第2話 最期の決断

「平民騎士のブーレイと貴族の娘メルフィアは深く愛し合っておった。身分の違いも乗り越え、周囲の反対を押し切って一緒に暮らし始めた二人は、それでも幸せな生活を送っていた。しかしメルフィアには知らされてはいなかったが、彼女は不治の病であと半年あまりの命だったのじゃ……」


◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 ブーレイとメルフィアの二人は、街外れの質素な家で慎ましやかに暮らしていた。

 ブーレイは緩やかに流れる金髪に、端正な顔立ち、引き締まった身体つきの青年だ。平民上がりではあるものの、かつては剣の道に生きた騎士だった。だが今では身分違いのメルフィアと一緒になるために、剣とともに騎士の身分を捨てていた。


 病弱なメルフィアは、最近ではとこすことが多くなっていたが、その日は血色も良さそうで少し起き上がることができた。

 ブーレイは暖かい日差しが差す窓辺にメルフィアを座らせると、彼女の亜麻色あまいろの髪を、丁寧にくしかしてあげるのだった。彼女は病に侵されていたが、その美しさに陰りはない。透き通るような白い肌に、ほんのりと淡く染まる頬、まるで春の花が咲いたような愛らしい乙女のままだ。


 メルフィアは、愛でるようにくしを通すブーレイに話しかける。


「ずっとせっていたから髪も痛んでいて汚いでしょう……?」


「そんなことないさ」


 ところが急にメルフィアはき込み始めたため、ブーレイは「大丈夫かい?」と語りかけながら、心配そうに彼女の背中をさする。メルフィアはブーレイに心配させまいと気丈きじょうに振る舞った。


「平気よ……。今日はとても気分がいいの。それより――」


 メルフィアはぜいぜいと息を切らせながら、それでも希望をたたえた瞳でブーレイを見つめて言うのだった。


「早く元気になって、あなたの子を生みたいわ……」


 メルフィアは自らの余命を知らなかった――

 ブーレイは彼女に余命残り少ないことを伝えることができなかったのだ。彼は思わず目をらしてしまい、答えをはぐらかした。


「……そうだね。そのためにはきちんと薬を飲んで安静にしていなくちゃな……」


 ブーレイは仕事の支度をすると、家を出た。

 彼の手はやるせない怒りと絶望に震えていた。このまま彼女がせ衰えて死んでいくのを、黙ってみているしかないのか――と。


 ブーレイは少しでもメルフィアの薬代を捻出するため、重労働の仕事を選んで必死に働いた。その日は城の外壁の改装工事だ。仕事は厳しく、それでも金にはならなかった。

 そんな中、木材を抱えて運ぶブーレイの横を、かつて仲間だった騎士隊の一団が通る。ブーレイにとっては最も会いたくない者たちだった。


「随分落ちぶれたもんだな、ブーレイ――」


 ブーレイを見つけた騎士隊の隊長は、皮肉めいた笑みを浮かべながら声を掛けてくる。


「貴族の娘をたぶらかした貴様が、こんな所でのこのこ生き恥を晒しているとは――全くいいご身分だな。聞くところによると貴様はメルフィアの薬代さえままならないらしいじゃないか。しょせん貴様のような平民が貴族と一緒になろうってのが間違いだったんだよ!」


 騎士隊長はそう吐き捨てると、ブーレイに向かって一枚の金貨を放り投げた。


「ほらよ。せめて薬代の足しにでもするんだな」


 騎士隊が去って行くのを呆然と見届けたブーレイは、ひざまずき金貨を手に取った。矜持きょうじさえも捨てた彼は、てのひらの上の金貨を強く握り締める。すでに涙すら流れなかった。今、彼にできることは、何もないことを知っていたからだ。


 仕事を終えたブーレイは、重い足取りで愛すべき二人の住まいへと戻った。


「メルフィア、今帰ったよ」


 そういって扉を開けたブーレイは、部屋の中央に立っていたメルフィアを見て驚く。

 なんと彼女は、天井の柱に結んだロープで、今まさに首を吊ろうとしていたからだ。


「やめるんだ!」


 ブーレイは咄嗟とっさにメルフィアを止めようと、抱きしめるように彼女を捕まえる。そしてメルフィアをゆっくりベッドへと下ろして問いただした。


「な、なぜこんなことを……!?」


 メルフィアは眼から涙があふれそうになるのをこらえ、うつむきながら語り始めた。


「ごめんなさい……私わかってたの……。最期の時をあなたと過ごせたら、それだけで幸せだと思っていた。だけどもうあなたに迷惑をかけられないわ……」


 天井のロープはゆらゆらと揺れていた。まるで二人の運命をあざ笑うかのように――

 メルフィアは愛するブーレイの態度があまりに不自然だったため、自らの余命が僅かなことに気づいていたのだ。

 メルフィアの告白を聴いたブーレイは、彼女を強く抱きしめると決意したように伝えた。


「……だが、君を救う方法がたった一つだけある……」


 ブーレイは覚悟を決め、その恐ろしき魔女の名を叫んだ。


「地獄の魔女カーミラなら、君を救うことができる……!」

 

 メルフィアは驚き、震えながら呟いた。


「あの魔女は危険よ……」


「危険は承知だ。俺はどうなってもいい……。だけど俺は君を失いたくないんだ!」


 ブーレイは押しつぶされそうになる自らの不安を払おうとするように、強く、より強く彼女を抱きしめる。

 彼女は目を閉じ、そしてそっとささやくようにうなずいた。


「私もよ、ブーレイ……。私、死にたくない……」


「よし、決まりだ!」


 ブーレイはメルフィアの額にキスをした。

 地獄の魔女に願いを叶えてもらうということ。その決断は、死よりも恐ろしいものだということを二人は知っていた。だけれど二人は、それでもお互いを失いたくなかったのだ。

 天井のロープは揺れていた。まるで二人の決断をあざけるかのように――

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