06 ハリボテ聖女の決断
イヴラクシアは痛む体に鞭を打って上体を起こした。目の前にはいつぞや街でガイドをした獣の商人が拘束されうずくまっている。
「よう敏腕ガイド」
獣の第一声に、イヴラクシアは思わず笑みをこぼした。
「これはこれは、どうもベルクト様。商談は上手くいかなかったご様子で」
「ぬかせ」
ベルクトもくつくつ笑った。
「それで?敏腕ガイド兼上級僧侶様が、なぜ獣のエサにまで落ちぶれている?」
イヴラクシアはここに閉じ込められるまでの事を思い出した。新たな〈輝きの子〉を手に入れた教皇は、これを期に従順でないイヴラクシアを手放す事に決めたのだった。いつかそうなるだろうという予感はあった。
イヴラクシアは着飾って信者の告解を聞き慰めの言葉を与えるよりも、街に出て直接人助けをする方がずっと好ましく、昔からたびたび教会を抜け出す悪癖があった。
教皇はイヴラクシアの金髪を理由にその素行不良に目を瞑っていたが、ついに断罪の時が来たのだった。
突然部屋に教皇の近衛が押し入り、着の身着のまま——街に抜け出す用のフード姿で——イヴラクシアは捕えられた。そして特に何の説明もされぬまま、懲罰室に放り込まれたのだった。まさか先客がいるとは思いもしなかったが。
「ジラーニィ様のおかげで、ついに私はお役御免です。もともと敬虔な信徒でもありませんでしたしね。貴方が獣らしく私を貪れば、私はボロを出す前に悲劇の聖女として表舞台を去る。さらにはジラーニィ様の心を貴方から引き離し、制御し易くする事ができると、教皇様は考えていらっしゃるのでしょう」
「そこまでされておいて、いまだにアレを敬称付けで呼べるとは」
「優しい方だったんですよ、昔は」
イヴラクシアは裏路地で生まれた孤児だった。それを拾い上げてくれたのが教皇となる前のエルド神父だった。それからは彼が父親代わりだった。
救われた孤児はイヴラクシア以外にも大勢いて、その多くが聖堂に残り僧侶となった。あの頃は、自分が金髪の〈輝き〉のためだけに拾われたわけじゃないと確信できていた。だが教皇の座についてから、父は変わってしまった。イヴラクシアは彼の愛を信じられなくなった。
「権力を持つと人は変わるのですね。教皇様は信者に限らず、輝く鐘楼の恩恵を受ける全ての市民から金銭を取るようになり、そのお金で何かに取り憑かれたかのごとく〈輝くもの〉を収集し始めた。反対する者はたとえ自身が育て上げた息子同然の相手であっても、この懲罰室に押し込めて、飢えと発狂で〈混沌〉に消えるまで放置した。僧侶たちはみな教皇様を恐れるようなり、聖堂が〈輝き〉で強く照らされるのと反比例して、私たちの心は暗く塞いでいった……」
イヴラクシアはこれまで誰にも言えなかった悲嘆を、ベルクトにとうとうと語って聞かせた。巻き込まれただけのベルクトは初めて出会った時のように素っ気なく話を切り捨てるだろうとイヴラクシアは思っていたが、予想に反して彼は真剣にイヴラクシアの言葉を聞いていた。
「俺は教皇が魔術を使うところを見た」
「そんな、それはありえない!魔術は獣の領分だと、教義で禁止されています」
「だがお前の言う事が本当なら、教皇が教義に反しても誰も止められないんだろう?」
イヴラクシアは答えに詰まった。
パキン、と金属が砕ける音がした。ベルクトは鎖を引き千切った音だ。鋭い鉤爪がイヴラクシアを指差した。
「いいか、教皇は獣に成り下がった」
「まさかそんな……取り憑かれたとか?」
「もしくは内なる〈混沌〉から生まれたか、だな。誰もが心に闇を抱えているのだから。だがどちらにせよだ、イヴラクシア。お前は決めなければならない。このまま教皇の暴挙を許し続けるか、それとも他の信徒や市民を守るために、かの獣を排斥するか」
「……貴方は嘘を織り交ぜて私を誑かしている」
「そうだな、その可能性を否定する材料は無い」
イヴラクシアは冷たい石の床を引っ掻いた。教皇の異変は自分が一番理解している。仮にベルクトが言う魔術の話が偽りでも、教皇の暴走は事実だ。
イヴラクシアは街の人達が大好きだ。家族である僧侶達の事も。そしてたった一人の父であるエルドの事も。
止めなくては。
「……あの人を殺さないで」
「難しい注文だ」
「お願い。父なの」
「ふん……俺は商人だ。苦労に見合う対価は頂くぞ」
ベルクトがこちらに手を伸ばし、イヴラクシアの長い髪に触れた。
「まずはここから出るための力を貰おうか」
「……分かったわ」
獣が笑う。鉤爪が首筋を掠めた。
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