間章2:ポーラとイドル

 カケルが寝室のドアを閉じ、鍵をかけ、ベッドに倒れ込む音がかすかに響いてから後。

 ポーラの部屋から廊下に通じるドアに手をかけたイドルに、ポーラは問いかけた。


「イドル姉、本気なの?」

「あら、どうして疑うの?本気も本気よ。たぶん、あなたと同じか、それ以上には」

「・・・だって、アルクス兄とは、比較にならないじゃない」

「そうね。外見や、これまでに築いてきた思い出の量とかから言えば、比べ物になる訳が無い。でもね、人はそれぞれ違うの。特に、死んでしまった誰かとなんて、意味が無い以上に、失礼だわ。比べようとした両方に対して」

「でも、イドル姉は、とっても甘い人に見られがちだけど、そうじゃないのも、私は知ってるから」

「・・・どうしてそうなったのかも、あなたなら知ってるでしょう?昔、そんな話をした事もあったし。一度ならずね」

「うん。アルクス兄の人の良さが危う過ぎるって、話だったよね。

 あの時、私は、夢見る乙女なんかじゃ無かったんだと知って、イドル姉が少し怖くなったんだよね」

「怖がらせてしまったみたいで、ごめんなさいね。

 でも、アルクスは、人の善性をどこまでも信じようとした。それは人となりとしては良い事よ。でも、キゥオラの次代の王としては、危う過ぎる資質だった。

 マルグが決して諦めていないことは、私を見る目から明らかだったのに、私の抱いた危機感を、同じくらい深刻に捉えてくれないまま、あの人は死んでしまった。あの人自身の甘さに殺されてしまったとも言える。

 私が味わったあの悲惨な日々も、私が彼の甘さを許してしまったせいでもある。その後悔を何度繰り返したか分からないわ。自分が望まない相手から何度も何度も犯されながらね」

「・・・・・」

「翻ってみて、カケルはどうかしら?」

「どう、って・・・」

「あなたも分かっているでしょう?彼は善性のようでいて、容赦が無い。呵責も無い。人の善性なんて物に欠片も縋ろうとしていない。

 彼の目的の為なら、誰が何人死のうが、殺されようが、あなたの眷属にされようが、一切止めない。止めようともしない。

 どうしてだか分かる?彼が、彼のしたい事をしているだけだから。だから、誰にも感謝を求めず、評価される事も求めていない。彼が走って、神様にそれが認められていれば、それだけで十分なのでしょう。

 まあ、年頃の男の子の在り方としては幼く、無邪気に走り回っているだけの子供と同じかも知れないけれど、王族の配偶者としては、とても無害で、有用よ。その人柄も含めて」

「やっぱり、イドル姉は」

「言ったでしょう?王族としての役割を思い出したと。同じような目にあった女性たちをたくさん目にしたと。あなたも同じ物を見た筈よ。女性たちに乱暴する男たちの姿を。そしてカケルもあなたも一切容赦しなかった。とても素晴らしいじゃない?」

「カケルは、イドル姉が言い寄れば、絶対に落ちる。落ちてしまうのはわかりきってる。だから、一つだけ、絶対に約束して。人として、彼を愛して」

「彼は、純朴だものね。それだけを彼が求めるのだとしたら、私は当然応えるわ。私は、国許に戻り、出家もしないとなれば、いずれ、どこかの誰かに降嫁させられる。おそらくは、ガルソナやカローザやミル・キハとの戦いに最も有利になるだろう貴族の誰かを相手に。

 だとしたら、カケル以上に相応しい相手なんていない。いる訳が無い。キゥオラが陥った国難を救い、イルキハを裁きその王家に死を与え、ミル・キハから私を救い、今日はたった一日でガルソナとの国境線で展開していた全ての敵を撃滅してみせた。あなたとだけど、彼だけでもやろうとすればおおよそ近い事は出来たでしょう。死体の再利用が出来ないくらいで」

「・・・・・」

「心配しないでいいわ。彼にも言った通り、私は王女としての立場を捨てられないし、捨てるつもりも無い。喪にも服さないといけない。

 だから、しばらくはカケルと同行するにしても、いずれ彼と離れ離れにならなければいけない期間は生まれる。

 あなたはその間に絶対的なリードを築いておきなさい。彼もあなたを拒絶はしないだろうし。子を宿し生まれる頃には、私の喪もあけているでしょう。

 私は婚約者を殺され、他国の王子に穢された身。あなたの外見が忌み子のものだとしても、その差は絶対に覆らない」

「カケルは、そんなことを、絶対に気にしない。むしろ気を遣ってくれる」

「そうよ。本当に、心の底からね。あの心持ちも私には高評価よ。女は初物しか価値が無いとか思ってる貴族の男は多いしね。

 さて。明日も忙しいでしょうし、長話はこの程度で良いかしら?」


 ポーラは何かを言おうとして、でも言葉にはならなくて、じわじわ涙として溢れ出てきてしまったのを見て、イドルは妹として思っているポーラを抱いて、その背中を優しくさすりながら言った。


「あなたが彼に本気で恋をしているのは分かってるわ。ちゃんと、身を引くべきところでは引くから、私にも彼を分けてちょうだい?あなたからは絶対に奪おうとしないから」

「・・・・・・・それなら。何とか。でも、本気で奪おうとしたら、私は、何をするか、分からないから」

「まあ怖い。でもね、ポーラ。私を殺して行方不明扱いするのはまだどうにか許容範囲内だとしても、彼を殺して眷属にしては駄目よ。それだけは絶対に駄目」

「安心して。彼は殺されたとしてもチェックポイントに戻るだけ。時間ごと。彼は、それだけ、神に魅入られて、気に入られてるから」

「じゃあ、ますます関わり合いになるしか無いわね」

「イドル姉・・・」

「彼の行動によって、世界が終わるかどうかも決まる。彼の好きなように生きる様が、その評価に関わる。だとしたら、私の身の処し方なんてもう決まりきってるの。

 あのね、ポーラ。死んだ方がマシという状況は確かにあるの。そして私は実際死んだ、殺されたような状態になってた。だからもうある意味で、怖いものなんて無いの。あるとしたら、カケルを失い、この世界が終わってしまうことくらいね。

 あなたは違うの?」

「私は違う。世界がどうなったとしても、カケルと私さえいれば、私は満足。それしか望まない」

「うん、我が妹よ。血は繋がってないけど、私と一つだけ約束しなさい。彼を殺してでも、もしくは殺さなくても同様な、隷属させるような事をしては駄目。彼を本気で愛してしまっているのなら、なおさら」

「でも、でも、カケルの目と心が他の誰かにも向けられるのが、嫌なの!」

「あなたも王女でしょうに。しっかりしなさい。あなたが一番彼の側にいるんだから、自信を持ちなさい。彼はきっと、あなたを本当には裏切らないから」

「本当には裏切らないって、どういう事?」

「あなたを捨て去り、何の関心も示さず、関わり合いにもならないようになる事。でも、今の彼からそんなことを想像できる?できないでしょう?」

「・・・・できない」

「だからね。むしろ、あなたが彼を裏切らないよう気をつけなさい」

「私が、彼を?ありえない!」


 イドルは冷静に左右に首を振って否定してから言った。


「彼を隷属させてでも自分一人の物にしたい、独占したいというのは、彼に対する、最大の裏切り行為だと覚えて、忘れないでおきなさい。約束よ?」

「・・・・」

「約束しないなら、私、喪が明けるまでとか構わずに迫っちゃおうかなー。彼、ウブだからすぐに落ちると思うけど?」

「くっ、汚い」

「実際、汚されちゃったからね」

「そういう意味じゃなくて」

「彼を、自分を信じなさい。それじゃ、おやすみ」


 また軽くポーラをハグしたイドルは自身に与えられた寝室へと去っていった。部屋の扉に鍵をかけたポーラは、カケルを起こして迫ろうかどうか僅かに悩んだが、今はまだそこまで焦る必要は無いはずと思い直して、ベッドに潜り込んで眠りについたのだった。

 眠りに落ちる寸前、今日眷属にした元ガルソナ配下の傭兵や兵士達に、国境線付近の偵察や警戒を命じておいた。


 その同じ頃、イドルもベッドに潜り込みながら、幼い頃のポーラの姿と有り様を思い出していた。自身の忌み子としての外見に強い引け目を持ちながらも、それについては諦め、闇属性の魔法を極めようと学習と研鑽に励もうとしていた、可愛い妹。

 血の繋がっている妹もいるが折り合いが悪くて疎遠になっていた。アマリも義理の妹になる予定だったが、良く言っても貴族としての振る舞いに徹していたから、イドルもそれ以上は踏み込まなかった。


 そして何より、ポーラはアルクスに懐いていた。誰にも分け隔てなく接するアルクスに心惹かれ、ほのかな恋心さえ抱いていたと思う。アルクスに会いに行く度に、ポーラに会う時間を設けていたのは、彼女の心情の変化を把握しておく為だった。

 黒髪黒目の忌み子の能力は決して油断してはならない物だったからだ。アルクスと結ばれる身ならば、軽視してはいけない問題だった。


 だから、アルクスとの婚儀の式場に、ポーラの姿が無い事で、まだポーラはアルクスへの想いを諦め切れていない物と思っていたが、カケルと出会った事で、兄への慕情には訣別できたようで何よりだった。

 自身がカケルと結ばれるには、ある程度の時間を置く必要があるだろうけど、ポーラには無い。彼女の好きなようにしても、誰にも咎められない立場にいる。


「頑張れ、ポーラ。応援してるから」


 そう思いつつ、眠りに落ちる間際、もう片方の義理の妹になっていたかも知れないアマリは今頃どうしているのだろうかとも思ったが、ポーラを逃した余裕はあったようだし、彼女は卒なく自身のやりたいことをこなすだろうとも思ったので、意識を手放して眠りに落ちたのだった。

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