第3話 魔女との契約

「ついに二人は苦悩の平原を越え、絶望の城で地獄の魔女カーミラを呼び出したのじゃ……」


◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 ブーレイたちは地獄の魔女カーミラが住むという、苦悩の平原を超えた絶望の城に辿たどり着いた。

 曇天どんてんの下、鈍色にびいろの光に照らされ不気味に浮かび上がる古城には一切いっさいの生気がなく、静寂は死を匂わせた。外壁には手入れのされていない蔦がそこかしこに絡まっている。


 二人が城の中庭に入ると、突如空中に煙の渦が巻きあがる。暴風が吹き荒れ、見る見るうちに霧と雲とが混じり合うと、それは一つの巨大な姿をかたどっていく。ついには深くフードを被った、巨大な老魔女が現れるのだった。


「今さらわしを呼び出す者がいようとはね……わしに何かようかい……?」


 ブーレイは巨大な魔女を見上げると、おびえるメルフィアを安心させるように抱きしめながら、震える声で叫んだ。


「メルフィアの病を治してくれ! 彼女はあとわずかの命なんだ……!」


 魔女はその言葉を聞くと、値踏みするように二人をねめつける。果たしてこの二人が願いを叶えるに相応しいかどうかを見極めているようだった。


「……いいだろう。ただし、わしの出す条件を飲むことができるのならね……」


「わかった、……でその条件とはなんだ!」


 その答えを聞くと、魔女の眼光は鋭く光った。

 地獄の魔女カーミラは、メルフィアを捕まえると呪文を唱え、彼女を一振りの剣に変えてしまうのだった――


 剣の柄には、まるで生きているかのような、精巧な美しい乙女のレリーフがかたどられていた。その姿はメルフィアをそのまま彫刻にしてしまったかのようだった。


「何故だ、何故こんなことを……!?」


 おののくブーレイに、魔女は地の底から響くようないかめしい口調で語り始めた。


「わしは『愛』というものが大嫌いでね。第一そんなものはないと思うておる……。だからお前達に、本当の愛とやらを証明して欲しいのじゃ。

 その剣は、姿形は違えど、れっきとしたメルフィアじゃ。どうじゃ、それでもお前はその剣を愛しきれるかな?」


 だが魔女は、その剣を病も治した上で元の人間に戻す方法があると語った。しかし、それは恐ろしい条件だったのだ――


「次の満月の夜まで29日――その夜まで一夜に一人、全部で『29人』の血をその剣に染めるのじゃ。そうすればお前たちの願いは叶えられるじゃろう――」


 ブーレイの手は震えていた。『29人』の魂の血で剣を染める――それはすなわち『29人』を殺すということだと……。


「できるかのぉ……楽しみじゃ……。さぁわしをがっかりさせんでくれよ!」


 そう叫ぶと、魔女は嘲笑と共に、霧が散るように跡形もなく消えてしまう。後にはただ一つ、メルフィアの顔をかたどった剣だけが残された。

 生命の無い鉄の塊――けれどその剣は、わずかにカタカタと震えていたのだ。

 ブーレイは剣を手に取ると、抱きかかえて呟いた。


「……大丈夫。必ず君を救ってみせる……。必ず……!」


 ブーレイのその瞳の奥には、覚悟と共に、すでに狂気が宿っていた。もう後戻りはできないのだと、彼の手はより強く剣を握り締めていた――


◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 その夜、静寂に包まれた街の路地裏に、男の悲鳴が響いた。

 ブーレイの前に、名も知らぬ男はくずおれる。メルフィアの姿をかたどった剣にはべっとりと血がつき、その雫が刃を伝い滴り落ちていた。

 ついにブーレイは人を殺してしまったのだ……。元騎士のブーレイは、これまで戦いの中で剣を振るうことは幾度もあった。だが、いま彼は初めて、何の罪もない善良な街人を手に掛けてしまったのだ。

 息が上がり、剣を持つ手はガタガタとふるえていた。


「ひ、人殺し~っ!」


 男の悲鳴を聞きつけた住民が、死体と血塗られた剣を持つブーレイを見つけて叫ぶ。

 ブーレイはおぼつかない足取りで逃げた。路地裏を全速力で走りすぎ、もう大丈夫だというところまで逃げ切ったにもかかわらず、彼はそれでも走っていた。


 いつの間にか雨が降り始めていた。

 急ぎすぎたせいか、何かにつまずいて彼は転がるように倒れ、剣を取り落とした。

 再び剣をつかもうとすると、彼は自分の手がどす黒い血にまみれているのに気がついた。両方のてのひらを見つめる。そこには殺人鬼の血で薄汚れた手があった……。


 彼は泥水に濡れた路地裏の、月の光さえ届かぬ影の中で、一人嗚咽をもらして叫んでいた。

 人を殺すということは、こういうことだったのだとようやく気がついたのだ。そしてこれこそが避けられない宿命なのだと……。

 メルフィアの姿を象った剣は雨に濡れ、まるで涙を流しているかのようだった。

 もう後戻りはできないのだ――あと『28人』を殺すしかないのだ。

 ブーレイの泥にまみれた頬を、静かに涙が伝い落ちていくのだった。

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