず、私と話をさせろって帝城まで来たのよ。皇帝陛下は、最後の説得の機会を与えると決めてて、その説得もディトラートは受け入れられなかった。自分は悪くない。自分が望む全てを与えられるのに与えない方が悪いに決まっていると。お粗末だけど、クーデターもどきの準備までしてたわ。全部事前に見抜かれて潰されてたけれど、彼だけはその事実を知らされていなかった」
「それで、その愚か者はどうなったの?」
「皇帝陛下がかつての親友から託されたのがディトラートで、陛下はクーデターを企むような彼をそれでも処刑するには踏み切れなかった。そこでカケル様から執着を断ち切れる剣の話を聞いて、ディトラートは切られたわ。私への執着と、皇帝位への執着を」
「・・・・・」
「それで彼がどうなったかと言えば、別人になったわ。執着を断ち切られても、記憶が無くなる訳じゃない。彼は執着を断ち切られて初めて、自分がどれだけ自身を危うい立場に追い込んでいたのか、殺されて当然な存在になっていたかを自覚出来たの。
私にも、カケル様にも、皇帝陛下にもヴィヴラ殿下にも、心の底から謝罪して、どんな処分にも従うと自分から申し出た。これまでの彼なら、有り得ない態度だった」
「そのディトラートが心を改められたのは分かったわ。その話で、あなたは私に何が言いたかったの?」
「確かに、人の心の執着を切るというのは、とても重い行為よ。その人となりを変えてしまうのだもの。でも、それで確かに救われた人がいる。ディトラートの件で言うなら、少なくとも私は心配事が一つ確実に消えたし、それは皇帝陛下や皇太子殿下も同じ筈。そして何より、ディトラートは彼自身を救えた。それが彼自身の判断で無かったとしてもね。彼には今後お目付役が付けられるそうだけど、そんなに心配しなくても大丈夫でしょう。そして、同じ事は多分、今後カケル様の領民になる誰かにも言えると思うの」
「あなたが言いたい事は分かったわ。確かに大規模に虐殺されていく事は無くなった。それは救いかも知れない。それでも、教会の教えの執着から切り離された人が別の誰かを襲ったり殺したりするような事は、救いじゃないし、それはカケルが執着を切り離さない限り起こらなかった」
「その場合は、悲しいけど、みんな揃ってどの道死んでもらうしかなかったと思うよ」
「カケル、あなたは正直なのですね。その率直な言葉には頷くしかないのですが」
「ぼくは神様じゃない。もしかしたら、みんな殺さないで済むような道があったのかも知れないけど、それは何度人生をやり直しても見つけられないくらいの厳しい道のりだったと思う。ぼくはこの世界を救って欲しいなんて神様に頼まれてない。この世界を楽しんで欲しいっていうのと、諦めないでって頼まれただけ。だから、ぼくは、ぼくなりに楽しんで、出来る事はしてるつもりだよ。土地枯れの解決手段も見つけたし、その発端になった呪われた地も浄化してきたし、ドースデン帝国に行き渡るくらいの食糧の当てもつけてる。それでも、まだ足りない?」
「あなたに、足りない、などと言える人は、誰一人としていないのでしょうね」
帝都に辿り着くまでの間に、カケルがどんな偉業を為してきたのか、アガラさんからも聞かされた。ドースデンの総勢十万に及ぼうとする軍勢をほとんど誰も殺す事無く、食糧さえ与えて追い返してみせた。カローザの王族や、マーシナに侵入した傭兵やガルソナの兵、キゥオラに侵攻したイルキハの兵とかには容赦しなかったけど、それぞれにそうされるだけの何かを既にしでかしていたか、しでかそうとしていた。
派手に殺している場面もあるけど、その比ではないくらいに救ってもいるし、これから救われるだろう人の数で言えば、多分誰も及ばない。
そんな事は分かってる。それでも、特に何の拘りも無かった筈の自分の中に、執着に似た何かが生まれているのを感じた。
「あなたが感じているだろう何かに対しても、カケルは配慮していますよ」
「誰っ!?」
ついさっきまではいなかった筈の誰か、というにはインパクトが強すぎる、いわゆる半透明な幽霊が目の前に現れていた。
「カケルが予防措置を施した都市や街や村で治安が救いようが無いほどに悪化しないよう、ポーラ姫の眷属達がほぼ総出で取り組んでいます。人々は今、長年自分達を縛ってきた鎖から解放されて浮かれているだけ。そんな開放感が同時に何をもたらすのか気付いて行けば、自然と落ち着いていきます」
「いろいろ聞きたい事はあるんだけど、あなた、誰?」
「私は、そうですね。土地枯れの原因となった契機を作った人物ではあったでしょうね。加害者側ではなく、被害者側ですが。カケル、一つ頼まれてくれませんか?」
「何?」
「この娘を、あなたの関係者を集めているキゥオラの離宮へ、あなたの妃候補などもまとめて集めて頂けませんか?この娘と、その付き人らしき娘も含めて」
「ん〜、構わないけど。じゃあ、プロティアさん、そういう事になったので、今日はこれで失礼しますね」
「わかりました。旧デモント選定侯領には、皇帝直轄領や余裕のある選定侯領からも治安部隊を増発させます」
「お手数おかけしますが、よろしくです」
「いえ、あなたが領主となってから起こる筈だった事を、よほど規模を縮小して前倒しして頂いただけですので、お気になさらず」
「そう言ってもらえるとありがたいです。じゃ、行こうか」
「行くって、空を爆音と共に駆け抜けるのですか?」
「それはまた別の機会で。今回は何人もあちこちから連れて行かないといけないしね」
カケルがピージャと私の手を取り、イギーラには私の肩に触れさせたかと思うと、次の瞬間には目の前の景色が変わった。
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