間章1:キゥオラ王国受難の日の、ポーラの家族の心の動き
<長兄アルクス>
今日は、マーシナ王国第一王女イドル姫との婚姻の日。
イドルとは、十年以上前からの許嫁同士でもあり、政略結婚という互いの立場は理解した上での、それ以上の恋人の間柄でもあった。
本来なら、互いが成人年齢の17歳に達した3年前に婚姻の儀式を終えていてもおかしくはなかった。
婚姻の儀式を遅らせてきた要因はいくつもあった。
十年以上前から始まり、不作の度を深めてきた天候不順、そしてマーシナでも広がってきた土地枯れ。農業大国であるマーシナには殊更響いた。
それだけなら、金融大国でありマーシナの穀物取引の契約の大半に関わるキゥオラとの婚姻を急いでもよかったくらいだったが、マーシナ王の体調不良と王弟と王太子との後継者争いが重なったり、アーラシュ川東岸諸国の激戦の行方が誰にも読めなかったことなども影響した。
十以上の国があったのが、ドースデン王国ともう二つの国へと収斂されていき、ドースデンともう一つになった頃には、カローザ王国とガルソナ騎士侯国はジョーヌ大公国を簒奪した梟雄アルフラックの国を盛大に後援したのだが、最終的にドースデン王国が勝ち残ったことで、ドースデン王国は東岸諸国統一を達成。数年後に帝国へと国号と体制を改めた。
キゥオラは、カローザやガルソナと同調せず、アルフラックを援助しなかったことで、両国から責められた。ドースデンとの密約を当然の様に疑われた。
父であるルスガング王とも何度も話し合ったが、結果的に不干渉を貫くことになった。そしてドースデン帝国成立後に求められた食料を主とした援助要求の申し入れを即座に断らず、検討すると表明したことで、カローザやガルソナとの亀裂は決定的なものになってしまった。
ここ十年来続く不作は、土地枯れがより深刻で、戦さ続きの東岸諸国の方により強く影響していた。食料不足が戦乱の世の幕開けと幕引きを助長しただけでなく、もしキゥオラがドースデンの申し入れを断れば、彼らは西岸諸国に侵攻を開始せざるを得ない状況にあった。
西岸諸国最大の兵力を揃えるカローザ王国は、西岸諸国中枢の要衝も占め、ドースデンが侵攻してくれば真っ先に矢面に立つ立場にもあった。西岸諸国最大の農業国であるマーシナ王国への近道にあるガルソナ騎士侯国がカローザと同調したことも責められまい。
私とイドル姫の婚儀をカローザとガルソナの兵が妨害するだけでなく、特使として訪問していたカローザの第一王子がイドルを奪い、イドルに惹かれていた弟マルグが私の背中に短剣を突き立てようと。
父よ。母よ。先立つ息子の親不孝をお許し下さい。
イドルよ。
我が愛しき人よ。
あなたとほんのわずかな時でさえ夫婦となれなかったのは、痛恨の極みであった。
願わくば、生き抜いて欲しい。
自分以外の誰かを夫とすることを辱めとして感じるだろうけれども、それでも。
キゥオラとイドルに幸多かれ。
アマリ。賢き君なら、イドルに手を貸すことも助けることも可能だろう。だが君はそのどちらでもない道を選びそうだが。
ポーラは、まあ、好きに生きるだろうか。忌み子としての外見に引きずられ過ぎなければ良いのが。
タミル。
お前はなぜ、マルグを殺したのだ?
<次兄マルグ>
自分は、西岸諸国でも随一の経済強国であるキゥオラ王国の第二王子として生まれた。
第一ではなく、第二王子として。
兄であるアルクスも、父であるルスガング王も尊敬している。
どちらも平和を嗜好し過ぎて、政策判断が非現実的になる嫌いがある。父はまだしも、兄アルクスは危ういほどに。
東岸諸国統一の争乱に手も口も金も出さず非干渉を貫くことでドースデンからの好感を勝ち取ったのは、父の慧眼でもあったのだろう。カローザとガルソナがその真逆を行って、少なからぬ痛手を被ったのと好対照に。
しかし、西岸諸国の軍事一位と三位の国から反感以上の敵視を買うことになったのは、釣り合っているのだろうか。
自分にはそう思えなかった。
だからこそ、カローザ王国と、ガルソナ騎士侯国からの申し出に自分は乗った。
ドースデンを援助すればどの道攻められる。
どのような条約を結んで、援助をして苦境を越えさせたとしても、やはり攻められる将来は待っている。
遅いか早いかだけの違いだ。
ドースデンが一番弱っているのは今だ。
カローザとガルソナも痛手は負ったのだ。
ドースデンを助けて、さらに敵方を利する意味は無い。
まあ、イドルに憧れていた自分がいたのは確かだ。
兄に彼女を取られたくは無かった。
カローザ次期王に娶られていくなら、そちらの方がまだ自分にとって耐えやすかったのもある。
兄との睦まじい日々を間近で見なければいけない地獄など迎えたくは無かった。
だからこそ、兄を
他の誰にも渡したくなかったイドル姫を、カローザの第一王子に引き渡しもした。
夫婦になりたいとも思えなかったカローザの第三王女との婚姻にも同意した。
しかし、だからこそ、我が弟タミルよ。
汝もこの計画に同意したのでは無かったのか?
なぜ俺に致命傷を負わせ、イルキハと手を組んだ?
長年キゥオラを妬み敵視し、諍いが絶えない間柄だ。
キゥオラに利などあるまいに。
ああ。
せっかくアルクス兄を殺してイドルとの婚儀を中断させ、カローザの第三王女との婚儀も成立させたというのに。
タミルよ。私よりもアルクス兄よりも劣る弟よ。
己の器量以上の何かを成し遂げんとして、その至らなさに生涯苛まれ続けるが良い。
<末兄タミル>
物心ついた頃に、はっきりと理解した。
ああ、この兄達には適わないと。
理想を高く掲げ邁進する長兄。
現実を見据えて足下をおろそかにしない次兄。
長兄が次代の王となり、次兄がその補佐をすれば、自分は要らない存在だった。
父母や兄や姉達からそんなことを言われたり態度で示されたことは無かったが、どうせ要らない存在なら、失敗しても構わない予備ならばと、キゥオラを真似しようとしてもうまく行かずに逆恨みを代々続けてきたイルキハに目を向けてみた。
東岸諸国随一の強国にして要のカローザ王国。
カローザの南、大河アーラシュの海への河口部分を抑えるガルソナ騎士侯国。
カローザの北、大河アーラシュの源泉を擁するミル・キハ公国。
アーラシュ川沿いの西岸諸国がその三国になって数十年以上経つ。
この大陸の東と北と西を遮るは、竜の首、背、尾と呼ばれる大山脈。
ミル・キハは竜の背の西側部分に位置する強国で、イルキハは竜の背と尾の接続部分に位置する急峻な山々が連なる地域に切り拓かれた小国だった。
西岸諸国の王侯貴族を継げない次男三男達が寄り集まって、ミル・キハの西、キゥオラの北に、少しずつ人の住める場所を開拓していった。何世代もかけ、それぞれの祖国から少しばかりの援助をも受けながら。
良質な木材が採れるのがほぼ唯一の資材。銅が国の経済を支えた時期もあったがとうの昔に掘り尽くしてしまい、それからもいくつか鉱山を見つけはしたが、どれも外れでイルキハの国民を落胆させてきた。
山がちな国土では農耕地を急激には増やしにくく、背後を大山脈、東はミル・キハ、南はキゥオラに抑えられて、ため息を吐きながらも斧を手に森を切り拓く。魔物を斬り伏せる。
そうやってわずかずつでも財を貯めて、キゥオラで発展した金融業にも手を出したものの、数世代も保たずに頓挫した。
その際に莫大な負債をも負いかけたのだが、キゥオラを始めとしたイルキハ貴族の祖国達がその負債を肩代わりするか棒引きにして、なんとかイルキハは存続した。
周辺諸国のお情けで成り立ってきた国。
なのに逆恨みして、特に救い主である筈のキゥオラの地位と財とを奪おうと虎視眈々と狙うイルキハは、だからこそ自分の境遇と狙いとに合致していたと言える。
表立って父や兄達に献策することも議論に参加することも避け、王都だけでなく、地方都市の貧民街を尋ねて回った。
慈善活動めいたことさえ真の意図を隠す為にやった。
その合間に、イルキハで歳の近かった王女と密かに密約を結び、東岸諸国と西岸諸国の情勢を睨みつつ、弱小国イルキハが大国にどうすれば並び立ち
やがて、ドースデンが東岸諸国を統一した。
カローザとガルソナはその敵対勢力を支援して痛手を被った。
マーシナは不作に苦しみつつも最大の農業国でもあり続けている。
キゥオラはそんなマーシナを助けつつ、今代における第一王子と第一王女とを婚姻させて結びつきを強化しようとしていた。
次兄マルグが、長兄アルクスの許嫁に懸想しているのは、端から見ていれば誰にでもわかることだった。父兄から諌められても、改心が無理だった。当のイドル姫からも説得してもらってさえ、本心からあきらめたようには見えなかった。
だからこそ、その執着心を利用させてもらった。
カローザと組んで花嫁を与え、アルクス兄を殺して王位を簒奪するというマルグ兄の企みに自分は賛同し、イルキハと共に、マルグ兄のクーデター劇を支援し、成功に協力することを誓いさえした。
実際、成功はさせた。
ほんの一刻どころか十分にも満たない間しか保たなかったにせよ、誓いは守った。
イルキハの国運を賭けた動きだ。東岸諸国統一でも活躍した傭兵団を無理をしてでも雇い入れるだけでなく、式典には表立って連れてこれない兵達は祝祭の見物旅行客に紛れ込ませて王都に潜伏させた。
マルグ兄の企みを成功させて、マーシナの憎悪をカローザとガルソナに向けさせた後に、マルグ兄を殺した。
キゥオラの王に、俺はなった。
夢は叶えたが、これはまだ出発地点にしか過ぎない。
イルキハの第一王女イ・フィー姫を娶っていて、彼女がイルキハの女王となり、二人でイルキハとキゥオラを共同統治していくことも混乱が続く王宮で宣告した。
王宮の兵は、イルキハから呼び込んであった傭兵団で制圧し、両親は幽閉した。まだ使い道がありそうだったからな。
婚儀の席にいた筈のアマリ姉の姿はいつしかいなくなっていた。忌み子とされているポーラは最初からいなかった。
先ずアマリを探させたが見つからなかった。その近習の者を捕らえて尋問すると、婚儀から抜け出した後で、ポーラを逃がす手筈を整えていたことが判明した。
アマリは、姉妹ということもあってか、兄や自分達よりは、ポーラにかまってやっていた。二人とも政治からは一歩どころか二歩以上引いて、関わろうとはしていなかった。
ポーラは政治から全力で遠去かろうとしていたから市井に逃げ込まれてもそちらでの影響は無いかも知れないが、アマリは何を考えているのか読めないところがあった。ポーラがアマリの意図や逃げ先を聞いている可能性もあったから、ポーラも探させた。黒髪黒目の忌み子で闇魔法の使い手となれば利用価値はあるからな。隷属させて使い倒してやる。俺に従わない貴族達の処分を皮切りにして。
王城は完全に制圧し、城門は堅く閉じた。
王都では、イドル姫を奪還しようとするマーシナの兵と、カローザとガルソナの兵との間で衝突が起きていた。
キゥオラの王都守護兵にもあまり関わらないよう通達は出しておいたが、ついでのように暴虐行為に及ぶ輩が出てくれば見逃すことも出来ず、やはり争乱に巻き込まれていた。
大門は優先的に支配下に置いた。イルキハへと続く北と、アマリやポーラが逃げ出す時に通過しそうな西を真っ先に。南のはマーシナの兵が退路確保の為に占拠してたから、彼らの邪魔はしないようにだけ告げておいた。キゥオラもイルキハも、マーシナの農作物抜きにはやっていけないのだから。
しかしそんな中、西の大門を黒髪の少年と少女に抜かれたと報告が上がってきた。少女の方はポーラだとして、少年の方は誰だ?
西の大門には、傭兵団でも腕利きの指揮官を配置していたのだが。門から騎馬で追えば捕らえられるだろう。
妻となったイ・フィーとも魔道具で相談して、アマリとポーラの捜索は最優先課題とした。二人のどちらかに、ドースデンとつながりを持たれると厄介なことになりそうだったからな。
<長姉アマリ>
私は、キゥオラ国王夫妻の第三子、長女として生まれた。
両親や兄達にも愛されて育てられてきたと思う。
ただ、成長するに連れて、気づいてしまったというか、気づかされてしまった。
光り輝くような容姿の母や兄達と比べて、私が凡庸だということに。
女性が王になることは無いこの国において、私はいずれ嫁に出される存在でしかなかった。
国政は父や兄達に任せておけば良い筈だったのが、例外的な状況が生まれた。
ドースデンが東岸諸国を統一し、援助を求めてきたのを父や長兄が却下せず検討すると判断を下したこと。
それに長兄の婚約者である嫁イドル姫に、次兄が懸想し続けたこと。
さらには弟タミルがイルキハを抱き込んで混乱に乗じようとしているのを鑑みて、キゥオラも動乱の時が来ることを覚悟して、自分の身の振り先も決めた。
ドースデンだ。
凄惨な政治劇の舞台となった婚儀の場からは早々に抜けだし(事前に準備していなければ無理だっただろう)、婚儀の場に顔を出さずに魔術の研究の為に引きこもっていたポーラも王城から逃がした。
王都からも抜け出せるかは賭けになる。
私自身も確実に抜け出せるかは分からないのだ。
あの場で最終的な勝者となったタミルの目と関心を逸らす役に立ってくれるだけでも助かる。
妹は、王室や政治や戦争などに関わりたがらなかった。
黒髪黒目という、この世界では忌み子とされる存在。
滅多に生まれないが、市井に生まれればひっそりと処分されてしまう。どこぞの貴族や王家に生まれれば、良くて生まれたことを隠されたまま、日の目を見ることなく一生を終わる。
ポーラは、きちんと王家の子として育てられ、虐待されていた訳でもないが、それでも他の子供達と比べて両親が接する機会は少なかった。
自分が時折でも彼女にかまったのは、彼女が自分よりも美しくなく、聡明でも無いように見えたからだった。忌み子として敬遠される存在に哀れみを垂れる自分という愉悦すらあったのだと思う。
さて、ポーラも私も逃げきれるのだろうか。
タミルの政権はおそらく長続きはしまい。
ドースデンはいずれ、西岸諸国をも浸食し、カローザもガルソナも抵抗し続けるのは困難だろう。国力が違い過ぎるのだから。沈黙と不干渉を続けるミル・キハがどう動くのか次第でもあるけれど。
さて、国々の命運がどうなるか以前に、妹と私に、創造神様のご加護のあらんことを。
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