ランニング9:夜の森の追いかけっこ

 森に入って、しばらく誰も追いかけてきてない事を確認してから、目的地を示す方角へと進路を変更。


 夜の森を30分近く、ただ黙々と走り続け。

 下草で鳴いている虫の音や、時折響く鳥の声、頬を撫でる風の流れが、伴走し続けてくれました。


 はっはっはっ、という呼吸音。

 落ち葉が積もった森の地面を踏みしめかき分ける、ざっざっざっ、という足音。

 疲れもせず、喉も乾かず、お腹も減らない。

 そんな神様からの恩恵はもちろんありがたかったのだけど、足の平が地面を踏み締め、ぐっとかかる体重を足首がしっかりと支え、足元から太ももまでの足全体の筋肉で加重を支えてる間に、もう片方の足を踏み出し、地面を踏み、蹴り、進んでいく。

 そんな単調な繰り返しを、自分の体で行えてるんだという感動に、ジーンと浸り続けていました。


 木の根に躓かないように気を張る必要はあったけど、木々の隙間はそこまで狭くなかったから、過度に緊張する必要も無かったしね。


 つまり、ある程度慣れれば、会話する余裕も出てくる訳で。

 王都でも会話してなかった訳じゃないけど、兵士達があちこちうろついてたし、抜け出す事が最優先な課題だった訳で、なんでもない雑談できる雰囲気でもなかったし。

 自分一人だけで走ってるわけじゃ無くて、すぐ後ろを走り続けてるポーラを無視して浸り続けて良いわけも無いし。


 でもさ。近い年頃の女の子と二人っきりって言っても、つい数時間前に、兄達が殺し合ってクーデターが起きて、王城や王都で何人が死んだか分からない。自分が見かけただけでも何十人かは死んでそうだったし。


 そんな状況に相応しい話題って何・・・?

 って、考えれば考えるほどきっかけを逃しそうだったので、当たり障りの無さそうな、ふわっとした言葉で訊いてみました。


「あの、その、大丈夫?」


 何が大丈夫なんだと、訊いてすぐに自分に突っ込みを入れました。脳内でだけど。

 彼女も、たぶん受け答えパターンを何通りか検討するくらいの間を置いてから、無難な回答を返してくれました。


「疲れてはないよ。さすが、神様のユニークスキルかな」

「そう、だね・・・」


 うん。予想してたのとは違った方向で答えが来ました。

 クソ雑魚なめくじ以下の会話スキルと、小学生以下の会話経験しか持たない自分には、その答えは突き刺さりました。

 それはもうグッサリと。

 すごいのは、神様がくれたユニークスキル。

 ぼくじゃない。

 そんなのは分かり切った事だった。筈。

 それでもなぜか、少し凹んでしまった自分がいたので、口をつぐんだままでいました。

 余計な事を言わないように。


 二人の間の沈黙に耐えられなくなったのは、ポーラの方でした。

 レベル5までの道程が半分くらいになった頃に、声をかけられました。


「あの、カケル」

「なにかな?」

「いったん、止まってもらえる?」


 いちおう、周囲の気配を探ってみて、特に何かがいそうな雰囲気も無かったので、だんだんと減速して止まりました。


「止まった、けど。休憩したかったの? あ、もしかして」


 トイレ?と言おうとしたけど、


「違うから。ちゃんとお礼言ってなかったと思うから。走りながら、背中に向かって言うのも違うと思ったから、止まってもらったの」


 なんだかもじもじしてるポーラは、可愛く見えました。

 ラノベの表紙や挿し絵とかみたいな非現実的な美少女ではないけれど、どちらかと言えばはっきり可愛い方のポーラの実在感は圧倒的でした。


 年齢は同じくらいで、背丈は自分よりも低いポーラが、上目遣いで、吐息の暖かさが感じられるくらいの至近距離で、かすかに照れたように頬を赤らめながら語りかけてくれるのは、小学生程度の初恋さえ体験していない自分には、破壊力がオーバーキルでした。


「ありがとう、カケル。あなたがいなかったら、王都を抜け出せずに、タミル兄様に捕らわれてたか、殺されてたかも知れない」


 どう返せば良いか分からなかったけど、ラノベ主人公は謙遜するものではないかとも思ったので、こんな風にしか返せませんでした。


「まあ、神様からのユニークスキルとか、何度死んでもやり直せるコンティニュー機能とか無かったら、無理だったろかな」


 ポーラは、何度死んでもやり直せるという言葉に、眉根を寄せました。


「何度も、死んだの・・・?」

「うん。ずっと、寝たきりだったしね。最初はまともに歩くことも出来なかったし」

「そんな状態で何度も死んだというか、殺されたの?」

「うん、まあね。歩くのはだんだんと慣れていったし、片手以上、両手未満な回数かな。色々と試さなくちゃいけなかったしで。これからも何度も死ぬだろうし、あまり気にしないでいいよ」

「人は、普通なら、一度しか死ねないの!だからこそ、死は忌避されるのに。私は、あなたに」

「あー、気にしないで。って言っても無理かもだけど、神様が見せてくれてた通り、自分はだんだん動けなくなる病にかかって、十歳頃にはほとんど全身を動かせなくなってた。走るどころか、歩くことさえ、夢のまた夢で、いろんな合併症とか薬や治験のせいで、起きてる間は、体中が苦痛に苛まれ続けてたし。ようやく眠れても痛みで起こされてたし。

 この世界にはまだ来たばかりで何度も殺されたけど、神様の慈悲のおかげもあって、そんな苦痛でもなかったしね。一瞬とか、ほんの数秒で終わる痛みなら耐えやすいし」

 

 生かさず殺さずな拷問にかけられたりしたらさすがにつらいだろうけど、幸い、この世界に来てから殺された時の痛みはどれも長引くものじゃなかったし。


 ポーラは、だからそんな気にしないでいいよと繰り返したぼくを、抱きしめてくれました。それだけでなく、胸にぐりぐりと頭を押しつけてきました。


「それでも、痛いものは痛かったし、殺されるのは怖かったんじゃないの?」

「まあね。でも、そのうちもっと慣れていけば」

「いけないわ。死を恐れなくなるのは、良い事じゃないもの。決して」


 ポーラはまだ何か言おうとしたのだけど。

 ぐるるるという唸り声があちこちから聞こえてきて、口をつぐんで、自分を抱きしめる腕の力を強めました。

 たぶん、狼か何かに囲まれてるぽかったので、ポーラの腕を解いて、再び列車ごっこの状態になって、包囲から抜け出そうとしたのだけど、その前に狼らしき獣があちこちから飛びかかってきました。


「うわぁっ!?」


 と叫び声を上げた時にはもう複数の狼から噛みつかれ、てた筈が、夜闇よりも真っ暗な空間に、とぷんと、沈み込んでいました。


 傍には、自分に抱きついたままのポーラだけがいて。


「えっと、ポーラ、これは?」

「闇属性魔法の影潜りよ。本来なら私だけしか潜れない筈だけど、カケルも潜れて良かった」

「もしかして、ここにずっといれば安全とか?もしそうだったら」


 頭上に覗き窓がついてる感じで、自分たちの姿が消えた地面を狼達が掘り返したり、臭いを嗅ぎ回っている姿が見えました。


「影潜りは、基本的に緊急避難措置。影渡りで別の影へと渡っていかないと、その場からも動けないし、影に潜り続けるのにも、渡っていくにも、魔力を消費するから」

「でも、だったら王都からも一人で脱出できたの?」

「ううん。こうしてる間にも魔力を消費するから、移動しながら話すわ」


 狼達を見上げていた視界が、その近くから彼らを見下ろす視界に切り替わりました。


「これが影渡り。影に潜る時よりも多くの魔力を消費して、見える範囲内の別の影へと渡っていけるの」


 それから視野が狼達のいない方へと巡らされて、何度か視野が移り変わってから、ポーラが言いました。


「しばらくここで様子見しましょ。影渡りでの移動なら臭いも追われない筈だし」


 ポーラは、自分の腰に下げていたらしいホルダーから試験管の様な何かを取り出して、緑色の液体を飲み干し、その味に顔をしかめてから先を続けました。


「王城から抜け出すのに影潜りや影渡りを乱発するしかなくて、立場上かけられてた制限のせいとかもあって、かなり厳しかったの。姿隠しのマントの方がまだ消費魔力が少ないから、路地裏で休んでたの。

 王都から抜け出すのも、もしかしたら独りでも出来たかも知れないけど、門が閉ざされてたら無理だったし」

「でも、影渡りなら」

「大門なら問答無用で魔法を打ち消してくるし、影渡りも影潜りも既知の魔法だから、当然、王都を守る城壁や各門で対策もされてるの。そうじゃないと平常時でも非常時でも役に立たないから。

 あなたが、姿隠しのマントを起動していた私を見つけられたように、捜し物を助ける魔法や、姿隠しや影潜りしている相手を探し出したり見つけだす魔法や魔道具も存在するわ」

「ああ、だからあの時捕まってたのか」

「私の記憶では捕まって無いけど、あなたが殺された機会の内の一つだったのだとすれば、相手方になんらかの探す手段があったのでしょうね」

「さて、それじゃ、ここからどうしようか?」

「闇の魔法で狼達を倒す事は期待しないでおいて。まあだから、逃げるしかないのだけど」


 それから10分くらい様子見したけど大丈夫そうだったので、また少し離れた地面へと影渡りしてから、影の空間?から表の空間へと戻りました。


 しばらく走ってなかった反動か、空腹や喉の乾きを覚えたので、ポーラがアイテムボックスに格納していた食料や水のお世話になりました。


 あまりのんびりしていたつもりもなかったのだけど、風向きの事まで気付けるほど、自分もポーラも気を付けていなかったみたいで。


 森のどこかから遠吠えが聞こえたと思うと、足音がいくつも近付いてきました。


「急いで!また走り始めるよ!」

「はいっ!」


 クッキーみたいな携帯食料?を口につめこんで無理矢理飲み込み、列車ごっこのロープを自分とポーラがしっかりと内側から掴んだ事を確認して走り始めた時には、少なくとも三頭から五頭くらいの狼の姿が見えました。


 走り始めてすぐに分かったけど、時速4kmなんて彼らからすれば眠りながら歩いてでも追いつけそうな速度で、すぐに加速せざるを得ませんでした。

 次のレベルまでは、まだ2kmくらいあって、加速が終わるまで到底走りきれそうにありません。加速後の減速時間が過ぎるまでに何頭の狼にかじりつかれるかわからず背中に冷や汗が流れました。


「このままじゃ・・・」


 後ろを走るポーラにも危機感は伝わってました。というか、先にかじられるなら後ろを走ってる彼女です。でも、影に隠れられるなら・・・


「さっきみたく、いざって時は影に潜ろう」

「うん。それはそうするつもりだったけど、どうせなら、加速できてる内に試さない?」

「試すって、何をぉぉっ?!」


 ポーラの死角から一頭の狼が飛びかかってきたので、とっさに方向転換。無謀だったけど、あんぐりと開いた狼の口へと拳を振るってました。


 狼にすれば餌が飛び込んできたようなもので、がっつりと口を閉じて手の先を食いちぎろうとしました。


「カケルっ!そのまま、止まらないで!」


 痛みを予測して手を引っ込める為に立ち止まりかけていたけど、ポーラの声に押されるように、狼に体当たりするようなつもりでさらに踏み込んでみました。


 結果。

 さっきの馬の体を触れるだけでくの字に弾き飛ばしたように、噛みつこうとしていた狼の口は閉じる前に自分の拳に弾かれたように空中をふっ飛んで、木の幹に衝突。

 ギャウン!と呻き声を上げた後は立ち上がれませんでした。


「そのまま、止まらず!襲いかかってきたら、同じような感じで!」

「わ、分かった!」


 一頭は倒せて、他の狼もすぐには襲ってこなくなったけど、少し離れてひたひたと後を追ってきてたので、あまり状況は改善したようには見えませんでした。


 加速が残り3分になった頃には、さらに狼達の数は増えて、背後を包囲されて、いつ一斉に襲いかかられてもおかしくない状況になりました。


「あんなにたくさんは、一度には無理だよ」


 自分はあきらめかけて、次のやりなおしをどうするか考えかけていた時でした。


「まだよ。まだ出来る事はある筈!カケルは、何があっても走り続けて!私に、試してみたい事があるから」

「わかった!任せて!」


 走る事なら、出来る。後ろから追いつかれてかじられてしまうかも知れなくても、ポーラを信じてみよう。

 そう決意した時には、ポーラの背後から何頭かが一斉に飛びかかってきたみたいだけど、自分はただ真っ直ぐに走りました。

 ただ、肩越しに背後を見てみると、ポーラの姿が消えて、一頭の狼の影から飛び出して喉元に短剣を突き刺したと思ったら、またすぐに姿を消して、別の狼の影から別の狼の首筋に切りつけ、影に潜り、そして自分の背後に戻ってきて、息を荒げました。


「はっ、はっはあああっ。なんとか、うまく、いった!」

「すごいよ!影潜りと影渡りだけで無双できるんじゃ?」

「ううん。私の非力さだと、まともに傷つける事さえ難しかったでしょうね。カケルのユニークスキルの速さと私の重みに、狼自身の速さと重みが掛け合わさって、初めて出来る事よ」


 狼達は、目の前で起きた不思議な出来事に面食らって、また少し様子見の態勢に戻ったけど、あきらめた風には見えませんでした。


「加速はあとどれくらい続けられる?」

「残り半分、2分ちょっとくらい」

「このまま倒し切るのもちょっと無理がありそうね」

「だね、ちょっと離れられちゃってるし。向かっていったら後ろから襲われそうだし」

「そうしたら、カケル。背の高い木を探してそちらに向かって。狼が登ってくれないくらい高くて、私たち二人が休めるくらいには枝振りがしっかりしてて、蔓草が絡んでたりしたら最高よ!」


 蔓草の有無がポイントになる理由はわからなかったけど、とりあえず前方を見回してみて、目に留まった一番高い木の方へ向かってみました。


 そこには一分もかからずにたどり着いたのだけど、大きさも枝振りもほぼ文句無し。蔓草まで絡まってて満点だったろうけど、一番低い枝でも、ぼくの身長の何倍もの高さにありました。


「そのまま駆け上がって!城壁を歩いて降りれたんだもの。逆の事だって出来る筈!」


 狼達だって後をひたひたと追ってきてて、こちらが何をしようとしてるかは伝わってる筈で、迷ってる暇は無さそうでした。


「やってみるけど、だめでも怒らないでね!」

「保険はかけられるから心配しないで!」


 保険。そっか、影潜りから影渡りで、どれだけ高い木にでも登れちゃうのか。

 そう気付いてみたら、怖いものは無くなって、垂直に立つ木の幹を最高速度のまま駆け上っていきました。

 安定してそうな何股かの枝の根本にまで一気にたどり着いた時には、ポーラの姿は無くて、木の根本辺りに集まってきていた狼の影から影に渡って何頭かに傷を負わせてから、自分の傍らの影から姿を現しました。


「お疲れさま。助かったよ」

「こちらこそ。ここでしばらく休みましょう」

「やっぱり影の中でずっと休む訳にはいかないんだ?」

「そうね。あまり良い例えでは無いけど、ずっと水の中には潜ってはいられない潜水と似てるようで違って、息継ぎさえすればまた同じくらい潜っていられるというものでもないの」


 なるほど? 疲労度が蓄積してくってよりは、その度に魔力が削られていくからなのかな。


「カケルは、列車ごっこのロープを使って、この幹から落ちないよう体を固定しておいて。ほら、私は、カケルに落ちないように・・・抱き留めておいてもらわないといけないから」


 ちょっと照れた風に言うポーラは可愛かったです。

 ぼくも頬が火照るのを感じて、照れ隠しに言いました。隠せてもいなかっただろうけど。


「えっと、二人とも幹に固定した方が安全じゃない?」

「寝る前にはそうしましょ。ただ、その前に私はやっておきたい事があるの」

「やっておきたい事?ポーラも、あれだけ影潜りや影渡り連発してたら、魔力きついんじゃないの?」

「きつい事はきついんだけどね。今後の事を考えると、今回の様にうまく撃退し続けられるとも限らないから、打ち手を増やしておこうと思うの」


 ポーラはまた腰のホルダーから試験管を一本取り出して、顔をしかめながら中身の液体を飲み干すと、木に絡んでる蔓草をぶちぶちと切って、また結び合わせ、何本かの長い蔓草の縄めいたものをこしらえました。


 自分はそれまでに木の幹に体を固定し終えてたけど、蔓草の縄を渡されました。


「これを、どうするの?」

「減速時間は、まだ残ってる?」

「もうほとんど残ってないというか、終わるところ」

「そしたら、まっさらな状態で試してみよっか。体を幹に固定してるロープに少し余裕をもたせて、この枝の上を、なるべくゆっくり、うろうろしてみて。この蔓草のロープを下に垂らしながら」

「ん、わかった。わかってないけど」


 準備を終えて、蔓草を垂らすと、木の根本をうろついてたり、幹に飛びついて登れないか試してる狼の体に触れた途端、その動きが鈍ったというか、とても遅くなりました。自分が移動しているのと同じくらいに。

 変化が見られた途端に、ポーラは幹から地面に向けて飛び込むように短剣を構えながら姿を消して、また影潜りと影渡りで何頭かの狼に傷を負わせて戻ってきました。


「自分がゆっくり動いてる時は、相手もゆっくりになるみたいね。止まった時はその一瞬は止まるけど、その後は普通に動けるようになるみたい」

「それが分かっただけでも収穫ね。私も、覚悟が決まったから」

「覚悟って、何の?」

「打ち手を増やす為に、眷属を増やすわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る